運命の朝は、ひどく静かに幕を開けた。
病室には、担当医と数人の看護師、祈るような表情の両親、そして僕。
窓から差し込む夏の光は、残酷なほどに透き通っている。
部屋の中央には、あの日運び込んだキャンバスが、白い布を被せられたまま、その時を待つように鎮座している。
「では、羽白さん。ゆっくり包帯を外していきますね」
医師の穏やかな声が、静寂を震わせた。
カサリ、カサリと、乾燥したガーゼが解かれる乾いた音が、僕の鼓動とリンクするように病室に響く。
一巻き、また一巻き。
羽白さんの顔を覆っていた「暗闇」の層が、少しずつ剥がれ落ちていく。
僕は、握りしめた拳に爪が食い込むのも構わず、ただ祈るように彼女を見つめていた。
最後の一巻きが外され、羽白さんの瞼が露わになる。
彼女は、まだ重たそうに睫毛を震わせ、慎重に、本当に慎重に……ゆっくりと目を開けた。
「…………っ」
彼女の喉から、小さな吐息が漏れた。
けれど、期待していたような劇的な変化は、すぐには起きなかった。
彼女の瞳は、どこを向くでもなく不安げに泳いでいる。
焦点が定まらず、ただ窓から入る夏の暴力的な陽光に怯えるように、何度も瞬きを繰り返した。
「羽白……さん?」
僕の声に、彼女が微かに顔を動かす。
けれど、その瞳に僕の姿は映っていない。
「……あ、きつき、くん……?」
その声は、ひどく心許なく、今すぐにでも消えてしまいそうな声だった。
「……ごめんね。まだ、よく……わからないの。真っ白な霧の中にいるみたい。光は感じるんだけど、秋月くんの顔も、どんな表情をしているのかも、私、わからなくて……」
絶望に近い沈黙が、一瞬だけ病室を支配した。
大人たちが慎重に言葉を選び、彼女の様子を観察している。けれど、僕はもう、一秒だって待てなかった。
(見えるかどうかなんて、関係ない。届けなきゃいけないんだ。僕が綴った、この光を。君と僕だけが知っている、この世界の輝きを)
僕は弾かれたように動いた。
震える手で、キャンバスを覆っていた白い布を力任せに掴む。
「……羽白さん。見て。いいや、感じて」
バサリ、と布が床に落ちる。
僕は巨大なキャンバスを抱え、彼女の顔のすぐ近くまでそれを差し出した。
「君の瞳が、何も捉えられなくてもいい。形なんてわからなくていい。でも、この光だけは、君の魂に焼き付けてほしいんだ」
羽白さんのすぐ目の前で、僕が数日間、一睡もせずに魂を叩きつけ続けた「永遠」が、ついにその全貌を露わにする。
まだ焦点を結べない彼女の瞳に、僕が綴った猛烈な色彩のうねりが、圧倒的な熱量を持って飛び込んでいった。
油絵具の隆起が、月光のような白が、炎のような赤が。
それはもはや「視覚」というフィルターを通す前の、純粋なエネルギーの塊となって、彼女の閉ざされた世界を強引にこじ開けていく。
病室には、担当医と数人の看護師、祈るような表情の両親、そして僕。
窓から差し込む夏の光は、残酷なほどに透き通っている。
部屋の中央には、あの日運び込んだキャンバスが、白い布を被せられたまま、その時を待つように鎮座している。
「では、羽白さん。ゆっくり包帯を外していきますね」
医師の穏やかな声が、静寂を震わせた。
カサリ、カサリと、乾燥したガーゼが解かれる乾いた音が、僕の鼓動とリンクするように病室に響く。
一巻き、また一巻き。
羽白さんの顔を覆っていた「暗闇」の層が、少しずつ剥がれ落ちていく。
僕は、握りしめた拳に爪が食い込むのも構わず、ただ祈るように彼女を見つめていた。
最後の一巻きが外され、羽白さんの瞼が露わになる。
彼女は、まだ重たそうに睫毛を震わせ、慎重に、本当に慎重に……ゆっくりと目を開けた。
「…………っ」
彼女の喉から、小さな吐息が漏れた。
けれど、期待していたような劇的な変化は、すぐには起きなかった。
彼女の瞳は、どこを向くでもなく不安げに泳いでいる。
焦点が定まらず、ただ窓から入る夏の暴力的な陽光に怯えるように、何度も瞬きを繰り返した。
「羽白……さん?」
僕の声に、彼女が微かに顔を動かす。
けれど、その瞳に僕の姿は映っていない。
「……あ、きつき、くん……?」
その声は、ひどく心許なく、今すぐにでも消えてしまいそうな声だった。
「……ごめんね。まだ、よく……わからないの。真っ白な霧の中にいるみたい。光は感じるんだけど、秋月くんの顔も、どんな表情をしているのかも、私、わからなくて……」
絶望に近い沈黙が、一瞬だけ病室を支配した。
大人たちが慎重に言葉を選び、彼女の様子を観察している。けれど、僕はもう、一秒だって待てなかった。
(見えるかどうかなんて、関係ない。届けなきゃいけないんだ。僕が綴った、この光を。君と僕だけが知っている、この世界の輝きを)
僕は弾かれたように動いた。
震える手で、キャンバスを覆っていた白い布を力任せに掴む。
「……羽白さん。見て。いいや、感じて」
バサリ、と布が床に落ちる。
僕は巨大なキャンバスを抱え、彼女の顔のすぐ近くまでそれを差し出した。
「君の瞳が、何も捉えられなくてもいい。形なんてわからなくていい。でも、この光だけは、君の魂に焼き付けてほしいんだ」
羽白さんのすぐ目の前で、僕が数日間、一睡もせずに魂を叩きつけ続けた「永遠」が、ついにその全貌を露わにする。
まだ焦点を結べない彼女の瞳に、僕が綴った猛烈な色彩のうねりが、圧倒的な熱量を持って飛び込んでいった。
油絵具の隆起が、月光のような白が、炎のような赤が。
それはもはや「視覚」というフィルターを通す前の、純粋なエネルギーの塊となって、彼女の閉ざされた世界を強引にこじ開けていく。
