きみが教えてくれた、世界で一番優しい青

雨音の隙間に、彼女の微かな呼吸の音が混ざる。
降りしきる雨の向こうで、公園の草木たちが深い海松色に揺れている。
雨音が、先ほどよりも一層激しく東屋の屋根を叩いている。

彼女に問いかけて、もし取り返しのつかない答えが返ってきたら。
モノクロだった僕の日常が、これ以上別の色に侵食されて、二度と元に戻れなくなってしまったら。
 
そんな臆病な沈黙が、二人の間に流れた。


「……あ、見て、秋月くん!」


不意に、羽白さんが明るい声を上げた。
それは、今しがたまでの重苦しい空気を無理やり引き剥がすような、不自然なほどに弾んだ声だった。


「ほら、あの遊具の影。あそこだけ、色が違って見えるよ」


彼女はまるで、自分が言ったばかりの「杖」の話なんて忘れてしまったかのように、ベンチから身を乗り出して雨の庭を指差した。


「……どれ?」

「あそこ。錆びた滑り台の、一番下のところ。……ねえ、行ってみよう?」


羽白さんは僕の返事も待たず、再びビニール傘を広げて雨の中へと飛び出していった。
 
彼女もまた、逃げたのではないだろうか。
自分が漏らしてしまった本音の重さに耐えきれなくなって、再び「色の探索者」という役割の仮面を被り直したのではないだろうか。
 
追いかけてきた僕に、彼女は少しだけ頬を上気させて、見本帳の新しいページを捲ってみせる。


「あれは……そう、銀鼠(ぎんねず)かな。でも、雨に濡れてる部分は 鉄黒(てつぐろ)になってる。綺麗だね」

「……ああ、そうかもな」


僕たちは、その後もいくつか新しい色の名前を見つけた。
けれど、言葉を交わせば交わすほど、東屋で触れかけた彼女の「核心」が、どんどん遠ざかっていくような気がした。
 
雨に濡れたアスファルト。
鈍く光る鉄格子の影。

新しい名前を覚えるたびに、彼女の記憶の杖は増えていくけれど、僕の胸にある正体のわからない不安は、消えてはくれなかった。


「今日は、ここまで。……風邪引かないようにね、秋月くん」


駅の改札の前で、彼女は「じゃあね」と手を振った彼女の笑顔が、雨に霞んでいく。
 
一人になったホームで、僕は閉じた傘を握る手の冷たさを感じていた。
彼女はあんなにも鮮やかに世界を塗り分けていくのに、どうして僕たちの間にある境界線だけは、いつまでもこんなに濁ったままなのだろう。
 
僕はイヤホンを耳に押し込み、一番騒がしい音楽を再生した。
海松色の雨に打たれる街の景色を、意識の外へ追い出すようにして。