「秋月くん、目を見て。……私だけを見て」
霧を切り裂くような、凛とした声が鼓膜を打った。
視界を埋め尽くしていた青い激流の中に、真っ白な境界線が割り込んでくる。
羽白さんが僕の目の前にしゃがみ込み、僕の震える両頬を、その冷たい両手で包み込んだ。
「……は、羽白、さん……」
「息を吐いて。……大丈夫。ここは海じゃない。ただの光だよ」
彼女の指先から伝わってくる、現実的な「冷たさ」。
それが、過去の泥濘に引きずり込まれそうになっていた僕の意識を、今、この場所に繋ぎ止める楔になる。
「……苦しいんだ。色が、多すぎて……」
「一つだけでいい。……私の後ろにある、あの薄い色だけ見て」
羽白さんが、僕の視線を導くように、ゆっくりと自分の背後にあるステンドグラスの一片を指差した。
それは、激しい群青の渦の中で、そこだけがぽっかりと穴が空いたように穏やかな、限りなく白に近い淡い青だった。
「あれは、『月白』。……月が昇る時に、空がほんのり白らんでいく色。……怖くないでしょう? 誰のことも飲み込まない。ただ、夜の終わりを教えてくれる静かな光だよ」
羽白さんの奏でる「名前」が、パニックで散らばっていた僕の脳内を整理していく。
暴力的な「青」という一塊の恐怖が、彼女の言葉によって、優しく無害な「月白」というピースへと切り出されていく。
名前という枠組みが、混沌とした世界を安全な形に整えていく。
僕は彼女の手にしがみつくようにして、何度も深く、月白の光を吸い込んだ。
「……っ……ふぅ……」
次第に、激しい鼓動が落ち着きを取り戻していく。
ようやく顔を上げると、至近距離に羽白さんの顔があった。
彼女は安心したように微笑んだが、その瞳は、僕を捉えているようで、どこか焦点が合っていないような、ガラス細工のような危うさを含んでいた。
「……ごめん。……情けないな、俺」
「ううん。……それだけ、秋月くんが色を真剣に、命がけで受け止めてるってことだよ。……でもね、名前があれば、もう迷わない。私が全部、名付けてあげるから」
彼女の手を握り返した時、僕は確信した。
僕がこれから生きていくために必要なのは、絵具でも筆でもない。
僕の世界を塗り替えていく、彼女の紡ぐ言葉なのだと。
霧を切り裂くような、凛とした声が鼓膜を打った。
視界を埋め尽くしていた青い激流の中に、真っ白な境界線が割り込んでくる。
羽白さんが僕の目の前にしゃがみ込み、僕の震える両頬を、その冷たい両手で包み込んだ。
「……は、羽白、さん……」
「息を吐いて。……大丈夫。ここは海じゃない。ただの光だよ」
彼女の指先から伝わってくる、現実的な「冷たさ」。
それが、過去の泥濘に引きずり込まれそうになっていた僕の意識を、今、この場所に繋ぎ止める楔になる。
「……苦しいんだ。色が、多すぎて……」
「一つだけでいい。……私の後ろにある、あの薄い色だけ見て」
羽白さんが、僕の視線を導くように、ゆっくりと自分の背後にあるステンドグラスの一片を指差した。
それは、激しい群青の渦の中で、そこだけがぽっかりと穴が空いたように穏やかな、限りなく白に近い淡い青だった。
「あれは、『月白』。……月が昇る時に、空がほんのり白らんでいく色。……怖くないでしょう? 誰のことも飲み込まない。ただ、夜の終わりを教えてくれる静かな光だよ」
羽白さんの奏でる「名前」が、パニックで散らばっていた僕の脳内を整理していく。
暴力的な「青」という一塊の恐怖が、彼女の言葉によって、優しく無害な「月白」というピースへと切り出されていく。
名前という枠組みが、混沌とした世界を安全な形に整えていく。
僕は彼女の手にしがみつくようにして、何度も深く、月白の光を吸い込んだ。
「……っ……ふぅ……」
次第に、激しい鼓動が落ち着きを取り戻していく。
ようやく顔を上げると、至近距離に羽白さんの顔があった。
彼女は安心したように微笑んだが、その瞳は、僕を捉えているようで、どこか焦点が合っていないような、ガラス細工のような危うさを含んでいた。
「……ごめん。……情けないな、俺」
「ううん。……それだけ、秋月くんが色を真剣に、命がけで受け止めてるってことだよ。……でもね、名前があれば、もう迷わない。私が全部、名付けてあげるから」
彼女の手を握り返した時、僕は確信した。
僕がこれから生きていくために必要なのは、絵具でも筆でもない。
僕の世界を塗り替えていく、彼女の紡ぐ言葉なのだと。
