11
再び、尊は財糸村へカメラを設置しに向かうことになった。
高感度の広角カメラは潤子の知り合いということもあって、値引きはしてもらったが、それでも懐は痛かった。とりあえず、麻奈の実家から借金という形をとり、カメラの購入資金にあてた。
事務所はしばらく閉鎖し、いっさいの依頼は受け付けず、尊はネバタマ様の実態を暴こうと決意した。その過程で、もしかすると、行方不明になった子どもの所在もわかるかもしれないという淡い期待を抱いた。
今日は生憎の曇天だった。
車の後部座席に置いてある広角カメラだけが、今のところ頼りだ。
尊はネバタマ様が祀ってある神社に赴いた。
誰もいないと思っていた神社にカップルがいた。
ひと目で村の住人ではないとわかった。どうやら物好きな観光客らしく、男の方がスマホのカメラを社殿に向けていた。
「ちょっと、カメラはやめた方がいいわ。呪われたりしたら、どうするの?」
若い女性が男の行動を窘めた。
「まさか、祟りだとか、呪いとか信じちゃう?そこが今どきだね」
「だって、この時期になると、ネバタマ様がここから出て、子どもを攫って...」
「なあ、不思議だとは思わないか?どうして子どもなんだ?別に攫うのは大人でみいいわけだろう」
「そんなのわたしに訊かないでよ。村の人もネバタマ様の話になると、貝のように口を閉ざすんだから」
「ネバタマ様をこのカメラに収めて、マスコミにでも売ったら、さぞかしいい値になるかな?」
「あなたって、金儲けのことばかりね」
「だってさ、いつまでもサラリーマン生活してたって高が知れてるだろう。さっさと見切りをつけて、自由な身になりたいよ」
「それ、怠け者の発想よ」
楽しそうに話しているカップルをやり過ごしながら、カメラをどこに設置しようかと思案していた。
普段は吸わないタバコを咥え、やがて興味を失くして立ち去って行くカップルの後ろ姿を目を眇めながら見送った。
邪魔者がいなくなったので、リュックからカメラを取り出して、社殿の付近にある大きな木の枝の付近に固定した。
広角カメラの映像は尊のスマホに転送される仕組みになっていた。
やれやれ、睡眠不足の日が続きそうだ。
タバコを吸い終わると、尊は携帯灰皿に吸い殻を突っ込む。
カップルの男が言ったように祟りや呪いを信じるタイプかと問われれば、尊の答えはイエスでもノーでもなかった。都市伝説研究家としては、その曖昧な答えは批判されるだろう。だけど、怪異なんてものは証明できないから怪異だし、古来から祟りや呪いがあり続けるのは、それなりの理由があるからだ。
曇天だった空から少しだけ、太陽が覗いた。
家の裏の畑に苗を植えた康介は、草地に腰を下ろすと、自分で拵えた握り飯を頬張った。
来年の春にはトマトや茄子、胡瓜などがとれる。その画像をSNSにアップするのもいいだろう。そして、財糸村を全国にアピールする。そうすれば移住者が増えるかもしれない。ただあまり、移住者が増えると、静かな田舎暮らしが台無しになる危険はあった。だが、康介はもっとこの村のことを知ってもらいたいと思った。
康介の中で青写真が徐々にではあるが、出来上がりつつあった。
粗方、握り飯を食べ終えた時、向こうから男女二人が康介の方に歩いてくるのを認めた。
「よおう。元気にやってるか?」
男は大祐だった。女性は沙穂で、大祐の明るい表情とは裏腹に、暗い顔をしている。
瞬間、康介は立ち上がって二人を出迎えた。
「おお、農夫の格好、様になってるな。スーツよりも、そっちの方が合ってるんじゃないか」
大祐は相変わらず軽口を叩く。会社にいた頃がまだ最近なのに、懐かしい。
「二宮くんが話があるってさ」
大祐は隣で直立不動の沙穂に目配せをした。
康介は沙穂と目が合った。沙穂の猫を思わせる目は男心をくすぐる。
「お久しぶりです」
沙穂は他人行儀な声を発した。
「ああ。久しぶり。そうだ。ここじゃなくて、中で話を聞くよ。妻も娘もいないから。さ、どうぞ」
康介が歩き出そうとすると、沙穂はよく通る声で遮った。
「結構です。話ならすぐに済みますから。康介さん、わたし、諦めませんから」
隣にいた大祐がギョッとした顔つきになる。
