青春ゲシュタルト崩壊 Another(期間限定公開)



「これ、なんだろ」

保健室の長机の上に置いてある花飾りを手に取る。先ほど金守が置いていったもので、桑野曰く常磐先輩のものらしい。
リボンの裏側に黒いなにかがしみていて、ひっくり返して確認をするとアルファベットと数字が書いてあった。

「アカウントのIDじゃないですかね〜」
背後から声がして、俺は勢いよく振り返る。そこには黒髪をふたつに結んでいる女子生徒がいたずらに成功した子どものような表情で立っていた。

「びっくりさせんなよ」

絶対わざと足音を立てないように近づいてきたなと、中条を睨みつける。けれど、中条は下手くそな口笛を吹きながら「朝比奈先輩が鈍いんですよ」と煽ってきた。

「だいたい帰ったんじゃねぇのかよ」
「忘れ物したんです」

机の上に置いてあったペンを、中条がカバンから取り出したペンケースに仕舞う。

「で、それはなんですか?」
「なんでもいいだろ」
「喧嘩はしないようにね」

保健医であり、従姉の雨村叶乃が笑顔で圧をかけてくる。どうせ中条を相手にしたところで疲れるだけなので、俺は前を向いて再び花飾りを観察する。

これが中条の言うとおりIDだとしたら、その他校の男子がわざわざ花飾りに連絡先を書いて渡したということになる。

「でもそれなら、普通にID書いたメモ渡した方がよくね? なんで花飾りなんて渡すんだ」
空いている俺の隣の席に中条が座り、花飾りを指先で触る。

「ジンクスですよ。花飾りを交換すると恋が実るんだとか。まあ、交換している時点で両想いみたいなものなんですけどね〜」
「そんなの初めて聞いたけど」
「うちの中学ではそういうジンクスがあったんですよ〜」

俺は叶乃と顔を見合わせる。そういえば常磐先輩と中条は同じ中学出身だと言っていた。しかも、桑野の話によるとこれは後輩からもらったものだと言っていたらしい。

「中条、ここに書かれている名前のやつに覚えは?」
「うーん……聞いたことないですけど。私の学年ではないですね」

ということは、常磐先輩の一個下の代だ。だけど、それがわかったところでこの人の顔すらわからない。そもそも常磐先輩の件と関係があるのかも微妙なところだ。

「卒業の花飾りにしては変わっているわよね。紫の花なんて初めて見たわ」
「あー……たしか私たちの少し前の代からお花が変わったんですよね。校長先生がライラックの花を育てていて、それでその花をイメージしたんだとか」

花のことには詳しくない俺にとっては、色が違うことくらいしかよくわからない。たしか中学のときは花の色は濃いピンクだったような気がする。

「ライラックの花言葉がロマンチックだから、交換するのが流行ったみたいですよ」

スマホで検索をかけると、〝初恋〟や〝恋の芽生え〟という言葉が出てくる。あの常磐先輩とはイマイチ結びつかない。
桑野が言っていたように、男の方が片想いでもしていて高校まで渡しにやってきたのだろうか。常磐先輩ならさらりと笑顔で流しそうだが、受け取っていたことは少し意外だ。

それにこの花飾りが一緒に落下したというのも気になる。

「ところで、どうしてこの花飾りがここにあるんですか?」
横目で叶乃を見ると僅かに首を横に振った。中条に詳しく話すなということらしい。

「落とし物」
「これがですか?」
中条から遠ざけるように叶乃に花飾りを手渡す。

「中条さんは誰かと交換したの?」
叶乃が話を逸らすように聞くと、中条が「していません」と即答する。

「交換してるのは恋人同士か、卒業を機に告白したい人くらいでしたよ」
中条の話によると、受け取った時点で相手の想いを受け入れたようなものらしい。つまりこの花飾りの送り主は、常磐先輩と付き合いだしたということなのだろうか。

謎が解けるはずもなく、俺と中条は叶乃にそろそろ下校しなさいと保健室から追い出された。

翌日も常磐先輩に関する噂話は落ち着くことなく、どんどん大きくなっていた。

常磐先輩がまだ目覚めていないので、真実がわからない。だからこそ、憶測で噂が広まっていくのだろう。
SNSに書き込んでいる生徒たちも増えている。そのため朝のホームルームのときに担任が「事故の件をSNSに書かないように」と注意を促していた。

