私は急いでその場から逃げ出す。現場にいたところを見られたら、不審に思われるかもしれない。
花飾りを手に持ったまま校舎に入ると、昇降口のところで一番会いたくない相手と遭遇してしまった。赤いジャージを着た体格のいい男性は、私を見るなり眉を寄せる。
「なにしてるんだ?」
部活が休みのはずなのに放課後に残っている私を、桑野先生が訝しげに見てくる。よりにもよって、こんなタイミングで会ってしまうなんて。
桑野先生は私が持っている花飾りを見ると、僅かに目を見開いた。
「それ常磐のだろう。なんでお前が持っているんだ?」
「どうして桑野先生が知ってるんですか?」
あの日の放課後、常磐先輩と話していたときに見かけたから知っていたのだろう。けれど、桑野先生の口からそれを聞きたくて、じっと見つめる。
「そんなことどうでもいいだろう!」
焦ったように話す桑野先生を不審に思って、私は距離を取るように一歩下がった。なぜ教室で話していたときのことを隠すのだろう。
『私は桑野がストーカーの線も結構あるんじゃないかなぁとは思うけど』
若菜の言葉を思い出して、ぞわりとした。
まさか本当に……?
「常磐から受け取ったのか?」
「それは……その」
たまたま拾ったと言っても、どこでだと聞かれてしまうはずだ。そうなると立ち入り禁止の場所に足を踏み入れたことも知られてしまう。
それに本当にこのまま私は黙っていていいのだろうか。
この人が常磐先輩を突き落とした犯人かもしれないのに。
「なにか隠していることがあるのか?」
隠しごとがあるのは私よりも桑野先生のはずだ。睨みつけようとしても、桑野先生の顔を見ると恐怖で身震いする。
「金守、それは俺が預かっておく」
伸ばされた手から逃れるように私はさらに一歩後ろに下がる。じりじりと追い詰められていく感覚がして、膝が震えた。
「く、桑野先生こそ……」
「俺がなんだ」
恐怖のあまり目に涙を浮かべながら、必死に手を握りしめる。
「隠していることがあるんじゃないですか」
「なんだと?」
凄みの利いた声に、思わず息を止めた。
怖い。今すぐ走って逃げ出してしまいたい。だけど、足は思うように動かなそうで、こんなときに限って私の小さな正義感が心を奮い立たせる。
常磐先輩が優しく微笑みかけてくれた姿を思い出して、握りしめた手に爪を立てながら顔を上げる。
もしも桑野先生が常磐先輩を突き落としたのだとしたら、このままなにも知らないふりをしちゃダメだ。
「あの日、教室で常磐先輩となにを話していたんですか」
桑野先生は驚いた様子で目を見開いた。先ほどまでの威圧感が僅かに薄れた気がする。
「ただ部活の話をしていただけだ」
「常磐先輩は引退しているのに、どうして部活の話をしに行く必要があるんですか?」
疑いの眼差しを向けると、桑野先生は不快そうに顔を顰める。
「お前たち二年がちゃんとまとめないからだろ。だいたい一年といつまで揉めている気だ!」
よく通る大きな声で叱責され、耳を塞ぎたくなる。
いつもそうだ。この人は自分の意見ばかりを口にして、他人の言葉を聞こうとしない。
「なんで常磐先輩と揉めていたんですか」
「俺が突き落としたとでも言いたいのか?」
桑野先生が私を睨みつけながら、私に詰め寄る。背筋に悪寒が走り、膝が震えて私はその場に座り込んだ。
ここでそう思っていますと言えば、口封じのためになにかされるのではないだろうか。いやでも、もう遅いかもしれない。
「おい、金守」
大きな手が私に伸びてきて、両手で頭を庇うように蹲る。助けを求めなくちゃと声を上げようとしたところで、私を呼ぶ声がした。
「杏里? 桑野先生も……どうしたんですか」
顔を上げると、近くに朝葉と朝比奈くんが立っていた。朝葉は私と桑野先生を交互に見てから、眉を寄せる。
「なにがあったんですか」
「……金守が常磐のものを持っていたから、それを預かろうとしただけだ」
本当にそれだけだったのかと睨むと、桑野先生は疲れきった表情でため息をついた。