「睦美ちゃん、喘息の症状が起きて、わたしが介抱しました。わたしには康介さんに貸しがあります」
康介と沙穂はしばらく見つめ合った。
「本当かい?睦美は大丈夫だったのか?」
「ええ。睦美ちゃん、誰もいない家で寂しそうでした。こんな時に奥さんはお仕事なんて。あなたも外出してて、睦美ちゃんが可哀そうです」
「いや、本当に何て言ったらいいのか。以後、気をつけるよ」
「話は終わりかな?」
大祐は痺れを切らして訊いた。
「今日は、もういいよ。また訪ねて来てもいいかしら?」
「あ、もちろん。会社の話とか聞きたいしね」
康介は額に浮かんだ汗を手拭いで拭いた。嫌な汗をかいていた。
夕食の支度をして、村長の家を後にし、家路を急いでいると、村の住人である、一人の老婆に百合子は声をかけられた。
「そこのあなた、お子さんはいるのかな?」
百合子は振り返ると、腰の曲がった老婆が杖をついた状態で立っていた。
長い間、野良仕事をしていたせいか、顔はこんがりと日焼けしていた。
「あ、あの...」
百合子は怖くなった。この村の人間は気安く人に話しかけてこないだろうという安心感があったばかりに、老婆の行動はまったくの不意打ちだった。
老婆は洗練された服の百合子を物珍しそうに眺めた。
「お子さんは男の子かい?女の子かい?」
「えっと、女の子です...」
「ほう。そりゃ可愛いだろうねえ。名前はなんと言うんだい?」
「睦美です」
「睦美ちゃん...」
老婆は娘の名前を呪文のように呟いた。
あまり、関わらない方がいいかもしれないと思い、百合子はその場を辞去しようとした。
「あなたの大切な娘さん、心配だねえ」
意味深な発言に百合子の足が止まる。
「わたしの娘は歳の割にしっかりしていますから」
「確かに、利発そうな子だねえ。お母さんに似て、顔も美人だ。ネバタマ様はね、ああいう子を好むのだよ」
百合子は耳ざとくネバタマ様という単語を捉える。
「あの、ネバタマ様なんて、いるのかしら?」
「おや?あなたは本当はいないと思ってるだろう。でも、残念ながら、ネバタマ様はいるのさ。あの神社の社殿の奥で今か今かと、這い出る準備をなさっとる」
老婆は何が面白いのか、欠けた前歯を見せて笑った。
百合子は足元から怖気がし、膝が勝手に震えた。
「そうじゃのう。今頃の季節がネバタマ様が活発になる時期じゃなあ。だけどな、ネバタマ様は人目がある所には出没せん。だからネバタマ様は村中の人が寝静まった時に姿を見せる」
「あなたは見たことがないんですか?」
「見たことはない。だから、村の人間はネバタマ様がどういうものか、想像でしか言えない。モスラみたいな怪獣だという人もいれば、ダンゴムシみたいな形をしているという人もいる。本当に皆、想像力がたくましい」
「この村に移住してきた子どもがいなくなったりするのは、その、ネバタマ様の仕業なんですか?」
「そうじゃ。それ以外に何があるってんだ?ただね、ネバタマ様にも弱点があってな。やっぱり人の目だよ。恥ずかしがりやなのかわからないが、とにかく、見られることを嫌う。だからね、自分の子どもを守るには、寝ずの番だよ」
「寝ずの番なんて、人間は眠らないわけにはいきません」
「だがな、三日間、寝ずの番をしていれば、ネバタマ様も諦めて、現れん。たかだか三日だよ。どうってことはない」
人は三日間眠らないと、どうなるのだろう。でもと、思いとどまる。昼間に眠ればいい。
「あなたの言う通り、昼間に眠っておけば問題はない。ただ、昼夜逆転の生活なんてすぐにはできないものだがな。ああ、あなた、都会からやって来たから、夜更かしはなんて、お手のものだろうねえ」
老婆は試すような視線を向けた。
「あの、ネバタマ様が動くのが今頃だとおっしゃっいましたが、厳密に言えば、いつぐらいか教えていただきたいです」
百合子は平身低頭で伺う。
「うん。あなたは感じがとてもいいから、教えてやろう。ネバタマ様は十一月二十日から二十六日の間に社殿から這い出ると言われておる。その間だけは我が子に注意を払っておいた方がいいな」
「ありがとうございます」
老婆は伝えるべきことを伝えたので、一礼すると踵を返して歩き出した。