誰かがいたずらに書き込んだ内容が二次被害になることだってある。けれど、先生に言われたからといって生徒全員が守るはずがない。このまま外部にまで噂話が広まると、取り返しのつかないことになりそうだ。

桑野の姿を思い出すと、複雑な気分になる。
いつもことあるごとに頭っから否定してきてうんざりしていたけれど、あの姿を見たら同情してしまう。

目の下には隈ができていて、少しやつれていた。

あの妙な噂のせいなのだろう。それに自分の教え子がいまだに意識不明というのも原因かもしれない。
熊みたいに体格がよくて強面な桑野も、精神的に追い詰められると弱々しく見えるものだなと感じた。

教室の窓の方に視線を向けると、あることを思い出した。
昨日の放課後、三年二組の窓から花壇を見たとき、近くにほうきがあったはずだ。なんの意味もないかもしれないけれど、あんな場所に置いてあることが気になる。

まだ朝早いので生徒たちは少ない。今のうちに確認しに行けば、目撃もされづらいだろう。そんな考えは甘かった。
花壇がある場所へ足を踏み入れると、先客がいた。


「おはよーございます」

色々と口うるさい相手なので一応敬語を使ってみたものの、桑野は俺の姿を上から下まで見て不満そうな顔をした。金髪というのが気に食わないらしく、しょっちゅう注意してくる。

「なんでお前がここにいるんだ」
「せんせーこそ。ここ立ち入り禁止っすよね。今は特に噂のこともあるから近づかない方がいいと思いますけど」

桑野は苦い薬でも飲んだような表情をした。
俺の言葉が桑野に効く日がくるとはと、なんとも言えない気持ちになった。いつもなにを言っても怒鳴られていたので変な感じだ。

「朝比奈、俺の質問に答えろ」
「……気になったものがあったんすよ」

あたりを見回して、ほうきを探す。常磐先輩が落ちた花壇ではなく、右隣の花壇のレンガのところに立てかけられていた。
持ち手の部分が土で汚れているものの、比較的綺麗なほうきだった。

そして持ち手の部分にはマジックで〝3−2〟と書かれている。
桑野はなんでほうきなんて探してるのかと訝しげに俺の手元を見ていた。

「ここの数字って、学年とクラスですよね」
「ああ……それ、常磐のクラスのだな」

このタイミングで偶然三年二組のほうきがここに落ちているとは思えない。桑野も同じ考えのようで、眉間にしわを寄せて腕を組んだ。

「常磐先輩と話したときって、掃除中でしたか?」
「いや、違う。あのとき常磐は窓際に立っていた。手に持っていたのはほうきではなく、あの花飾りだった」

常磐先輩が窓から落ちる前日に受け取っていたという花飾り。そして、落ちたほうき。いったいなにがあったのか、予想はできても確信は持てない。

二組の教室を見上げる。三階と二階の間には、ひさしのような長方形の屋根があった。

「どういう体勢で窓から落ちたんだ……?」
俺の呟きが聞こえたらしい桑野は、一緒に考えるように窓を見上げた。

「窓の枠の部分に座ったとか、か?」
「それで体勢を崩して落ちるってのはあるかもしれないけど……下のひさしっぽいところにぶつかりません? 目立った傷はなかったんすよね」
「落ち方によってはぶつからない可能性もあるんじゃないか」
「遺書らしきものはなかったんすよね」

生徒たちの間でもこれは周知されている話だが、念のため確認すると桑野が頷く。


「今のところはな」
常磐先輩の学校での人間関係はバスケ部の不仲のこと以外は、特にこれといって問題があったわけではなさそうだった。
もちろん表面的な部分しか俺にはわからない。

「大丈夫っすか」

桑野はうるさいし、面倒くさいし、自分の意見でねじ伏せようとするところがある。俺はそんな桑野のことが好きじゃないけど、裏で悪事をするようには見えない。

「俺は噂信じてないんで」
俺の発言がかなり衝撃的なようで、桑野はこちらを見たまま硬直している。そして目を伏せると力なく微笑んだ。

「……ありがとな」
横暴なところもあるけれど、裏表のない正直な人間だなとも思う。
考えていることが顔に出やすい桑野が生徒と不倫や、ストーカーなんてできない気がする。

