◼️◼️◼️にまつわる物語


 ——こんにちは。



 どうぞ、お入りになって。
 大丈夫よ、別にとって食うなんてことはないから。安心してね。ああ、上着はあちらに。ハンガーがありますのでどうぞ使ってください。
 ……………。
 お名前、お伺いしてもよいかしら。



 ナナシ。ナナシ、リヒトさん。



 変わったお名前ね。ナナシ……。はじめて聞く苗字だわ。とっても縁起がいいわね。
 ほら、数字の七ってラッキーナンバーって言うでしょう? 私、そういうのって好きなのよ。験担ぎじゃないけれど、普通の名前の人よりも幸せになれる気がするわ。苗字は自分で選ぶことはできないから、あなたはとても運がいいのね。
 でも……不吉な感じもするわね。苗字の中に、『シ』も入っている。不吉な言葉とか、不吉な数字と重なるわ……。漢字ではどう書くの? うん……。うん……。ああ、『司』なのね。(ナナ)()さん。それはよかったわね。いい響きと悪い響きが入っていても、漢字にすると、幸せのほうが勝ってる感じがするわ。でも……やっぱり気になるかしら。
 私はね、ヨシミというの。漢字は、『好き』に、『見る』と書いて、(ヨシ)()。好見キク。よくある名前でしょう。でもね、私は本当にこの名前が嫌いなの。すごく、不吉なんだもの……。
 ああ、ごめんなさい。どうぞお掛けになって。
 申し訳ないけれど、私は横になったままで失礼するわね。
 …………。
 ああ、これ?
 千羽鶴よ。
 ほら、こんなところにひとりでいると退屈でしょう。だから、暇つぶしに作っているの。
 ……ねえ。
 あなたも作ってみない……?


 …………。
 …………。
 なんでもないわ。手は止めないでちょうだい。
 この部屋に職員以外の人間が入るのがはじめてだから、少し緊張しているだけよ。
 あとね、……恐ろしいの。
 あなたは気づいてないだろうけどね、私は今、たくさんの人に見張られているのよ。
 彼らは、どこからか私を見ている。どんなときも私を狙っているのよ。私の場所を奪おうと、タイミングを計っているの。自分の利益のためにね。
 いいえ、見えないわ。あなたにも、私にも、見えないの。でもいるの。遠い過去から、この先の未来から、あいつらはずっと私を監視しているの。気を抜くと叫び出しそうになるのよ。とても恐ろしいわ……。
 …………。
 そのまま聞いてちょうだい。
 私の祖父母の、その祖父母の……私のずっと昔の、祖先の話よ。
 私の祖先、『好見家』は、ある村に住んでいたの。
 ここからそう遠くないところでね。山あいの土地を切り拓いて住みはじめたそうよ。
 そのころはまだ苗字がない時代でね。(ヨシ)()ではなくて、ヨスミと呼ばれていたわ。
 村には、区長のような家族が四家族いてね。みんなまとめて『お隅さん』と呼ばれていたの。だけど個別には、

 (イチ)(スミ)さん、
 ()(スミ)さん、
 (サン)(スミ)さん、
 ()(スミ)さん、

 そう呼ばれていたわ。今でいうあだ名みたいなものね。私の祖先は、村の東側を守っていた四隅さんだったわ。
 不便な土地柄だったけれど、特産物に恵まれてね。多くの村民と仲よく暮らしていたそうよ。だけどある日、暴動が起きてね……。
 一隅さんとその仲間たちが、ほかの人々を追い出してしまったの。
 その夜の惨劇は、相当なものだったようよ。一隅さんの区画は一番住民が多かったから、有利だったのね。真夜中に突然、二隅さんたちが襲われ、三隅さんたちも襲われ……私の祖先、四隅の人間たちもひどい目に遭ったそうなの。殺されたり、命からがら村を逃げ出したりね。
 多くの人が亡くなった。負けたほうも、勝ったほうも。きっとあの日、村にはたくさんの恨みの念が溢れたでしょうね。その後、不思議なことが起きたの。
 あの村に住んでいた人が、心を病んでいったのよ。
 不思議な不安に駆られるようなった。戦いはもう終わったといのに、まだ誰かが自分たちを見ているような予感。今日、いや今、殺されるかもしれない恐怖感。次第に物音や気配に過敏になり、言動がおかしくなる人が続出したの。そして突然叫んだり、幻覚を見たかのように逃げ出して崖から飛び降りる人まで現れた……。
 そこまでなら、集団でトラウマを抱えているだけのようにも見えるでしょう。でも、ほかの現象は説明がつかない。彼らは、『隅』を守らなければいけない、という脅迫的な感情に取り憑かれたの。
 守れなかった、自分の居場所。奪われたあの土地を、今度こそ守らなければ……その感情から、彼らは部屋の隅に留まらずにはいられない身体になってしまった。もはや、どこでもいい。空間の隅に身を置きたくてたまらなくなって……。

 ……あなた、聞いてる?

 ちゃんと聞きなさい。
 あなたにも無関係な話じゃないのよ。

 不可思議な欲求は、そうして村人たちを苦しめ続けたわ。
 そんな中、彼らが唯一心を保てる手段が、敵対する人たちを監視することだったそうよ。一隅さんたちなら、二隅さんたちや三隅さんたちを。二隅さんたちなら、三隅さんたちや四隅さんたちを監視するの。そして反撃の意思がないと確認することで、ようやくほっとできた……。
 これはもう、四角村の呪いね。
 すべて壊れてしまった。もう戻れない。互いが憎しみあった結果、こんなことになってしまった。
 あんな戦いなんて、起きなければよかったのに……。

 …………。
 なぜ、私があなたにこの話をしたかわかるかしら?

 ふふ。わからなくていいの。わかりっこないもの。だって、誰でもよかったのよ。お話を聞いてくれそうな人なら誰でも。本当はこんな話、あなたにはまるで関係のないことなの。

 でも、今日からは違う。あなたも当事者になるのよ。

 あなたは今、私のことを話し相手が欲しがっている、孤独な老婆だと思っているわね?
 この昔話も、ただの過去で、自分はただ聞くだけでいいと思っているわね?
 でも違うのよ。今だって、戦いは続いている。
 私は四隅の家の生き残り。苗字を与えられた明治時代、忌まわしき名前を捨てて『(ヨシ)()』と名乗りはじめたそうだけど、当然呪いは捨てられなかった。
 逃れるためには、仲間を増やす必要があるの。
 仲間を増やして、あいつらに勝たなければならないのよ。



 ふふ。



 あなたはもう、私の仲間よ。