寝ずの番

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「潤子さん、あんまり無理しないように。きっと疲れが出たんだよ。いつまでも独身だと、風邪一つ引けやしない」
 実相寺尊は従姉妹の実相寺潤子の部屋で、風邪で臥せっている潤子のために、お粥を作っていた。
 尊は潤子の父親の兄の子どもだ。潤子よりは二つ年下で、幼い頃は潤子とよく遊んだ。
 枕を頭にのせ、ベッドに横になっている潤子はキッチンに向かって言った。
「なら、わたしをもらってくれる?従姉妹なら法律上、結婚はできる。尊は理想的な夫になれると思うな」
「ついに熱に浮かされたかな。俺は潤子さんを実の姉だと思ってるし、99.9パーセント実現できないな」
 鍋に火をかけたお粥は塩味が効いていた。
「よし、できた!」
 尊はお椀に熱々のお粥をすくって、潤子が寝ているベッドまで運んだ。
「ありがとう」
 潤子は重そうに上半身を起こす。
「熱いから気をつけて。潤子さんは猫舌だから」
「いつからわたしをさん付けで呼ぶようになったの?」
「職業病で、人を呼ぶ時に癖になってね。別に不都合はないだろう」
 潤子はチーカンにすくったお粥に息を吹きかけ、口に運ぶ。
「どう?潤子さんの舌に合うかな?」
「合格だ。尊は昔から料理も上手かったからな。尊が女だったらいい奥さんになるよ」
「ありがとう。褒め言葉として頂戴するよ」
 尊は現在、阿佐ヶ谷で探偵事務所を構えており、副業で都市伝説研究もしていた。それに関する書籍も何冊か刊行したらしいが、書店では目立たない隅の方に置かれ、売り上げはさっぱりだ。
 潤子は呪いの事件を解決したばかりで、突然、高熱が出て、珍しくダウンしてしまった。
「警察なんて男ばかりだから、潤子さんに目をつける人、いないの?」
「刑事なんて、碌なやつがいないよ。たまにいい男だなあと思っても、大概犯罪者だし。公務員は安定しているからいいと思ってたけど、警察はブラック企業と変わらない。それに引き換え、探偵の尊は気楽でいいな」
 潤子は誤解している。探偵だって成果が出なかったら廃業してしまう厳しい業界なのだ。
「結局、呪いのアプリ事件は解決したんだね?」
「ええ。呪いで殺したとしても、警察は犯人を逮捕できないし、法廷でも裁けない」
「今度、詳しく聞かせてよ」
「また、書籍にするつもり?」
「もちろんそうだけど。今度は小説として世に出したいな。ゆくゆくは直木賞でも獲りたい」
「知らないの?ホラーで直木賞を獲った作品は今のところ、ないから」
「わかってるって。その殻を破るのが、この僕だ」

 事務所に戻ると、助手の高宮麻奈がメモを渡した。
 麻奈は事務所近くの大学に通っている大学生だった。ダメ元で求人広告を出したら、彼女が応募してきた。もちろん、人手が足らないので、即採用となった。
 パソコンのようなデジタル機器に詳しい彼女は十分、戦力になった。
「生田さんて方が依頼に来ました。すぐに戻ると伝えたんですけど、用事を思い出したといって出て行きました。じき、戻ると思います」
 言っている傍から、ドアが開き、依頼人である生田が現れた。
 スーツを着たビジネスマン風の中年男性だった。なんだか、彼の方が探偵らしかった。
「実相寺さんですよね?ようやく会えました。ああ、実は書籍を家から持って来ました。サインをお願いできますか?」
 胡散臭いと思いながらも、渋々、尊は差し出された自著にマジックでサインをしながら、徹夜で練習したなあと感慨深く思った。
「ところで、ご依頼の件でしたね。あ、お座りください。高宮くん、お茶を出して」
 デスクの傍らの応接ソファを尊は示した。言われるまま、生田は腰掛けた。
 麻奈は安い市販のお茶を出した。愛想笑いの一つも浮かべず、麻奈は自分の席に戻った。
「あ、申し遅れました。わたし、大学で教鞭をとっておりまして。民俗学を教えています。なんていうか、マイナーな学問でして。学生にも人気がなくて。まあ、法律や経済学に比べたら実生活にはほとんど、役に立たない学問ですから。それは仕方ないと思います。でもですよ、民俗学は人間を学ぶ上の基礎だと思いますよ。実相寺さんもわたしと同じ意見ですよね」
「あの、用件は何でしょう?」
 尊はイライラを顔に出さないように努めた。尊は前置きが長い人が苦手だった。
