「もっと見せたい色があるの。ここから先は、光じゃなくて『影』を探しに行こう?」
彼女はスカートを翻しながら、廊下を歩き出す。
向かった先は、校舎の突き当たり。
西日の熱気が届かない、ひんやりとした静寂が支配する一角だった。
「さあ、着いたよ。私たちの色の宝庫——図書室だよ」
彼女が重い木製の扉をゆっくりと押し開ける。
途端に、古いインクと紙が混ざり合った、不思議と落ち着く匂いが鼻をくすぐった。
「ここにはね、背表紙の数だけ、まだ誰も知らない色が眠ってるんだよ。
この前の青の図書館とは別の色が見つけられるよ、きっと」
彼女はそう言って、迷わず書架の奥へと進んでいった。
外の喧騒を完全に遮断したこの部屋で、僕たちは今日最後の、そして一番大切な「色探し」を始めることになる。
放課後の図書室は、廊下よりも一段と深い静寂に包まれていた。
窓から差し込む西日は、高い書架に阻まれて細い帯のようになり、宙に舞う細かな埃を黄金色の砂金みたいに光らせている。
光の氾濫していた廊下とは対照的に、深い影を纏った豊かな色彩が、ひっそりと息を潜めて存在していた。
「……秋月くん、こっち」
羽白さんが唇に人差し指を当てて、茶目っ気たっぷりに囁いた。
僕たちは、一番奥にある古い全集が並んだ書架の影に身を潜める。
司書室の先生に気づかれないようにするこの状況が、まるで秘密基地に忍び込んだ子供の頃のような、心地よい緊張感を僕に与えた。
「ねえ、色当てクイズしようよ。負けた方は、明日購買の紙パックジュースを奢るっていうのはどう?」
「そんなの、羽白さんが勝つに決まってる」
「あれ?弱気だな〜。……わかってるって。
秋月くんは色見本帳を見たままでいいよ。私は見ないで、色を当てるから」
「……いいよ。受けて立つ」
顔を近づけて囁き合うたび、彼女の髪から微かに石鹸のような清潔な匂いがして、なんだか胸が落ち着かなかった。
「じゃあ、最初。あの、棚の二段目にある……少し擦り切れた背表紙の本」
彼女が指差したのは、古い詩集のような一冊。
それは、赤を極限まで深くして、そこに一滴だけ黒を落としたような、重厚な色だった。
色見本帳のペラペラと捲る。
「赤……いや、もっと暗いな。……『葡萄茶』、かな?」
「んー、おしい! 葡萄茶よりも、もう少しだけ紫が強いよ。正解は『似紫』。高価な紫に似せて染められた、江戸の粋な色なんだって」
彼女は自分の答えに満足そうに頷き、棚からその本をそっと抜き取った。
指先が触れ合うくらいの距離で、僕たちは並んでその背表紙を見つめる。
「じゃあ、次は僕から。……あそこの、窓際に置いてある木製のブックエンド」
西日に焼けて、白っぽく乾いた木の色。
「……あれはね、『生成り色』。手を加える前の、ありのままの色」
「正解。……すごいな、羽白さんは本当に何でも知ってるんだね」
僕が感心して呟くと、彼女は少しだけ照れたように俯いた。
その時、司書室の方でゴホンと咳払いする音が響き、僕たちは慌てて口を噤んで、お互いに顔を見合わせて笑った。
静寂の中で共有する、小さなスリルと色彩。
彼女とこうしていると、世界がひどく鮮やかで、それでいて壊れやすい硝子細工のように感じられる。
「……秋月くん」
彼女が、僕の買ったばかりの色鉛筆——『藤鼠』を指先でそっと突ついた。
「これ、本当にいい色だね。……この紫はね、夕闇と夜が混ざり合う、一瞬の境界線の色。誰にも気づかれないような、優しい『逃げ場所』の色なんだよ」
彼女の瞳が、図書室の深い影の中で、潤んだように光った。
僕は、彼女の言葉の意味を咀嚼するように、自分の手の中にある色鉛筆を見つめる。
僕が選んだこの色は、彼女にとっての「逃げ場所」になれるだろうか。
そんなことを考えていると、図書室に閉館を告げるチャイムが、遠くから静かに響き渡った。
