君がいなくなってからの僕は

 結局、宮下さんが目を覚ましたのは放課後になってからだった。ホームルームで自己紹介をして、席に戻るなり、タブレット菓子のようなものを一粒飲み込んで、その後からぐっすりだ。一時間目から昼休みを挟んで六時間目まで、隣の席の僕が何度揺すってもビクともしなかった。夜勤明けだと言っていたし、やはり疲れているのだろう。幸せそうな寝顔を見ていると、起こすのも忍びない。自力で起きるのを待つしかなかった。

 「おはようさん」

 目を覚まし、周囲を見回して、頬にほんのり薄紅色を浮かばせる。気まずさは感じてくれているようだ。

 「おはようございます」
 「んー、よく寝た」

 うーんと上に伸びをしてから、あくびをひとつ。気まずさはあっても、眠気のほうが勝るのか。

 いっしょに登校してきた僕は、学級委員の矢作くんから『転入生の《《介護》》役』を任されてしまっている。とはいえ、他人から押しつけられなくとも、僕には宮下さんを学校まで付き合わせてしまった、という引け目があるから、見捨てはしない。授業が始まる前から覚悟していた。言われなくとも、だ。

 「お昼休み?」
 「違います。もう下校の時間です」

 とぼけているのではなく、真面目に勘違いしている様子。僕に指摘されてから、まぶたをこすり、教室の壁掛け時計を見る。

 「起こしてくれたってええやんか! 焼きそばパンを楽しみにしとったのに!」

 おもむろに宮下さん自身のスクールバッグから取り出される焼きそばパン。よく教科書で潰されなかったな、って、よくよく見たら焼きそばパンしか入ってない。この人、最初から授業を受ける気ゼロか。参ったな。

 「何度も起こそうとしました」

 学校生活における至福のひとときといえば昼休みだ。昼休みに、生徒は『立ち入り禁止』とされている屋上にこっそりと侵入してから、青空の下で食べるお昼ご飯こそが、この世でもっとも美味しい食事だった。うっかりのミスで母さんがお弁当におかずを詰め忘れた時でさえ、ただの白いご飯が何億倍も美味しく感じたものだ。

 あの時間は、もう二度と訪れない。寂しさが僕の心を冷やす。卒業までずっと、こうして、ふたりきりの時間を過ごそうとしていたのに。

 「ほんまに? ……ああ、そうなんや」

 僕ではなく、僕のそばにいるらしい大輔に聞いたようだ。君も加勢してくれていただろうか。

 「帰りましょう」

 一週間ぶりの授業は、ついていくのに一苦労だった。当たり前のことだが、一週間ぶん、授業は進行している。僕だけのために立ち止まり、一週間前から振り返ってくれるような先生はいない。英語なんて最悪だった。いきなり小テストから始まるんだもの。なんとか空欄を埋めたはいいが、次の授業で返されるのが怖い。

 「せやな。夢に、こーんな大きなおにぎりが出てきたで」

 宮下さんはのんきなもので、こーんな、とジェスチャーを交えながら、先ほどまで見ていた夢の世界の話をし始めた。それもそうか。宮下さんには大学受験がない。僕の付き添いで学校に通い始めただけだから、学校の成績なんて気にしていないのだろう。

 少しは気にしてほしい。授業中に爆睡していたせいで、今日だけですでに三人ほどの先生に目を付けられている。

 「宮下さん、僕の家に来ますよね?」
 「上がらせてもらえるのなら、大輔くんの家のベッドで寝かしてもらおうか。まー、家に帰っても、夜勤の時間まで寝るだけやし、大輔くんの家からのほうがバイト先に近い」
 「あっ、コラ」

 僕は慌てて宮下さんの口を手で塞ぐ。成海学園はバイト禁止だ。学園長に告げ口されたら、一発アウトである。……まあ、おそらく、表立ってバイトの話をしていないだけで、裏では隠れてバイトしている人がいるのだろう。そうでなきゃ、年度の途中で退学になるような人はいない。

 「……失礼」
 「大輔くんは激しいなあ」

 急に夜勤とかバイト先とかいう単語を出すからやで。あ、関西弁がうつった。関西弁って、妙に脳に残る。

 「学校は勉強しに来る場所で、学生の本分は勉強に励むことです」
 「勉強、勉強やねえ」
 「なんですか?」
 「学校で勉強して、雄大くんは将来何になるん?」

 夢の話から将来の話になった。僕には、目標はない。君は医者になりたかったんだっけ。医者になって、病気で苦しんでいる人を救いたい。なぜなら、君の弟が、病気で亡くなったから。君は、同じ思いをする人たちを減らせたらいいな、って、語っていた。同じような家族を、病院で見かけたのだろう。僕はこの話を聞いて、君を応援したくなった。君には頑張ってほしかったのに、どうして君はいなくなってしまったのか。

 「父さんは『医者になれ』って言ってた」

 君の夢は素晴らしいものだけど、僕に示された道は、同じ終着点であるはずなのに、ぬかるんでいる。僕には理想がない。

 父さんは医学部の受験に失敗して、浪人してから薬学部に入っている。医学部の再受験といかなかったのは、今は亡き父方の祖父母からの「向いてないんじゃないの?」のお言葉があってのこと。だから『医学部』という場所に、あるいは、医者という職業に、憎しみにも似たコンプレックスを持っていた。それでいて息子には「医者になれ」と言うのだから、ややこしい。

 「ええやん。高給取りやで。雄大くんにはウチの主治医になってもらいたいなあ」
 「宮下さんの?」
 「そんで、タダで薬を渡して?」
 「そんなことしたら、僕がクビになってしまいます」
 「バレなきゃええんよ。バレなきゃ」