これは俺からのささやかな復讐

 
 
 登校するとクラスが騒がしかった。
 誰かがクリスマスイルミネーションで有名な某所で撮った動画に、田崎が男とデートしているのが映り込んでいたのだ。

「これって田崎幸と誰? 担任のムトーちゃんに似てね?」
「まさか、ムトーちゃんいつもクソださ服じゃん、こんな洒落た服持ってる?」

 動画を見てゲラゲラ笑うクラスメイトが回し見しているのに食いつく。
 そういえばデートすると浮かれていた。俺もバレんなよと軽く流していた。
 そこに映っていたのは見間違えようもなく田崎で、腕を組んで寄り添う男を父親と誤魔化すには無理があって。

「おい、緑どうした?」

 そんな俺を耀司が呼ぶが反応できなかった。

 食い入るように見る俺に、クラスメイトが揶揄ってきた。
「もしかしてそれ川嶋だったりして? おまえの着てるダウンと同じじゃん」
 制服の上に羽織っていたダウンは、ロゴが胸と背についたもので、偶然にも同じブランドのものだった。耀司とデザイン違いで一緒に買ったもの。
 何も答えず動画を凝視する俺にクラスの皆が誤解した。

「まさか?!」
「え、まさかのカップル爆誕?!」
「うそ、マジ? マジ?」

 教室が湧き立つ。耀司だけが冷静だった。

「緑、ちゃんと否定しろよ」

 命令するかのような耀司の声に、周りがぴたっと静まり返った。

 耀司と目と目が合う。早く否定しろと言いたげな強い眼差し。

 このまま黙っていたら、相手が先生だとバレるかもしれない。
 結婚まで考えている田崎と先生の将来を、あと三ヶ月、自分にすり替えておけば、騒ぎは鎮められる。
 俺に恋人はいないのだから、誰とつき合っても問題ないじゃないか。

 すうっと呼吸した。

「これ──俺だ。田崎幸と付き合ってる」

 言った瞬間、さっき以上にクラスが沸いた。
 爆発したように弾けて、お似合いだと小突かれヒューヒューと声を浴びる。

「つき合ってねーだろ、なんでそんな嘘つく?」

 咄嗟俺の腕を取った耀司の手がギリギリと強く食い込んだ。

「嘘じゃない、本当。黙っててごめん」

 そう謝ると、無表情になった耀司の目だけが鋭くなっていく。
 怒ったのだと一瞬でわかった。

「来い」

 強い力で引っ張られて教室を出る。

「耀司、どこ行くんだよ、待って、おい、痛いって」

 突然のことに連れて行かれるまま足を動かす。
 耀司の背が怒っている。
 何も言わずただ廊下を駆け足で突き進み、階段を駆け上がった。

「──いつから?」

 誰もいない階段の踊り場で、ばんっと壁に背を押しつけられた。
 顔の両側に手をついて、逃げ道を塞ぐ。耀司がこんなに怒るとは思わなかった。
「せ、先月……」
 真っすぐ見られず顔を落とす。

「なんで俺に黙ってた? てか、本当に田崎幸が好きなわけ?」

「言いにくくて……言えなかった」

「好きなの?」

「………」

「好きなのかって聞いてる」

 びりびりと振動が伝わるかのような低音にびくりと顔を上げた。

 違う、好きなんかじゃない。
 けれど本当のことなんて言えなくて、小さく頷いた。
 まるで信じられないと言いたげに、耀司の瞳が見開かれた。

「女子──苦手じゃねーか」

 言い難そうに、でも確かめるように耀司は訊く。

「苦手なのは一部だけで全部じゃない」

 俺が女の子を苦手なのは耀司が原因。でも耀司に罪悪感を持たせたくなかった。

「田崎は違うんだ?」
「……うん」

 耀司の瞳が大きく揺れ、長い睫毛を震わせた。

「あの動画を取られた日、家に居たじゃん。俺とお笑いの配信リアタイで見てただろ?」
「その後、待ち合わせてて……」
「家族で飯食いに行ったんじゃなかったのかよ」

 答えられず首を振る。
 あの日は夜、家族で食事に行く予定だったから、耀司は夕方帰ったのだ。

「嘘ついたのか」

「──ごめん」

 謝ると、顔をそらして耀司は目元を歪ませた。

 喉仏が何度も上下していて、多分、耀司は、俺に向かって吐き出したいだろう言葉を堪えている。

 胸が苦しかった。

 さっきはそう言うのがベストだと思った。でももう後悔している。

 ひどい嘘だと、自分でもわかっていた。

 嘘に嘘を重ねて──本心を隠して。

 耀司の目を見て、罪悪感で心の迷いがぐるぐると渦を巻く。
 本当のことを言えばいい。
 つき合ってない、あの日は本当に家族と食事に行っていた。その男は自分じゃなくて先生だ。

