一週間後に二学期の終業式を控えた十二月下旬、俺は先生から直接呼び出しを受けた。
放課後、少しだけ緊張して、理科準備室のドアをノックした。
「本当に申し訳ない」
先生は俺を見るなり腰を折った。担任ではなく一人の男として深く陳謝した。
「軽率な行動を取った俺の責任だ。もう、卒業するまで会わないし、幸が二十歳になるまでつき合いもしない」
先生はいつまでも深く頭を下げていた。
「川嶋には本当に申し訳ないと思ってる、幸とのことで巻き込んでしまって」
「ホントですよ、デートしたいのはわかるけど、あんなベタな場所だめでしょ」
「ああ、そうだな……」
先生は眼鏡を取ると、目を押さえて項垂れた。
震える指先、筋張った大きな手。
先生も田崎に真剣なのだ。
「川嶋は幸とつき合ってる事になってしまった訳だが大丈夫なのか?」
「いいんです。俺は誰とも付き合えないんで」
急激にこみ上げるものがあって、じわりと視界が歪んだ。
「俺たちは秘密を共有する共犯者だ、苦しければ吐き出すのも手だぞ」
ボロリと涙が落ちる。
優しい言葉は危険だ。気が一気に緩んでしまう。
だったらいいのか──言っちゃっても。
「ぶっちゃけると、男を好きになっちゃったから……」
震える声で告白すると、先生は驚きに息を詰め、そしてそれを取り繕うように一つ呼吸した。
「──そうか、それは友達か?」
「うん……だから告白する気もないし、いいんだ」
俺達は幼馴染より前には進めない。
いい友情をキープするのが俺達の進む道だ。
先生は肯定も否定もしなかった。
「気持ちを抑えるのはしんどいよな。辛いならいつでも俺に吐き出せばいい」
「はい……」
先生の表情には、拒絶だとか蔑みはなくてホッとした。
少しの安心に、酸素が身体の中に入ったみたいに呼吸が楽になった。
「俺からの提案がある」
答えず先生の目を見る。
「川嶋はМ大が第一志望だろう? 最後の模試の判定はDだったよな。まずはこの冬休み、なりふり構わず勉強だけやれ。そして全力で合格を取りに行け。合格を掴んだ時、もう一度その気持ちと向き合ってみるといい」
「俺、成長できるかな」
A判定の耀司とD判定の俺。
「おまえらの歳の成功体験は、人生に大きな影響を与えるもんだ。ドン底から這い上がってみろよ。合格して自信をつけてみろ」
「意外……先生がそんなド根性論言うなんて」
「担任として喝を入れてるだけだよ。ただ、合格を勝ち取った先には違う世界が広がってるかもしれないだろ?」
「うん……そうかな」
俺にとってチャレンジ校のМ大に合格し、耀司とまた通えたら──
少しは運命が変わるのだろうか。
この耀司だけだった感情も変わったりするのだろうか。
恋愛相談なのか受験相談なのかわからないまま先生に喝を入れられ、理科準備室から速足で教室に向かった。
教室の戸を開くと「お願い」と女の子の甘えた声が飛び込んできた。
「いいじゃーん、山吹の貸してよぉ」
窓に寄り掛かる耀司の服を掴んでいる手を見て、胸がぎゅっとなった。
「緑」
つまんなそうにしていた耀司の顔が、俺を見て変わる。
「あ、緑チンお疲れ。田崎、教室にいたよ」
「おい」
さっきまでの甘え声から一変、真顔になって俺を追い払う女子を、耀司がすかさず咎めた。
「遅くなって悪りい。まだ職員室行かねーとだから、やっぱ先予備校行ってて」
咄嗟に嘘をついて、自分の机に置いていた荷物を取る。
そして耀司の反応も見ずに背を向けた。
「緑!」
速足で離れて行く俺を耀司が大声で呼ぶ。同時に手を掴まれ、足を止められた。
「職員室行くだけだろ、何でついてくるんだよ」
「目、赤くね? 何で? ムトーちゃんに怒られた?」
「違うって、受験の話だよ。D判定で厳しいの喝入れられただけ」
「見せて」
強引に顔を上向かせられて、耀司のドアップが迫る。
目元を指で触れられて、顔を振った。
「ちょ、近けえって」
「泣いたじゃん、これ。そんな厳しく言われた?」
「冬休みは勉強だけしろって言われた。もーいいじゃん」
耀司の胸を手で押して離すと、あーと面倒臭そうに俺の肩に腕を回す。
「俺のジャージ貸せってしつこいんだよ。緑が悪いんだぞ、俺を一人にするから」
「しょーがねーじゃん、呼び出し食らったんだし」
耀司が一人にするなと拗ねるのを見て、胸の奥が温かくなった。
「緑は誰にも貸すなよ」
耀司のマジな目を見て気づく。
──田崎に貸すなと。
「じゃあ貸せないように俺のジャージ耀司が着なよ。俺は耀司のジャージ着るから」
「ウケる、それおもしれーかも」
耀司は笑った。
「じゃあ、明日の体育な」
「緑が俺のジャージ着るの、彼女みてえ」
「そしたら耀司も俺の彼女じゃん」
二人で笑う。
肩に回ってる腕がさらにぎゅうっと力が込められて、ふと、廊下の壁に嵌め込まれている姿見を見た。
鏡には耀司に抱き込まれているように映る俺。
五センチの身長差。同じ制服。同じ性別。
ジャージを取り替えたって俺達は幼馴染のまま。
もうずっと耀司が好きだった。
いつからと聞かれても答えられないくらい、気づいたら好きで好きで。
幼馴染の特権を利用して隣にいるけれど、大学が違えばそれはもう終わりなんだ。
──だから。
続けたいのなら、死ぬ気でやるしかない。
「そんなにМ大厳しい?」
耀司が訊く。
「正直厳しいどころじゃねーし。先生に喝入れられたくらいよ」
「冬休み、予備校の自習室通い、俺も付き合うよ」
「いいって。俺年末年始返上で朝から夜まで自習室詰めるし。耀司は自分のペース守れよ」
「俺が緑を放っておけねーんだよ。朝起こしてやるから、一緒に頑張ろうぜ」
そんな過保護なことを言って、肩に回した腕でグリグリ締められる。
「苦しいって。耀司巻き込みたくねーんだよ」
「俺がしたいんだよ、いい加減わかれ」
「それで耀司まで志望校ポシャったら洒落んなんねーじゃん」
「いいね、責任感じんなら頑張れよ。俺はおまえがいないМ大に通う気はねーかんな」
そんな殺し文句、なんで俺に言うんだよ。
友達なのに、好きすぎるだろ。
М大に合格したら──
耀司との未来が続くんだ。
それでも、一分一秒でも、長く耀司の特別でいたい。
だったら──死ぬ気で頑張るしかないじゃんか。
