商店街の古い街灯が、ジジッという小さな音を立てて灯る。
それは太陽の光よりもずっと弱くて、どこか心細い、けれど温かな光。
その明かりがアスファルトを照らした瞬間、羽白さんは「あ!」と声を上げてベンチから立ち上がった。
「秋月くん、見て。足元!」
言われるがままに視線を落とすと、僕たちの影の周りが、淡い、くすんだオレンジ色に縁取られていた。
「これだよ。……これが、今日私が一番見せたかった色」
彼女は見本帳を広げ、一枚の紙片を街灯の光に透かした。
夕焼けの残光と、街灯の頼りないオレンジ色が混ざり合って、彼女の指先にある色が魔法のように輝き出す。
「『洒落柿』。……柿の色を水で薄めたような、少しだけ気取った、でも優しい色」
羽白さんはそう言って、街灯を見上げる。
光を浴びた彼女の横顔は、影になっている部分が「小豆鼠」に、光が当たっている頬のラインが「洒落柿」に染まっていた。
「派手な赤じゃない。燃えるようなオレンジでもない。……夜が来る前の、ほんの短い間だけ現れる、この街で一番温かい色だよ」
僕は黙って、その色を見つめていた。
「うるさい」と感じていたはずの色が、彼女の解説を通すと、不思議と心地よいリズムを持って僕の瞳に滑り込んでくる。
(……洒落柿、か)
この色が消えてしまったら、また僕の視界は冷たい灰色に戻ってしまうんだろうか。
それとも、彼女が言うように「名前」さえ知っていれば、暗闇の中でもこの温かさを思い出せるようになるんだろうか。
「……秋月くん。今日は、楽しかった?」
不意に、彼女が僕の顔を覗き込んできた。
さっきまでの無邪気な笑顔とは少し違う、どこか試すような、それでいて不安そうな眼差し。
「……まあ、たい焼きは美味かったよ」
「ふふ、それだけ?」
「…………。……色も、そんなにうるさく感じなかった」
精一杯の言葉だった。
素直に「楽しかった」と言うのは、今の僕にはまだ少し難易度が高すぎた。
けれど、羽白さんはそれで十分だというように、今日一番の笑顔を見せた。
「よかった。……じゃあ、明日は別の場所に行こう。まだまだ見つけたい色が、たくさんあるんだ」
彼女はノートに『洒落柿』と力強く書き込み、それを宝物のようにカバンにしまった。
駅の改札へと向かう彼女の背中を見送りながら、僕は自分の手のひらを見つめた。
たい焼きの温もりがまだ微かに残る指先。
僕は無意識に、心の中でその名前を繰り返した。
(……洒落柿。洒落柿。)
一度名付けてしまったら、もうただの「夕暮れの明かり」には戻れない。
僕のモノクロだった世界に、たった一滴。
薄めた柿色の絵具を垂らしたような、そんな淡い予感を抱えたまま、僕は彼女とは反対方向の電車へと乗り込んだ。
それは太陽の光よりもずっと弱くて、どこか心細い、けれど温かな光。
その明かりがアスファルトを照らした瞬間、羽白さんは「あ!」と声を上げてベンチから立ち上がった。
「秋月くん、見て。足元!」
言われるがままに視線を落とすと、僕たちの影の周りが、淡い、くすんだオレンジ色に縁取られていた。
「これだよ。……これが、今日私が一番見せたかった色」
彼女は見本帳を広げ、一枚の紙片を街灯の光に透かした。
夕焼けの残光と、街灯の頼りないオレンジ色が混ざり合って、彼女の指先にある色が魔法のように輝き出す。
「『洒落柿』。……柿の色を水で薄めたような、少しだけ気取った、でも優しい色」
羽白さんはそう言って、街灯を見上げる。
光を浴びた彼女の横顔は、影になっている部分が「小豆鼠」に、光が当たっている頬のラインが「洒落柿」に染まっていた。
「派手な赤じゃない。燃えるようなオレンジでもない。……夜が来る前の、ほんの短い間だけ現れる、この街で一番温かい色だよ」
僕は黙って、その色を見つめていた。
「うるさい」と感じていたはずの色が、彼女の解説を通すと、不思議と心地よいリズムを持って僕の瞳に滑り込んでくる。
(……洒落柿、か)
この色が消えてしまったら、また僕の視界は冷たい灰色に戻ってしまうんだろうか。
それとも、彼女が言うように「名前」さえ知っていれば、暗闇の中でもこの温かさを思い出せるようになるんだろうか。
「……秋月くん。今日は、楽しかった?」
不意に、彼女が僕の顔を覗き込んできた。
さっきまでの無邪気な笑顔とは少し違う、どこか試すような、それでいて不安そうな眼差し。
「……まあ、たい焼きは美味かったよ」
「ふふ、それだけ?」
「…………。……色も、そんなにうるさく感じなかった」
精一杯の言葉だった。
素直に「楽しかった」と言うのは、今の僕にはまだ少し難易度が高すぎた。
けれど、羽白さんはそれで十分だというように、今日一番の笑顔を見せた。
「よかった。……じゃあ、明日は別の場所に行こう。まだまだ見つけたい色が、たくさんあるんだ」
彼女はノートに『洒落柿』と力強く書き込み、それを宝物のようにカバンにしまった。
駅の改札へと向かう彼女の背中を見送りながら、僕は自分の手のひらを見つめた。
たい焼きの温もりがまだ微かに残る指先。
僕は無意識に、心の中でその名前を繰り返した。
(……洒落柿。洒落柿。)
一度名付けてしまったら、もうただの「夕暮れの明かり」には戻れない。
僕のモノクロだった世界に、たった一滴。
薄めた柿色の絵具を垂らしたような、そんな淡い予感を抱えたまま、僕は彼女とは反対方向の電車へと乗り込んだ。