再び、尊は財糸村へカメラを設置しに向かうことになった。
高感度の広角カメラは潤子の知り合いということもあって、値引きはしてもらったが、それでも懐は痛かった。とりあえず、麻奈の実家から借金という形をとり、カメラの購入資金にあてた。
事務所はしばらく閉鎖し、いっさいの依頼は受け付けず、尊はネバタマ様の実態を暴こうと決意した。その過程で、もしかすると、行方不明になった子どもの所在もわかるかもしれないという淡い期待を抱いた。
今日は生憎の曇天だった。
車の後部座席に置いてある広角カメラだけが、今のところ頼りだ。
尊はネバタマ様が祀ってある神社に赴いた。
誰もいないと思っていた神社にカップルがいた。
ひと目で村の住人ではないとわかった。どうやら物好きな観光客らしく、男の方がスマホのカメラを社殿に向けていた。
「ちょっと、カメラはやめた方がいいわ。呪われたりしたら、どうするの?」
若い女性が男の行動を窘めた。
「まさか、祟りだとか、呪いとか信じちゃう?そこが今どきだね」
「だって、この時期になると、ネバタマ様がここから出て、子どもを攫って...」
「なあ、不思議だとは思わないか?どうして子どもなんだ?別に攫うのは大人でみいいわけだろう」
「そんなのわたしに訊かないでよ。村の人もネバタマ様の話になると、貝のように口を閉ざすんだから」
「ネバタマ様をこのカメラに収めて、マスコミにでも売ったら、さぞかしいい値になるかな?」
「あなたって、金儲けのことばかりね」
「だってさ、いつまでもサラリーマン生活してたって高が知れてるだろう。さっさと見切りをつけて、自由な身になりたいよ」
「それ、怠け者の発想よ」
楽しそうに話しているカップルをやり過ごしながら、カメラをどこに設置しようかと思案していた。
普段は吸わないタバコを咥え、やがて興味を失くして立ち去って行くカップルの後ろ姿を目を眇めながら見送った。
邪魔者がいなくなったので、リュックからカメラを取り出して、社殿の付近にある大きな木の枝の付近に固定した。
広角カメラの映像は尊のスマホに転送される仕組みになっていた。
やれやれ、睡眠不足の日が続きそうだ。
タバコを吸い終わると、尊は携帯灰皿に吸い殻を突っ込む。
カップルの男が言ったように祟りや呪いを信じるタイプかと問われれば、尊の答えはイエスでもノーでもなかった。都市伝説研究家としては、その曖昧な答えは批判されるだろう。だけど、怪異なんてものは証明できないから怪異だし、古来から祟りや呪いがあり続けるのは、それなりの理由があるからだ。
曇天だった空から少しだけ、太陽が覗いた。
家の裏の畑に苗を植えた康介は、草地に腰を下ろすと、自分で拵えた握り飯を頬張った。
来年の春にはトマトや茄子、胡瓜などがとれる。その画像をSNSにアップするのもいいだろう。そして、財糸村を全国にアピールする。そうすれば移住者が増えるかもしれない。ただあまり、移住者が増えると、静かな田舎暮らしが台無しになる危険はあった。だが、康介はもっとこの村のことを知ってもらいたいと思った。
康介の中で青写真が徐々にではあるが、出来上がりつつあった。
粗方、握り飯を食べ終えた時、向こうから男女二人が康介の方に歩いてくるのを認めた。
「よおう。元気にやってるか?」
男は大祐だった。女性は沙穂で、大祐の明るい表情とは裏腹に、暗い顔をしている。
瞬間、康介は立ち上がって二人を出迎えた。
「おお、農夫の格好、様になってるな。スーツよりも、そっちの方が合ってるんじゃないか」
大祐は相変わらず軽口を叩く。会社にいた頃がまだ最近なのに、懐かしい。
「二宮くんが話があるってさ」
大祐は隣で直立不動の沙穂に目配せをした。
康介は沙穂と目が合った。沙穂の猫を思わせる目は男心をくすぐる。
「お久しぶりです」
沙穂は他人行儀な声を発した。
「ああ。久しぶり。そうだ。ここじゃなくて、中で話を聞くよ。妻も娘もいないから。さ、どうぞ」
康介が歩き出そうとすると、沙穂はよく通る声で遮った。
「結構です。話ならすぐに済みますから。康介さん、わたし、諦めませんから」
隣にいた大祐がギョッとした顔つきになる。