「とりあえず、保健室行きません?」
朝比奈くんの突然の提案に、朝葉が同意する。
桑野先生は嫌がるかと思ったけれど、意気消沈した様子で頷いた。
私はなにがなんだかわからず、とりあえず三人についていくことになった。
保健室に行くと、叶ちゃん先生がノートパソコンを開いて作業をしている。こちらを一瞥すると、パソコンを閉じて「どうぞ」と微笑む。
「桑野先生がいらっしゃるのは珍しいですね」
「……すみません」
「謝るようなことでもしたんですか?」
「いえ、そういうわけではなく……」
普段は捲し立てるように話し、誰に対しても高圧的な桑野先生が叶ちゃん先生の前では大人しい。一方叶ちゃん先生は口調が穏やかだけど、目は笑っていない。どこか厳しさを感じる眼差しだった。
長机を囲むように私たちが座ると、朝比奈くんが「で?」と私に話を振ってくる。
なにがあったのか話せということなのだろう。
私は視線を彷徨わせながら言葉を探していると、朝葉がそっと私の肩に触れる。
「話せる範囲で大丈夫だよ」
朝葉の言葉は安心感を与えてくれた。彼女は無理に聞き出したり、他人を責めたりしない。
「あの日……常磐先輩が窓から落ちる少し前に、教室で桑野先生と話しているのを見たの」
声を震わせながら私が部活の休憩中に見た光景を説明する。みんなの視線が私から桑野先生の方に向いたのがわかった。
「どういうことですか? その話は初めて聞きました」
先生たちの間でも共有されていない情報だったようで、叶ちゃん先生が桑野先生を睨む。
桑野先生はたじろぎながら、「それはその」と気まずそうにしている。
「揉めてましたよね」
「揉めるというほどではない」
私の指摘に桑野先生がすぐさま否定した。
「だけど、あのとき私には桑野先生が怒っているように見えました」
二年間一緒に過ごしていたのだから、話している内容が聞こえなくてもわかる。話しながら拳を握って腕を動かす動作は、桑野先生が苛立ったときに見せるものだった。
私になにか言い返そうと歯を食いしばった桑野先生をたしなめるように、叶ちゃん先生が間に入る。
「桑野先生、説明していだけますか」
いつもならハキハキと話すのに、桑野先生は言葉が見つからないようだった。まるでなにかを隠そうとしているようにも見える。
「……常磐にはバスケ部の後輩たちの相談にのってやってくれと話に行ったんだ」
「でも、常磐先輩は引退してますよね」
朝葉はそれなのにどうして常磐先輩を巻き込むのだと言いたげに顔を顰めた。
「常磐に懐いている部員が多いから、常磐の話なら素直に聞くと思ったんだよ」
桑野先生が言いたいことはわかる。一年生と二年生の間に立てるような生徒が今のバスケ部員にはいない。かつては朝葉と常磐先輩がその役割だった。
「でも常磐にははっきりと断られた。それは自分がやるべきことではないと」
いつも頼み事を引き受けてくれていた常磐先輩が断ったことは、桑野先生にとって予想外だったみたいだ。
「それで揉めたんですか?」
叶ちゃん先生は口には出さないけれど、本当にそれだけかと疑いの眼差しを向けている。
桑野先生は一瞬私が机に置いた卒業の花飾りを見た。視線を追った朝比奈くんがすかさず「これうちの高校のじゃないよな」と聞いてくる。
「常磐先輩が教室でこれを手に持ってて……」
そう答えながら桑野先生の方を見ると、観念したように深いため息を吐いた。
「それは常磐が他校の生徒から受け取っていたものだ」
どうして桑野先生がそんなことまで知っているのだろう。ひょっとして本当に常磐先輩のストーカーというのは事実だったのかと鳥肌が立つ。
「常磐が窓から落ちる前日に、他校の制服を着た金髪の男子生徒と学校の前で話しているのを見かけたんだよ」
そのときに花飾りを常磐先輩が受け取っていたらしい。なにを話しているのかまでは聞こえなかったらしいけれど、桑野先生は常磐先輩が柄の悪い生徒に絡まれているのかと思ったそうだ。
