羽白さんはカバンから、使い込まれた一冊の束を取り出した。
それは昨日も見た、短冊状の厚紙が扇形に綴じられた「和色の色見本帳」だった。
パラパラと捲られる紙片には、現代的な色彩規格とは違う、どこか濁りを帯びた、けれど深みのある色彩が整然と並んでいる。
「……あ、あった。これだ」
羽白さんは土手の階段に腰を下ろし、見本帳の一枚を空にかざした。
沈みゆく太陽の残光が、彼女の指先にあるその紙片を透かし、空の色と重ね合わせる。
「秋月くん、見て。今の空の、あの雲の縁のところ」
言われるがままに視線を上げると、紫を含んだ灰色から、わずかに赤みが差したような、不思議な境界線が見えた。
「あれはね、『小豆鼠』。鼠色に、ほんの少しだけ小豆の煮汁を混ぜたような、温かみのある灰色」
彼女は手元に置いた小さなノートを開き、今日の日付と『小豆鼠』という文字を丁寧に書き込んだ。
その横には、見本帳の番号と、空の状態が細かく記されている。
「……そんなふうに、全部記録してるのか」
「うん。だって、今日この瞬間の『小豆鼠』は、二度とやってこないから。明日の空は、また別の色になっちゃうでしょ?」
ひと通り書き終わったあと、パタンとノートを閉じた彼女が、ふう、と小さく息を吐いた。
「小豆か……たい焼き食べたいなぁ」
「は?急に?」
「だって、小豆鼠なんて聞いたら連想しちゃうでしょ。……ねえ、駅前の商店街にあるたい焼き屋さん、知ってる? あそこの薄皮のやつ。……食べたいなぁ」
さっきまでの、どこか神秘的で近寄りがたかった彼女の空気が、一瞬で「お腹を空かせた普通の女子高生」のそれに変わった。
そのあまりのギャップに、毒気を抜かれた僕は、思わず小さく吹き出してしまった。
「なんだよ、色より食い気かよ」
「失礼だなぁ。美味しいものは、色も綺麗なんだよ。
ほら、行こう!秋月くんのおごりで!」
「なんでだよ」
文句を言いながらも、僕は彼女の背中を追って土手を下りた。
家路を急ぐ人々や自転車の間を縫うようにして、僕たちは駅前の商店街へと向かった。
それは昨日も見た、短冊状の厚紙が扇形に綴じられた「和色の色見本帳」だった。
パラパラと捲られる紙片には、現代的な色彩規格とは違う、どこか濁りを帯びた、けれど深みのある色彩が整然と並んでいる。
「……あ、あった。これだ」
羽白さんは土手の階段に腰を下ろし、見本帳の一枚を空にかざした。
沈みゆく太陽の残光が、彼女の指先にあるその紙片を透かし、空の色と重ね合わせる。
「秋月くん、見て。今の空の、あの雲の縁のところ」
言われるがままに視線を上げると、紫を含んだ灰色から、わずかに赤みが差したような、不思議な境界線が見えた。
「あれはね、『小豆鼠』。鼠色に、ほんの少しだけ小豆の煮汁を混ぜたような、温かみのある灰色」
彼女は手元に置いた小さなノートを開き、今日の日付と『小豆鼠』という文字を丁寧に書き込んだ。
その横には、見本帳の番号と、空の状態が細かく記されている。
「……そんなふうに、全部記録してるのか」
「うん。だって、今日この瞬間の『小豆鼠』は、二度とやってこないから。明日の空は、また別の色になっちゃうでしょ?」
ひと通り書き終わったあと、パタンとノートを閉じた彼女が、ふう、と小さく息を吐いた。
「小豆か……たい焼き食べたいなぁ」
「は?急に?」
「だって、小豆鼠なんて聞いたら連想しちゃうでしょ。……ねえ、駅前の商店街にあるたい焼き屋さん、知ってる? あそこの薄皮のやつ。……食べたいなぁ」
さっきまでの、どこか神秘的で近寄りがたかった彼女の空気が、一瞬で「お腹を空かせた普通の女子高生」のそれに変わった。
そのあまりのギャップに、毒気を抜かれた僕は、思わず小さく吹き出してしまった。
「なんだよ、色より食い気かよ」
「失礼だなぁ。美味しいものは、色も綺麗なんだよ。
ほら、行こう!秋月くんのおごりで!」
「なんでだよ」
文句を言いながらも、僕は彼女の背中を追って土手を下りた。
家路を急ぐ人々や自転車の間を縫うようにして、僕たちは駅前の商店街へと向かった。