「せんせーはなんでここにきたんすか」
「常磐が花壇に倒れていたとき、仰向けだったんだ」

それが桑野は引っかかっていたらしい。後ろから落ちたのなら、どういう体勢で落ちたのだろう。

「やっぱさっき言ってたみたいに窓枠に座ったんすかね」
「その可能性は高いな。でも……常磐がそんなことするか微妙だな」
「いくら真面目な優等生でも、大人がいない場所なら気が緩むんじゃないっすか」

部活でどれだけ常磐先輩がいい子だったのかは知らないけれど、ひとつやふたつ大人に見られたら叱られるようなことをしたことがあるだろう。

「常磐は非の打ち所がないほどの優等生だったんだ。部活でも、学校生活でも」
生徒に対して厳しい桑野にここまで言わせる常磐先輩は、三年間完璧ないい子を演じきったのだなと感じる。

「だけど、それが常磐にとってしんどかったのかもしれないな」
「自殺だと思ってんすか?」
「……その可能性は高いと思ってる」

保健室で桑野が常磐先輩には家の事情があると言っていた。それがどういったものかはわからないが、自殺に追い込まれるほど辛いことを抱えていたのだろうか。

間宮曰く、常磐先輩から一度も家族の話を聞いたことがないそうだ。問題は学校の人間関係ではなく、家庭環境だったのか?
それを聞いたところで、桑野はさすがに生徒の個人情報を話してはくれないだろう。

桑野があたりを見回し、「朝比奈、そろそろ戻れ」と言って校舎の入り口の方へ歩いていく。生徒たちが増えてきたので、目撃されることを警戒しているみたいだ。

「これどうしたらいいっすか」
持ってきてしまったほうきを軽く掲げると、桑野が受け取る。そして、近くを通った女子生徒に「土井」と声をかけた。

「悪いがこれを二組の教室に戻しておいてくれるか」
「え……はい。わかりました」
「鍵が閉まっていたら、ひとまず別のクラスの掃除箱にでも入れておいてくれ」

それだけ言うと、桑野は去っていく。ほうきを渡された女子生徒を見ると、昨日話した先輩だった。常磐先輩と同じクラスで仲がいいと言っていた人だ。
俺を見るなり、土井先輩は気まずそうに目を逸らす。

「昨日はすみませんでした」

常磐先輩に傾倒しているように見えた土井先輩に、キツく言いすぎてしまった。自分の大切な相手を、部外者がわかったように話してきたら苛立つのは当然だ。

「私の方こそ、感情的になってごめんなさい」
あのときは冷静じゃなかったと、土井先輩は表情を曇らせる。

「常磐さんのことわかっていなかったのかも」
「……なにかあったんすか?」

昨日会ったときとは違い、落ち込んでいるように見えた。
話すか迷ったのか土井先輩は口を閉ざして少し考えるような素振りを見せたあと、「実はね」と声のトーンを落として説明をしてくれる。

土井先輩がバレンタインの練習用に作っていたチョコレートを、常磐先輩にプレゼントしたそうだ。そして、美味しかったと感想をくれたらしい。


「昨日あなたたちと話したあとに教室にこっそり忍び込んだの。そしたら……」

そのときのことを思い出しているのか、土井先輩が泣きそうな顔になる。

「常磐さんの机の中から、手のつけられていないチョコレートが出てきたんだ」
常磐先輩は食べたふりをしていたということだ。そのことに土井先輩はショックを受けたみたいだった。

「私の手作りなんて食べたくなかったのかな。常磐さんの気持ちを考えずに押しつけてしまったし……」

何故食べなかったのか、以前偶然知ってしまった常磐先輩の秘密を考えると、理由はわかる。だけど、それをこの人に俺が勝手に話すわけにはいかない。

「本当にいらないなら、バレないように捨てると思うんすよね」

あの人はそういうところは抜かりがない気がする。捨てることを躊躇ったから、食べられなくても机の中に仕舞っていたのではないだろうか。

慰めだと思ったのか、土井先輩は眉を下げて「そうだといいな」と笑った。

土井先輩と別れて廊下を進んでいくと、以前常磐先輩と話をした場所が目に入った。

仲がいい土井先輩も、間宮も、教師たちも知らない常磐先輩の秘密。