きみが教えてくれた、世界で一番優しい青

泣きじゃくる彼女の背中に手を添えながら、僕はゆっくりと言葉を紡いだ。


「……利用されたなんて、一度も思ったことはないよ。君が僕を杖にするなら、僕は君の声を地図にする。そうやって二人で歩いていけるなら、それ以上に幸せなことなんてない」


僕の胸元で、羽白さんの嗚咽が小さく震える。


「羽白さん。……約束してほしい。手術を受けて、もう一度、僕と一緒に色を探してほしいんだ」


彼女は僕のシャツをぎゅっと掴んだまま、顔を上げずに小さく首を振った。


「でも……もし色が、戻らなかったら……。私の世界が、真っ白なままだったら……」

「その時は、僕が描くよ」


僕は彼女の肩を優しく押し、濡れた瞳を真っ直ぐに見つめた。


「君の瞳からどんな色が消えても、君の心の奥底に一生焼き付いて離れない……『永遠を綴る絵』を、僕が描く。包帯が取れたとき、君が最初に見る景色は、真っ白な絶望なんかじゃない。たとえ君の視界がどれほど濁っていても、魂に直接届くような、僕が君のために捧げる光だ」

「秋月くんの、絵……?」

「ああ。君が教えてくれたあの日の色。君と笑い合った瞬間の輝き。それらを全部、一枚のキャンバスに閉じ込める。君がいつか、真っ白な霧の中で迷子になりそうになっても、その絵の記憶を思い出せば、いつでも自分の中に『色』があったことを確信できるような……。そんな、魂を削った一枚を、僕がこの手で描き上げる」


それは、かつて筆を折った僕が、初めて「自分のため」ではなく「誰かのため」に捧げる、再起の誓いだった。
物理的な視力を超えて、彼女の心の中に「一生消えない色彩の拠り所」を打ち立てる。それが、僕が見つけた新しい「絵」の意味だった。


「だから、信じて待っていて。……魔法が解けた後の世界も、案外悪くないってことを、僕が証明してみせるから」


羽白さんは、涙に濡れた睫毛を震わせながら、僕の決意を確かめるように見つめ返した。
やがて、彼女は震える指先で自分の涙を拭い、小さく、けれど確かに頷いた。


「……待ってる。秋月くんが綴ってくれる、私だけの『永遠』」


その言葉を胸に、僕は病室を後にした。
廊下を歩きながら、ふと窓の外に目を向ける。
鉛色の雲から零れた西日が、冷たい冬の空気を白く透かしていた。

(淡雪色……)

それは、積もる間もなく、地上に触れた瞬間に溶けて消えてしまう雪の色。

今の彼女が置かれている、あまりにも残酷で、刹那的な状況そのものだ。
彼女が必死に繋ぎ止めてきた色鮮やかな世界は、今、この瞬間も手のひらから零れ落ち、体温に触れた雪のように形を失い、真っ白な虚無へと還ろうとしている。
彼女が魔法使いを演じていたのは、その雪が溶けて消えてしまうのを、一秒でも長く引き止めたかったからなのだ。

廊下の無機質な壁も、鼻をつく消毒液の匂いも、もう僕を怯えさせることはない。
境界線は、もう目の前だ。

(溶かさせない。……君が愛した世界も、その瞳に宿る魔法も)

彼女が淡雪色の世界に呑み込まれてしまう前に。
触れた瞬間に消えてしまうはずのその色を、僕がこの手で、永遠に溶けない光として綴ってみせる。
僕は一度も振り返ることなく、夕闇の迫る病院を後にした。