◼️◼️◼️にまつわる物語


 @有権者の戯言-sn0

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『お墨さんへの顔見せ』

 これは今から二十年ほど前、筆者がまだIT広告業界の一端として人生を消費していたころの話である。

 当時、web系の零細企業に勤めていた私は絶望していた。憧れを持って入ったこの業界が、中身のない数字で成り立っているということに気づいたのだ。華やかな業界に身を置きたい。クライアントの想いをデザインで伝えたい。そんな幻想を持って入社した私の心は、現実を前に跡形もなく砕け散った。仕事の中にクリエイティブ性などは微塵もなかった。かわりにあるのは、いかにクライアントを言いくるめられるか、結果を捏造できるか、私が出した広告に意味があったかのように見せられるか……そんな虚構ばかりだった。いま思えば、これは私が入社した会社が嘘だらけの悪徳企業だっただけの話であり、さっさと転職すればよかったのだ。しかしそんな勇気はなかった。自分には理想の企業に入れるような実力はないとわかっていた。これから先も、私は有名デザイナーに発注をかけるような機会はないだろう。私にできることといえば、フリー素材をつなげて悪趣味なバナーを作ること、そして検索順位とクリック率の資料をでっち上げることだけだった。

 ある朝、私はいつものように五時に起き、東部東上線の改札をくぐっていた。これから仕事だが、モチベーションはない。今日も私は見向きもされない広告を生み、世界を汚すのだろう。不眠の頭を拳で小突きながら歩を進める。自己嫌悪で吐き気がしている。朦朧とした頭のまま視線を上げると、ふとサラリーマンたちの波がほどけ、その先にある下りのホームが目に入った。
 『いつもと変わらない朝、会社とは反対方向の電車に飛び乗って、どこか遠くへ行ってみたい』。どこかで聞いたキャッチコピーが頭をよぎったかと思うと、私の足は勝手に歩を止め、踵を返していた。階段を上り、見慣れない通路を走り抜ける。ちょうどやってきた車両に、行き先を見ずに乗り込む。そうしてどこまで進んだのだろう。終点が来ては乗り換え、終点が来ては乗り換えを繰り返し、線路が途絶えると今度はバスに乗った。そうして気づいたころには、私は野山に囲まれていた。
 その場所は、なんの観光要素もなさそうな廃れた村だった。
 太陽は山の裏側へと姿を消し、あたりは闇に飲み込まれようとしている。どこか排他的な家々だけが、視界の中を音もなく浮き上がってくる。
 寝床を探そうにも、こういった村は他人の介入を許さないのだろう。夕空を見上げながらバス停のベンチにもたれかかった。どうでもいい。もう、ここで死んでもいい。
 そう思ったときだった。

「……そこのバス、もう来ないですよ」

 顔を上げると、世にも美しい女性が立っていた。
 私と同い年くらいだろうか。すらりと痩せて髪の長い、天女のような女性だった。彼女は私を新種の哺乳類でも見つけたかのようにじろじろと観察すると、興味深そうに目を細めて問いかけた。
 どうしてこの村へ来たのか。この時間から人里へ戻る手段はない。これから朝までどうするつもりなのか……。私はよほど生気を失って見えたのか、彼女は言葉を口にしながら徐々に眉根を寄せていった。
 答える気力もなく、そのかわりに目を伏せる。すると彼女は、突然私の腕を引き田舎道を歩き出した。
 力の入らない私を、引きずるようにして前へ進んでいく。程なくしてたどり着いたのは、トタン屋根の質素な平屋だった。どうやら彼女の自宅らしく、中に入ると彼女は私を椅子に座らせた。正面に座った彼女は、前のめりに顔を近づけて微笑んでみせた。