「睦美ちゃん、喘息の症状が起きて、わたしが介抱しました。わたしには康介さんに貸しがあります」
康介と沙穂はしばらく見つめ合った。
「本当かい?睦美は大丈夫だったのか?」
「ええ。睦美ちゃん、誰もいない家で寂しそうでした。こんな時に奥さんはお仕事なんて。あなたも外出してて、睦美ちゃんが可哀そうです」
「いや、本当に何て言ったらいいのか。以後、気をつけるよ」
「話は終わりかな?」
大祐は痺れを切らして訊いた。
「今日は、もういいよ。また訪ねて来てもいいかしら?」
「あ、もちろん。会社の話とか聞きたいしね」
康介は額に浮かんだ汗を手拭いで拭いた。嫌な汗をかいていた。
夕食の支度をして、村長の家を後にし、家路を急いでいると、村の住人である、一人の老婆に百合子は声をかけられた。
「そこのあなた、お子さんはいるのかな?」
百合子は振り返ると、腰の曲がった老婆が杖をついた状態で立っていた。
長い間、野良仕事をしていたせいか、顔はこんがりと日焼けしていた。
「あ、あの...」
百合子は怖くなった。この村の人間は気安く人に話しかけてこないだろうという安心感があったばかりに、老婆の行動はまったくの不意打ちだった。
老婆は洗練された服の百合子を物珍しそうに眺めた。
「お子さんは男の子かい?女の子かい?」
「えっと、女の子です...」
「ほう。そりゃ可愛いだろうねえ。名前はなんと言うんだい?」
「睦美です」
「睦美ちゃん...」
老婆は娘の名前を呪文のように呟いた。
あまり、関わらない方がいいかもしれないと思い、百合子はその場を辞去しようとした。
「あなたの大切な娘さん、心配だねえ」
意味深な発言に百合子の足が止まる。
「わたしの娘は歳の割にしっかりしていますから」
「確かに、利発そうな子だねえ。お母さんに似て、顔も美人だ。ネバタマ様はね、ああいう子を好むのだよ」
百合子は耳ざとくネバタマ様という単語を捉える。
「あの、ネバタマ様なんて、いるのかしら?」
「おや?あなたは本当はいないと思ってるだろう。でも、残念ながら、ネバタマ様はいるのさ。あの神社の社殿の奥で今か今かと、這い出る準備をなさっとる」
老婆は何が面白いのか、欠けた前歯を見せて笑った。
百合子は足元から怖気がし、膝が勝手に震えた。
「そうじゃのう。今頃の季節がネバタマ様が活発になる時期じゃなあ。だけどな、ネバタマ様は人目がある所には出没せん。だからネバタマ様は村中の人が寝静まった時に姿を見せる」
「あなたは見たことがないんですか?」
「見たことはない。だから、村の人間はネバタマ様がどういうものか、想像でしか言えない。モスラみたいな怪獣だという人もいれば、ダンゴムシみたいな形をしているという人もいる。本当に皆、想像力がたくましい」
「この村に移住してきた子どもがいなくなったりするのは、その、ネバタマ様の仕業なんですか?」
「そうじゃ。それ以外に何があるってんだ?ただね、ネバタマ様にも弱点があってな。やっぱり人の目だよ。恥ずかしがりやなのかわからないが、とにかく、見られることを嫌う。だからね、自分の子どもを守るには、寝ずの番だよ」
「寝ずの番なんて、人間は眠らないわけにはいきません」
「だがな、三日間、寝ずの番をしていれば、ネバタマ様も諦めて、現れん。たかだか三日だよ。どうってことはない」
人は三日間眠らないと、どうなるのだろう。でもと、思いとどまる。昼間に眠ればいい。
「あなたの言う通り、昼間に眠っておけば問題はない。ただ、昼夜逆転の生活なんてすぐにはできないものだがな。ああ、あなた、都会からやって来たから、夜更かしはなんて、お手のものだろうねえ」
老婆は試すような視線を向けた。
「あの、ネバタマ様が動くのが今頃だとおっしゃっいましたが、厳密に言えば、いつぐらいか教えていただきたいです」
百合子は平身低頭で伺う。
「うん。あなたは感じがとてもいいから、教えてやろう。ネバタマ様は十一月二十日から二十六日の間に社殿から這い出ると言われておる。その間だけは我が子に注意を払っておいた方がいいな」
「ありがとうございます」
老婆は伝えるべきことを伝えたので、一礼すると踵を返して歩き出した。

