きみが教えてくれた、世界で一番優しい青

屋上へ続く階段を上がる彼女の足取りは、一段ずつ、重い何かを確かめるようにして慎重に運ばれていた。
普段なら、僕を置いていくくらいの速さで軽快に駆け上がる彼女の背中。
それが今は、まるで見えない橋を渡るように、危うく見える。


「……今日は、風が気持ちいいね」


屋上のフェンスに辿り着いた彼女が、眩しそうに目を細めて空を仰いだ。
その瞳は確かに光を捉えているはずなのに、焦点はどこか遠い場所を彷徨っている。


「秋月くん、見て。今日のあの雲、なんだか不思議な色だと思わない?」


フェンス越しに、彼女が遠くの空を指差した。
そこには、西日に縁取られた巨大な積乱雲の残像が浮かんでいた。


「……そうだね。綺麗な藤鼠(ふじねず)だ」


僕は、祈るような気持ちで彼女の横顔を盗み見た。

もし、本当にちゃんと見えているのなら、即座に否定されるはずだ。
「違うよ」と笑われるはずなんだ。

だって、僕たちが見ているあの雲は、燃えるようなピンク色を帯びた、命の塊みたいな色をしているのだから。
藤鼠のしめやかな紫色なんて、どこにも混ざり合ってなどいない。

彼女は目を細め、必死に、必死に、視界の情報をかき集めようとしているように見えた。


「……うん、本当だね。夕陽が雲の端っこに溶け出して、少しだけ紫色に染まってる」


心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

嘘だ。
僕が初めて自分の意志で選んで、彼女に見せたくて買った、あの色鉛筆の色さえ、今の彼女は判別することができないのか。
彼女は、僕の投げかけた言葉を「正解」だと信じて、記憶の中にある綺麗な夕焼けを、今の空に無理やり重ね合わせているだけなんだ。


「……じゃあ、あの校門の横に立っている木の葉っぱは何色?」

「ええと……」


彼女の視線が、校門の方へと彷徨う。

夏の予感に満ちた、鮮やかな黄緑色の葉。
以前、美術の授業で僕たちが「若草色だね」と言い合って、一緒に笑ったあの輝き。
けれど、彼女から返ってきた答えは、僕の細い期待を無残に打ち砕いた。


「……あれは、『青丹(あおに)』かな。少し落ち着いた緑色だよね」


あれは陽の光を反射して、まばゆいほどに輝く若草色だ。
落ち着いた緑色なんかではない。

彼女はもう、光の反射だけで「明るい何かがそこにある」ことしか分かっていないんだ。
色の正確なニュアンスは、彼女の指の間から、さらさらと砂のようにこぼれ落ちてしまっている。

——色彩のない世界で立ち止まっていた、以前の僕と、一緒だ。