羽白さんのお母さんに教えられた病院は、街の喧騒から切り離されたような、ひどく静かな場所だった。
受付を通って、長い廊下を進む。
鼻をつく特有の消毒液の匂いと、目に痛いほど白い壁。
足を進めるたびに、心臓が早鐘を打ち、喉の奥がカラカラに乾いていくのがわかった。
(二年前から、ずっと……。君は一人で、この白さと戦っていたの?)
彼女は、自分の瞳から少しずつ「色」が剥がれ落ちていく恐怖に、たった一人で耐えていたのだ。
世界がゆっくりと、けれど確実に、色のない透明な膜に覆われていく絶望。
かつて僕を救ったあの「月白」の輝きも、今の彼女には、光が飽和しただけの濁った白にしか見えていないのかもしれない。
病室の前に立つ。
『羽白 紬』
その名札を見つめるだけで、脳に酸素が回っていないかのような感覚に陥った。
一度深く、深く息を吐き、自分の顔がひきつっていないかを確認してから、僕は静かにドアを横に引いた。
「……羽白さん」
白いカーテンに仕切られた、小さな世界。
ベッドの上に座り、窓の外を眺めていた彼女の瞳が、僕の姿を映した瞬間、その瞳に一瞬だけ驚きと動揺が走った。
けれど彼女はすぐに、いつもの——僕が何よりも大好きな、あの陽だまりのような笑顔を浮かべて見せた。
「あれ、秋月くん? ……ふふ、びっくりした。お母さんに聞いたの? 余計な心配かけちゃって、本当にごめんね」
その声は、驚くほど明るかった。
まるで駅の改札で「また明日ね」と手を振る時のような、何の変哲もない日常のトーン。
けれど、彼女の手はシーツをぎゅっと握りしめていて、その指先は血の気が引いたように白く強張っている。
「秋月くん、そんなに怖い顔しないでよ。ちょっとね、最近目が疲れやすくなっちゃって。先生が『少し休みなさい』ってうるさくて、検査入院してるだけなんだから」
彼女は茶目っ気たっぷりに首を傾けてみせる。
けれど、彼女の瞳は僕の顔を真っ直ぐに捉えているようでいて、わずかに焦点がズレていた。
僕の頬を、あるいは髪の先を、記憶の残像を辿るようにして探り当てる、その眼差し。
「見えていないはずなのに、見えているふりをする」
そんな彼女の健気な違和感が、冷たく鋭い棘となって、僕の心に深く、深く突き刺した。
受付を通って、長い廊下を進む。
鼻をつく特有の消毒液の匂いと、目に痛いほど白い壁。
足を進めるたびに、心臓が早鐘を打ち、喉の奥がカラカラに乾いていくのがわかった。
(二年前から、ずっと……。君は一人で、この白さと戦っていたの?)
彼女は、自分の瞳から少しずつ「色」が剥がれ落ちていく恐怖に、たった一人で耐えていたのだ。
世界がゆっくりと、けれど確実に、色のない透明な膜に覆われていく絶望。
かつて僕を救ったあの「月白」の輝きも、今の彼女には、光が飽和しただけの濁った白にしか見えていないのかもしれない。
病室の前に立つ。
『羽白 紬』
その名札を見つめるだけで、脳に酸素が回っていないかのような感覚に陥った。
一度深く、深く息を吐き、自分の顔がひきつっていないかを確認してから、僕は静かにドアを横に引いた。
「……羽白さん」
白いカーテンに仕切られた、小さな世界。
ベッドの上に座り、窓の外を眺めていた彼女の瞳が、僕の姿を映した瞬間、その瞳に一瞬だけ驚きと動揺が走った。
けれど彼女はすぐに、いつもの——僕が何よりも大好きな、あの陽だまりのような笑顔を浮かべて見せた。
「あれ、秋月くん? ……ふふ、びっくりした。お母さんに聞いたの? 余計な心配かけちゃって、本当にごめんね」
その声は、驚くほど明るかった。
まるで駅の改札で「また明日ね」と手を振る時のような、何の変哲もない日常のトーン。
けれど、彼女の手はシーツをぎゅっと握りしめていて、その指先は血の気が引いたように白く強張っている。
「秋月くん、そんなに怖い顔しないでよ。ちょっとね、最近目が疲れやすくなっちゃって。先生が『少し休みなさい』ってうるさくて、検査入院してるだけなんだから」
彼女は茶目っ気たっぷりに首を傾けてみせる。
けれど、彼女の瞳は僕の顔を真っ直ぐに捉えているようでいて、わずかに焦点がズレていた。
僕の頬を、あるいは髪の先を、記憶の残像を辿るようにして探り当てる、その眼差し。
「見えていないはずなのに、見えているふりをする」
そんな彼女の健気な違和感が、冷たく鋭い棘となって、僕の心に深く、深く突き刺した。