「よければ泊まっていってください。好きなだけ」

 面食らった。
 これは夢だろうか。通りすがりの女性が私を救うなんて。
 彼女は冗談でもなんでもないといった様子で、いつまでも私の目を見て笑顔を浮かべていた。選択肢などなかった。行き場のなかった私は、なし崩し的にその家に住みはじめた。住む、というよりは、もう動くことができなかった。人生に絶望していた私は、差し出された飴をそのまま受け取ることしかできなかった。鳴り続けるスマホの電源を落とし、布団の中で目を閉じる。心地よい暗さが瞼の裏に広がる。薄っぺらい夢や、社会の呪縛から解き放たれたような気がして、私は深い眠りについた。

 そんな日々が一週間ほど過ぎたころだった。
 彼女は村内で工芸品を作って生活しているそうで、その日も昼間は家を空けていた。
 私はすっかり気が抜けて、日がな寝転がって過ごしていた。そろそろ未来のことを考えなければいけない。退職手続き、住んでいるアパートのこと、彼女との関係。しかしすべてが嫌になり、目を背けるようにして布団に潜り込んだ。そのままうとうとしていると、やがて彼女が帰ってきた。着替えている彼女のうしろ姿を、寝床から眺める。
 お墨さんに挨拶をしましょう。
 彼女はそう切り出した。

「お墨さんっていうのは、村の取りまとめ役のことです。村になにか変化があったとき、お墨さんに伝えておくんです。あなたが村に来たことは変化ですからね。顔を見せておかないと」

 私はこの一週間、外に出ることは禁止され、家の中で静かに過ごしていた。お墨さんに紹介を受けて、はじめてこの地を歩けるということか。

「お墨さんは村に四人いて、この辺だと◼️◼️◼️さんっていう方になります」

 墨、と聞いて、なんでそんな呼び名なのだろうと不思議に思った。その疑問が顔に出ていたのか、彼女はくすりと笑った。

「別に、呼び名に意味はないそうですよ。ただの言葉のあやっていうか」

 郷に入っては郷に従え。まさか墨入りの人間というわけではないだろう。
 さっそく翌日に会いに行くこととなり、私は久しぶりにまともな時間に目を覚ました。
 借りていた彼女の服を脱ぎ、スーツに着替える。ここに来たときに着ていた服がスーツでよかった。まるで義両親にでも会うような緊張感がある。このまま彼女の家でヒモのように暮らしていくのなら、せめてまわりの人間への心象はよくしておきたい。
 外に出ると、はじめて明るい時間の村を目にした。あたりは住宅がぽつぽつとあるが、人気はなく、どれも空き家のような気さえしてくる。

「……あなた、広告のお仕事をされているんですよね」

 彼女がはじめて私の職業に言及した。
 村の端に住んでいるというお墨さまの家までは、五分ほど歩くとのことだった。

「そうだね。もう辞めることになるだろうけど……」
「広告ってよくわからないけれど、私も頼めば出してくれるの? この村のこと、もっといろんな人に知ってもらいたいって思ってるのだけど」
「はは。俺には無理だよ。お金もらってネットにちょこっと載せることしかできないんだ」
「それっていくらかかるの?」
「なんでそんなに広めたいのさ」

 訊き返すと、彼女はふっと顔をほころばせた。

「だって、仲間を増やしたいじゃない」

 仲間。
 仲間?
 笑顔を浮かべたまま、俺は首をかしげてみせた。
 この村は、おそらく人口が減り続けているのだろう。この村だけじゃなく、日本全国で地方の過疎化は進んでいる。村民であれば、ひとりでも多くの人にこの事実を知ってもらい、人を呼びたいと願う気持ちは想像がつく。でも『仲間』と呼ぶだろうか。住民。村民。そんな呼び方ならわかるが、仲間とは。所属意識の強い地域性なのだろうか。
 ぼんやりと考えていると、彼女が足を止めた。目の前には一軒の木造家屋が建っていた。
 彼女の家とは異なる重厚な佇まいが、俺にこの地への来訪を気後れさせた。



「仲間がたくさんいたら、勝てるのよ」