僕と君が、肩を並べて登校したことはない。僕が君に会えるのは、学校に到着してからだった。
君の姿は見えない。僕には、見えない。見える宮下さん曰く「ちゃんと着いてきとるよ」とのことだ。
一度ぐらい、こうして、君とふたりで歩いてみたかった。僕の家に帰るときだけではなく、こういう、通学の時間も。昨日のゲームの話とか、今日の授業のこととか、母さんが作ってくれた弁当のこととか。君とできなかったことを、君がつなげた奇妙な縁で実現している。
「つかぬ事をお聞きしますが」
「どうしました？」
宮下さんの足取りが重くなった。校門は目と鼻の先。飄々としたつかみ所のない関西弁から、敬語に変わっている。イントネーションが標準語寄りだ。
「この成海学園って学校、男子しかおらん？」
「男子校です」
「はぁあああああああああああ？」
通学路の脇にしゃがみ込む。急にどうしたのだろう。……まさか、知らなかった？
「知らなかったんですか？」
僕と宮下さんとでは“知識の範囲”が違うようだ。バカにしてない。お互いが有している“常識”が、微妙に噛み合わない。けれども、ちっとも不快ではなくて、話していて心地よさがある。
宮下さんは家業を継いだ義母妹の吉能氏を手伝いつつの実家暮らし。主な収入源は、週四日のコンビニバイト。接客業に従事しているから、これだけ話しやすいのかな。
僕の家からこの学校前まで、僕は道案内をしつつ、宮下理緒がどんな人間なのかを知りたくて、いろいろと質問していった。宮下さんは包み隠さずなんでも答えてくれている。僕のほうが、会ったばかりの年下の人間があれこれと詮索するのは失礼なのではないか、と、さんざん聞き出した後に悩んだ。
ちなみに髪の毛が長いのは、忙しくて髪を切りに行く暇がないから、らしい。意識して伸ばしているのではなく、美容院に行き来する時間があれば寝たいのだとか。まだるっこしいから一つ結びにしている、と言うが、宮下さんの雰囲気には合っているので、このまま切らなくてもいいと思う。
「なんで吉能がこの仕事をウチに振ったんか謎やったけど、ようやっとわかったわ。吉能じゃ学校に入れへんからや。吉能、ここまでお見通しやったか」
「男子校ですからね」
父さんの昨晩のあの口ぶりを思い出すと、宮下さんではなく吉能氏ご本人にお越しいただきたかったようだ。しかし、宮下さんの話と照らし合わせると、父さんの母校が男子校だったがために吉能氏ではなく宮下さんが選ばれた、となる。皮肉なものだ。父さんは成海学園を愛しているのに、成海学園は父さんの下心を裏切った。
「女子高生と楽しく学園生活を送れるって期待しとったのに」
「俗っぽい」
ついでに宮下さんの下心をも打ち砕いている。僕は中学校までは共学だったわけだが、女子は怖い。いつも仲良しグループで動き回っていて、些細なことでグループが瓦解したり、悪口を言い合ったりしていて、傍から見ていると恐ろしかった。友だち同士のはずなのに、一人が先に帰るとその人の陰口が始まる。
成海学園に入学して、君と出会えてよかった。父さんに選ばされたのではない。君と出会ってから、僕は、君と出会うためにこの学校を選んだのだと思えた。父さんの意志ではない。
「雄大くんは男子校だってわかってて入っとるんやからええやろがい。ウチは失われた青春を取り戻そうと思ってたんよ」
「ご愁傷様です」
宮下さんはいじけて、路肩の雑草を抜き取り、ぽいっと捨てている。始業のチャイムが鳴る前に立ち直ってほしい。
「吉能のせいや！ 異母兄の心を弄ぶ、諸悪の！ 根源！」
ダメだこの人。早くなんとかしないと。
「女子高生なら、バイトで」
「おるけど、職場恋愛はろくなことにならんから」
「はあ……そうですか……」
「学生は不安定なんよ。試験があるだの何だのって理由付けて、勝手に休む。休まんでほしいよな。せやせや。雄大くんに教えちゃるけん、バイトをトぶヤツの共通点があってな。辞める前にいきなりシフト増やすんよ。お、やる気あるやんけ、って思ったら、十五日以降に来なくなんの。十五日までの勤怠で給料が決まるから、翌日は翌月やん？」
変なスイッチを押してしまった。どうしよう。こういうとき、君ならどうする？
「バイト禁止なので、知りませんでした」
「せんでいいならせんほうがええよ。あー。眠い眠い」
宮下さんは大あくびをした。ずいぶんと眠たそうだ。
「あの後、夜勤して、夜勤明けに家でシャワー浴びて、雄大くんをお迎えにきた」
「え……」
草むしりの奇行に走ったのは、寝れていないから？
「そらそうや。夜勤入っとったのに、当日に『休みます』はできへんよ。夜勤がトぶんがいっちゃん深刻やで」
「結構真面目なんですね、バイトに関しては」
「寝る。授業中に寝る。だるい」
この人、初日から寝る気だ。僕がなんとかしないと。宮下さんがこの学校に通うことになったのは、僕のせいだ。だから、僕が宮下さんを支えなくちゃ。