 でも言えなかった。

 あと三ヶ月、たった三ヶ月だ。
 ここを乗り越えればあの二人は先生と生徒でなくなる。
 その日を待ちわびる二人の幸せを壊せるわけないじゃないか。
 俺は約束したんだ。誰にも言わないって。

 あんまりにも俺が悲壮な顔をしていたからか、耀司は壁についていた手をぎゅっと握りしめると、だらりと落とした。

「わかった、もういい」
「え……」

 嫌われた──下げたままだった顔を上げると、耀司は俺の頬をぶにっと摘まんだ。

「けど、条件がある」
「え……」
「俺の前で田崎の話はするな。存在をチラつかせたり匂わせるな。俺といるときにラインも電話もするな。今まで通り俺を優先しろ。それを守れるなら嘘をついてたのも黙ってたことも許してやる」

 何様かと突っ込みたくなる理不尽な条件を、耀司は尊大に言い放った。
 それでも俺は嫌われたくない一心で頷いていた。

「絶対にしない、守る」
「約束な」
「うん、ごめん」
「腹立つけど許す」
「耀司のが大事だから」
「──だったらなんでつき合うんだよ」

 呆れにも似た耀司の呟きだった。

 耀司は、俺が誰かのものになるのが耐えられないだけだ。
 友情に固執するのだから。

 俺は田崎を好きじゃない。女の子を好きになったこともない。

 耀司が好きだ。

 けれど知られたくない。

 これは幼馴染の均衡を守るための俺の予防線だ。
 彼女持ちならば、誰にも疑われない。
 変に疑われるより、最初から普通でいた方がいい。

 恋愛感情なんて持ってない、自分に暗示をかける。

 俺達は幼馴染だ。
 恋愛関係は成り立たない。
 だから俺は安全な友達でいないといけないんだ。


 ──あの日、初めて耀司と出会ったシーンを思い出す。

 転校初日、小学二年生の春。
 桜の木は散り始め、ひらひらと花びらが舞っていたが、それすら目に入らなかった。
 俺は親から離れ、知らない人間の中で緊張のピークを迎えていた。
 担任に連れられ、職員室から教室に向かう廊下で、不安から震えが止まらず、足元の感覚はふわふわと頼りなかった。
 目の前の廊下が蜃気楼のようにぐにゃぐにゃに歪み始めた時──不意に手を握られた。
 温かな手だった。
 驚いて隣を見ると、同じ教室に向かう男の子が、真っ直ぐ前を向いたまま、俺の手を握っていた。
 震える手を落ち着かせるように、にぎにぎと握ったまま、前を見ている。

 それが耀司だった。

 新しい学校、新しい環境、新しい顔。

 幼い頃から場所見知りが激しく、新しい場所や環境に入る時、激しいストレスを感じるタイプだった。
 人見知りも強く、なかなか心を開けない、慣れるまで長い時間を要した。
 前の学校は、入学してやっと慣れ、友達も出来たところでの転校だった。

 この子も俺と同じだ。

 入学した学校を、たった一年で転校してしまい、また一からスタートしなければならない。

 同じ運命を辿っている。

 転校という初めての体験を同時に味わい、同じ教室からこの学校での生活を始めるのだから。

 繋いだ手をギュッと強く握り返した。
 すると、驚いたように耀司は俺を見た。
 目と目が合う。
 俺は精一杯の笑顔を作ると、耀司も笑顔になった。
 そして、うん、と二人同時に頷いた。

 あの時の安心感を今でも覚えている。

 俺だけじゃない、この子も不安なんだ。

 繋いだ耀司の手の温かさに、冷たかった俺の手には徐々に熱が戻り、震えもいつの間にか治まっていた。

 あの日から耀司は、俺にとって世界に一つの大切な友達になった。

 それからは、毎朝十階の耀司が、九階の俺んちに迎えに来て、二人並んで教室に入った。
 耀司と一緒だったから、新しい環境に馴染むのに時間のかかる俺でも、すんなりと溶け込めた。

 だからこの関係を一分一秒でも長く続けるために嘘をつく。

 心を殺してさえいれば何も変わらない。

 耀司以外に大切なものなんて俺にはないんだから。