きみが教えてくれた、世界で一番優しい青

二両編成のローカル線は、ガタゴトと頼りない振動を上げながら、ゆっくりと市街地の喧騒を離れていく。
土曜日の昼前ということもあって、車内はひっそりと空いていた。

僕たちは向かい合わせのボックス席に座り、それぞれ流れる景色を眺めていた。
窓の外は、初夏の若葉が、命の熱量を見せつけるように眩しく生い茂っている。
けれど、その向こう側、建物の隙間から時折のぞく遠くの空は、吸い込まれそうなほど純粋な青で——僕は無意識に、胃の底が冷えるような感覚を覚えて視線を足元に落とした。


「……秋月くん。そんなに外、見たくない?」


羽白さんが、膝の上に広げた色見本帳から顔を上げて、僕の顔を覗き込んだ。
その真っ直ぐな視線から逃げるように、僕は反対側の窓に映る自分の、ひどく冴えない顔を見つめる。


「……青は、あまり得意じゃないんだ」


自分でも驚くほど、掠れた声が口から出た。

いつもなら「別に」と一言で切り捨てるはずなのに。
彼女の隣にいると、僕が必死に隠してきた心の綻びから、言葉が勝手に溢れ出してしまう。


「見てると、喉の奥が詰まるような感じがする。……反射的に、嫌なことを思い出すんだ。もう、どうしようもないくらい、自分を嫌いになるようなことを」


具体的に何があったかは、口にできなかった。
言おうとすれば、あの日飲み込んだ海水の苦い味が蘇りそうで、僕は唇を強く噛みしめた。
指先に力が入り、膝の上のズボンの布地が白く波打つ。

羽白さんはそれ以上、土足で踏み込んでくることはしなかった。
「何があったの?」とも、「気にしすぎだよ」とも言わない。
ただ、僕が窓枠を指が白くなるほど握りしめているその手を、静かに、いたわるように見つめていた。


「……そっか。思い出の中に、閉じ込められちゃうんだね」


羽白さんは独り言のように呟くと、自分の手帳の隅に、青ボールペンで小さな円を描き始めた。
グルグルという微かな音が、電車の走行音に混じる。


「でもね、青って一つじゃないんだよ。秋月くんを苦しめる青もあれば、心を癒してくれる青も、きっとある」

「……そう、なのかもしれない。でも僕には必要ない色だ。……見たくもない」


拒絶するように言葉を返すと、羽白さんは不意にペンを止め、僕を真っ直ぐに射抜いた。
その瞳は、逃げることを許さないほど強く澄んでいた。


「じゃあ、なんでついてきてくれたの? さっき青の図書館に行くって言ったときに、本気で断ればよかったのに」

「それは……」


答えに詰まった。

本気で拒絶すれば、彼女が諦めるであろうことは分かっていた。
それなのに僕は、自分の意思でこの電車に乗り、こうして彼女の向かい側に座っている。

(……なんでだろう)

誰かにこの呪縛を解いてほしかったのか。
それとも、彼女が語る色彩の名前の中に、僕が海に捨ててきたはずの「自分自身」を探そうとしているのか。


「心のどこかで、克服したいんじゃない?」


核心を突くような言葉に、心が大きく揺れ動く。
電車の継ぎ目を越える衝撃が、そのまま僕の心臓を揺らした。


「今日は、君を傷つけない青を探しに行こう。思い出を無理やり塗り潰すんじゃなくて、新しい名前で、上書きするために。……大丈夫だよ。秋月くん、あの日、私の隣で『勿忘草色』を見つけられたんだから」


羽白さんの声は、電車の揺れに溶け込むように柔らかかった。
 
なぜ彼女は、そこまで僕の心に寄り添おうとするのか。
なぜ自分の手が驚くほど冷たいことにも構わず、僕の凍りついた記憶を溶かそうとするのか。

問いを口にしようとしたけれど、その前に「まもなく、終点です」という無機質な車内アナウンスが流れた。
羽白さんは「行こう」と立ち上がり、僕に背を向けた。
その小さな背中が、窓から差し込む初夏の光に透けて、一瞬だけ、光のように消えてしまいそうに見えた。
僕は慌てて立ち上がり、彼女が歩いた後のわずかな空気の揺れを追いかけるように、電車を降りた。