君の姿は見えない。僕には、見えない。見える宮下さん曰く「ちゃんと着いてきとるよ」とのことだ。
一度ぐらい、こうして、君とふたりで歩いてみたかった。僕の家に帰るときだけではなく、こういう、通学の時間も。昨日のゲームの話とか、今日の授業のこととか、母さんが作ってくれた弁当のこととか。君とできなかったことを、君がつなげた奇妙な縁で実現している。
「つかぬ事をお聞きしますが」
「どうしました？」
宮下さんの足取りが重くなった。校門は目と鼻の先。飄々としたつかみ所のない関西弁から、敬語に変わっている。イントネーションが標準語寄りだ。
「この成海学園って学校、男子しかおらん？」
「男子校です」
「はぁあああああああああああ？」
通学路の脇にしゃがみ込む。急にどうしたのだろう。……まさか、知らなかった？
「知らなかったんですか？」
僕と宮下さんとでは“知識の範囲”が違うようだ。バカにしてない。お互いが有している“常識”が、微妙に噛み合わない。けれども、ちっとも不快ではなくて、話していて心地よさがある。
宮下さんは家業を継いだ義母妹の吉能氏を手伝いつつの実家暮らし。主な収入源は、週四日のコンビニバイト。接客業に従事しているから、これだけ話しやすいのかな。
僕の家からこの学校前まで、僕は道案内をしつつ、宮下理緒がどんな人間なのかを知りたくて、いろいろと質問していった。宮下さんは包み隠さずなんでも答えてくれている。僕のほうが、会ったばかりの年下の人間があれこれと詮索するのは失礼なのではないか、と、さんざん聞き出した後に悩んだ。
ちなみに髪の毛が長いのは、忙しくて髪を切りに行く暇がないから、らしい。意識して伸ばしているのではなく、美容院に行き来する時間があれば寝たいのだとか。まだるっこしいから一つ結びにしている、と言うが、宮下さんの雰囲気には合っているので、このまま切らなくてもいいと思う。
「なんで吉能がこの仕事をウチに振ったんか謎やったけど、ようやっとわかったわ。吉能じゃ学校に入れへんからや。吉能、ここまでお見通しやったか」
「男子校ですからね」
父さんの昨晩のあの口ぶりを思い出すと、宮下さんではなく吉能氏ご本人にお越しいただきたかったようだ。しかし、宮下さんの話と照らし合わせると、父さんの母校が男子校だったがために吉能氏ではなく宮下さんが選ばれた、となる。皮肉なものだ。父さんは成海学園を愛しているのに、成海学園は父さんの下心を裏切った。
「女子高生と楽しく学園生活を送れるって期待しとったのに」
「俗っぽい」
ついでに宮下さんの下心をも打ち砕いている。僕は中学校までは共学だったわけだが、女子は怖い。いつも仲良しグループで動き回っていて、些細なことでグループが瓦解したり、悪口を言い合ったりしていて、傍から見ていると恐ろしかった。友だち同士のはずなのに、一人が先に帰るとその人の陰口が始まる。
成海学園に入学して、君と出会えてよかった。父さんに選ばされたのではない。君と出会ってから、僕は、君と出会うためにこの学校を選んだのだと思えた。父さんの意志ではない。
「雄大くんは男子校だってわかってて入っとるんやからええやろがい。ウチは失われた青春を取り戻そうと思ってたんよ」
「ご愁傷様です」
宮下さんはいじけて、路肩の雑草を抜き取り、ぽいっと捨てている。始業のチャイムが鳴る前に立ち直ってほしい。
「吉能のせいや！ 異母兄の心を弄ぶ、諸悪の！ 根源！」
ダメだこの人。早くなんとかしないと。
「女子高生なら、バイトで」
「おるけど、職場恋愛はろくなことにならんから」
「はあ……そうですか……」
「学生は不安定なんよ。試験があるだの何だのって理由付けて、勝手に休む。休まんでほしいよな。せやせや。雄大くんに教えちゃるけん、バイトをトぶヤツの共通点があってな。辞める前にいきなりシフト増やすんよ。お、やる気あるやんけ、って思ったら、十五日以降に来なくなんの。十五日までの勤怠で給料が決まるから、翌日は翌月やん？」
変なスイッチを押してしまった。どうしよう。こういうとき、君ならどうする？
「バイト禁止なので、知りませんでした」
「せんでいいならせんほうがええよ。あー。眠い眠い」
宮下さんは大あくびをした。ずいぶんと眠たそうだ。
「あの後、夜勤して、夜勤明けに家でシャワー浴びて、雄大くんをお迎えにきた」
「え……」
草むしりの奇行に走ったのは、寝れていないから？
「そらそうや。夜勤入っとったのに、当日に『休みます』はできへんよ。夜勤がトぶんがいっちゃん深刻やで」
「結構真面目なんですね、バイトに関しては」
「寝る。授業中に寝る。だるい」
この人、初日から寝る気だ。僕がなんとかしないと。宮下さんがこの学校に通うことになったのは、僕のせいだ。だから、僕が宮下さんを支えなくちゃ。