「そうでしたね。用件は、財糸村で起きた子どもの誘拐事件についてです。もしかして、ご存知ないですか?」
「その件なら、昨年依頼がありましたが、それについては警察の分野なので、断りました。警察は子どもが勝手に外に出て、道に迷ってしまったと結論付けたようです。子どもはまだ八歳で村に家族で移住してきたばかりだからという理由で事件性はなしと判断されましたね」
「あ、やっぱり実相寺さんのところに依頼がありましたか」
「財糸村。ひと昔前、養蚕業で栄えた村ですね。群馬の山間にあって、近くには富岡製糸場もありますね。今は村の繁栄は過去の遺物になりましたが、あの村は生糸で儲けた俄か長者がうじゃうじゃいましたね」
「ほう、さすが都市伝説の著作を何冊も出しておられるだけありますね。いや、こりゃ、実相寺さんの右に出るものはいませんな」
 生田は大学教授にしてはよく喋る。もし、自分が学生だったら、彼の講義を聴いてみたいと尊は思った。
「お茶をどうそ」
 尊が促すと、生田は茶碗に手を伸ばした。その瞬間、目を輝かせた。
「いやあ、ツイてますなあ。ほら、茶柱が立ってます」
 まるで子どものような側面もある大学教授を麻奈は冷めた目で見ていた。尊はまだ、こんな大人がいるんだとホッとした。
「その村には古くから伝わる言い伝えがあります。ネバタマ様って知ってますか?」
 ネバタマ様?まるで納豆のようなものを連想しそうだ。
「実際に見た人はいません。わたし個人としては想像上の化け物と考えています。いい例はあげられませんが、そうですね。麒麟や龍みたいなものですかね」
「そのネバタマ様が子どもの失踪と関係があるんですか?」
「ええ。時期で言えば十一月の半ばですが、ネバタマ様が活動する時期だそうで、昨年も子どもがその時期に一時、行方不明になりました。村ではネバタマ様の仕業だと囁かれました」
「あの、ネバタマ様は子どもを攫って、ただ村を混乱させたいだけでしょうか?一体、何のために」
「諸説あるようですが、まず食用ですね。実際に行方不明になったまま戻らなかった子もいます。そして、第二に、余所者を排除するためだと。村社会は外からの人間を嫌います。村の守り神でもあるネバタマ様は移住してきた子どもばかり狙うんです。これ、重要です」
 尊はノートにネバタマ様の特徴を記す。
「ネバタマ様を見た人はいないということは、どういうことでしょうか?」
「おそらく、村が活動している時は現れないのでしょう。村が寝静まった頃、ネバタマ様は現れると思われます。だから真夜中に活動する夜行性ですな」
「へえ、シャイな化け物ですな」
 場を和ませるために言ったが、返って場の雰囲気を壊してしまった。しばらく嫌な間があった。
「ええと、とにかく、実体がわからない化け物があの村にはいるわけです。それでですね、もしネバタマ様がいるとしたら、こりゃ、大スクープです」
「うーん、ちょっと待ってください。わたしには村人が妄想だけで作り上げた怪物に思います。口裂け女だって、噂が生み出した化け物だし、トイレの花子さんだって、怪談から生まれた化け物です。つまり、実体なんて始めから存在しないと思います」
「はあ。そういう考えも、わたしは持っていました。でも、それって、あんまりロマンがない考えですよね」
「ロマン?」
「民俗学って、多少のロマンがないと成り立たない学問です。歴史学もそうです。最初から否定から入っては事態が進みません。ですから、わたしは存在する方に賭けたいのです」
 生田は真顔になった。案外、飄々としているが、魂は熱いのかもしれない。
「まだやり残したことがあるんではないですか。昨年の財糸村での子どもの失踪事件。結局、河原付近で見つかりましたけど、あれだって、誰かが攫ったのか不明です。警察は小さなことはやらないものです。だからこそ、探偵の出番だと思います」
 生田にじっと見つめられ、尊は居心地が悪くなった。麻奈は作業しながらも、クスっと笑っているようだ。
「わたしは来週、学会でインドネシアに行かなければなりません。自由に動けるのは、実相寺さんしかいません」
 麻奈が立ち上がると、突然言った。
「先生、今月は以来の件がありません。町の公民館での講演だけです。せっかくの依頼、断る理由はないと思います」
 早速、横槍を入れてきた。年齢が一回り離れているが、麻奈はしっかりしている。
「わかりました。身軽なんで、調べてみましょう。ネバタマ様の貌を拝んでやりますよ」