きみが教えてくれた、世界で一番優しい青


「……羽白さん。君が今持ってるその色見本帳、ちょっと貸して」

「え? 急にどうしたの、秋月くん」

「いいから」


僕は、彼女が大切そうに抱えていた色見本帳を、奪い取るようにして掴んだ。
驚いて手を離した彼女の視線が、拠り所をなくして泳ぐ。
僕は、彼女の目の前に一際鮮やかなページを突きつけた。


「これ、何色?」

「それは……青丹でしょ? あそこの木の葉っぱと一緒……」

「違うよ。僕が今開いてるのは、若草色だ」


彼女は僕の言葉に、弾かれたように目を見開いた。


「あ……ごめんね。そう、だよね。若草色……鮮やかな黄緑色だよね」


追い打ちをかけるように、あの雲とは違う、「嘘をついた雲の色」のページを捲る。


「これはわかる?」

「それは……」

「藤鼠だよ。僕が、自分の意思で初めて買った、色鉛筆の色だ」


彼女の瞳が、隠しきれない動揺で激しく揺れていた。


「見えてないじゃん……」


ポロリとこぼれた言葉が、夕暮れの屋上に突き刺さった。
大きな声ではない。叫んだわけでもない。
けれど、彼女の肩は、銃で撃たれたかのように弾かれ、震えた。

見本帳を握りしめる僕の指先が、小刻みに震える。
この震えは、失われゆく色彩への悲しみなのか。
それとも、何も言ってくれなかった彼女への憤りなのか。
彼女は、僕が今ついた残酷な嘘さえ、もう自分の目では確かめることができないんだ。


「……どうして、言ってくれなかったの?」


震える声が、夕暮れの静寂に溶けていく。
見本帳を握りしめる指先に、じりじりと鈍い痛みが走った。


「昨日も、今日も……今までずっと。あんなに眩しく笑いながら、羽白さんはたった一人で怖がっていたの? 僕はそんなに、頼りなかった? 二人で一緒に見つけようって言った色の名前は、全部、僕を不安にさせないための嘘だったのか……っ」


裏切られたことへの怒りじゃない。
ただ、彼女の隣にいながら、彼女が必死に隠していた暗闇に気づけなかった自分への、やりきれない情けない思いが涙と一緒に溢れ出す。

彼女は言葉を失い、僕を見つめる。

……なんで、こんなときだけちゃんと焦点が合うんだ。

まっすぐに僕の心を見透かすような、悲しい瞳。
フェンス越しに差し込む西日が、彼女の頬を伝う透明な雫を、残酷なほど美しく透かしていた。

だが、僕の問いかけに応えるように、彼女の唇から掠れた悲鳴が漏れた。