彼女はスカートを翻しながら、廊下を歩き出す。
向かった先は、校舎の突き当たり。
西日の熱気が届かない、ひんやりとした静寂が支配する一角だった。
「さあ、着いたよ。私たちの色の宝庫——図書室だよ」
彼女が重い木製の扉をゆっくりと押し開ける。
途端に、古いインクと紙が混ざり合った、不思議と落ち着く匂いが鼻をくすぐった。
「ここにはね、背表紙の数だけ、まだ誰も知らない色が眠ってるんだよ。
この前の青の図書館とは別の色が見つけられるよ、きっと」
彼女はそう言って、迷わず書架の奥へと進んでいった。
外の喧騒を完全に遮断したこの部屋で、僕たちは今日最後の、そして一番大切な「色探し」を始めることになる。
放課後の図書室は、廊下よりも一段と深い静寂に包まれていた。
窓から差し込む西日は、高い書架に阻まれて細い帯のようになり、宙に舞う細かな埃を黄金色の砂金みたいに光らせている。
光の氾濫していた廊下とは対照的に、深い影を纏った豊かな色彩が、ひっそりと息を潜めて存在していた。
「……秋月くん、こっち」
羽白さんが唇に人差し指を当てて、茶目っ気たっぷりに囁いた。
僕たちは、一番奥にある古い全集が並んだ書架の影に身を潜める。
司書室の先生に気づかれないようにするこの状況が、まるで秘密基地に忍び込んだ子供の頃のような、心地よい緊張感を僕に与えた。
「ねえ、色当てクイズしようよ。負けた方は、明日購買の紙パックジュースを奢るっていうのはどう?」
「そんなの、羽白さんが勝つに決まってる」
「あれ?弱気だな〜。……わかってるって。
秋月くんは色見本帳を見たままでいいよ。私は見ないで、色を当てるから」
「……いいよ。受けて立つ」
顔を近づけて囁き合うたび、彼女の髪から微かに石鹸のような清潔な匂いがして、なんだか胸が落ち着かなかった。
「じゃあ、最初。あの、棚の二段目にある……少し擦り切れた背表紙の本」
彼女が指差したのは、古い詩集のような一冊。
それは、赤を極限まで深くして、そこに一滴だけ黒を落としたような、重厚な色だった。
色見本帳のペラペラと捲る。
「赤……いや、もっと暗いな。……『葡萄茶』、かな?」
「んー、おしい! 葡萄茶よりも、もう少しだけ紫が強いよ。正解は『似紫』。高価な紫に似せて染められた、江戸の粋な色なんだって」
彼女は自分の答えに満足そうに頷き、棚からその本をそっと抜き取った。
指先が触れ合うくらいの距離で、僕たちは並んでその背表紙を見つめる。
「じゃあ、次は僕から。……あそこの、窓際に置いてある木製のブックエンド」
西日に焼けて、白っぽく乾いた木の色。
「……あれはね、『生成り色』。手を加える前の、ありのままの色」
「正解。……すごいな、羽白さんは本当に何でも知ってるんだね」
僕が感心して呟くと、彼女は少しだけ照れたように俯いた。
その時、司書室の方でゴホンと咳払いする音が響き、僕たちは慌てて口を噤んで、お互いに顔を見合わせて笑った。
静寂の中で共有する、小さなスリルと色彩。
彼女とこうしていると、世界がひどく鮮やかで、それでいて壊れやすい硝子細工のように感じられる。
「……秋月くん」
彼女が、僕の買ったばかりの色鉛筆——『藤鼠』を指先でそっと突ついた。
「これ、本当にいい色だね。……この紫はね、夕闇と夜が混ざり合う、一瞬の境界線の色。誰にも気づかれないような、優しい『逃げ場所』の色なんだよ」
彼女の瞳が、図書室の深い影の中で、潤んだように光った。
僕は、彼女の言葉の意味を咀嚼するように、自分の手の中にある色鉛筆を見つめる。
僕が選んだこの色は、彼女にとっての「逃げ場所」になれるだろうか。
そんなことを考えていると、図書室に閉館を告げるチャイムが、遠くから静かに響き渡った。