「注意をしようとしたら、常磐に中学の後輩だと止められたんだ」
机に置いた花飾りに視線を移す。他校の生徒が、これをわざわざ常磐先輩に渡しにきたのは何故だろう。
「もしかして揉めたのは、それも原因ですか?」
叶ちゃん先生に言葉に、桑野先生が苦い表情になった。
「常磐の態度が急に変わったのは、素行の悪いやつと付き合い始めたからではないかと思ったんだ」
「それ、教師が介入することじゃないだろ」
朝比奈くんが呆れたように言う。いつもの桑野先生なら激怒しそうだけれど、今日は違った。困った様子でチラチラと叶ちゃん先生の顔色をうかがっている。
「雨村先生も常磐の事情はご存知ですよね」
「事情ですか?」
「……家の」
桑野先生が途中で言葉を止めると、叶ちゃん先生は硬い表情で頷いた。私たちには聞かせられないような常磐先輩の家の事情があるみたいだ。
桑野先生は、常磐先輩の交流関係に口を出したのは、家のことが関係していると言いたいみたいだけれど、それにしても余計なお世話だと思う。
誰と仲よくしていようが、私たちの自由だし、顧問に部活以外のことで干渉されたくない。
「常磐さんに色々と事情があるとはいえ、桑野先生はその男子生徒の見た目だけで素行が悪いと判断したということですよね」
なにか問題を起こしたわけでもなく、常磐先輩からも相談を受けたわけではない。それなのに頭から決めつけて、関わるべきではないと叱りつけた姿が想像つく。
「言いすぎたとは思ってる。ただ……常磐とはその話をしたあと先に教室を出た。だから、窓から落下したときは、あの場に俺はいなかった」
桑野先生が横目で私を見る。突き落としていないと言いたいのだろう。
「私も桑野先生が常磐さんを突き落としたとは思っていませんし、噂されているような関係だったとも信じていません」
叶ちゃん先生の発言に桑野先生は胸を撫で落として表情を緩めた。生徒たちに噂されていることを先生たちも把握しているみたいだ。叶ちゃん先生は桑野先生の無実を信じているようだけれど、本当に桑野先生がなにもしていないのか私の中では疑いが晴れない。
「金守さん、それ預かってもいい? 常磐さんに返しておくから」
叶ちゃん先生なら任せて大丈夫だろうと思い頷く。それに私からはなんとなく常磐先輩に渡しづらかった。
「桑野先生は生徒たちへの対応にもう少し気をつけてください。特に今は事件が原因で不安定になっている生徒たちも多いので。金守さんも、立ち入り禁止の場所には行かないようにしてね」
「はい。ごめんなさい」
叶ちゃん先生から軽くお説教をされて謝罪する。「それじゃあ、もう解散しましょう」と叶ちゃん先生が手を叩いた。
桑野先生は叶ちゃん先生に頭を下げたあと、申し訳なさそうに私を見た。
「怖い思いをさせて悪かった」
それだけ言うと、桑野先生は保健室から出て行く。
残された私はぽかんと口を開けたまま、椅子から立ち上がれずにいた。
「叶ちゃん先生……本当に桑野先生はなにもしていないと思う? 噂も全部嘘だと思う?」
私の問いかけに、叶ちゃん先生は眉を下げながら「内緒よ」と口の前で人差し指を立てる。
「桑野先生って、先生たちの中では愛妻家で有名でお子さんをすごく可愛がっているの」
二年以上部活で関わってきたけれど、桑野先生の奥さんや子どもの話を一度も聞いたことがなかったので、少し驚いた。
叶ちゃん先生曰く、スマホの待ち受け画面も、パソコンの背景も家族写真だそうだ。
「家族との時間を優先したいからって飲み会にもほとんど行かないし、職員室で家族の話をするときも幸せそうにしているから、そんな姿を見ていたら噂は信じられないのよ」
普段見ている桑野先生とは結びつかない。朝比奈くんも「それ誰の話だよ」と苦笑している。
「人って、見えている一面だけが全てじゃないでしょ」
その言葉に私はハッとした。私もそうだ。学校のみんなに見せている元気な一面だけが全てではない。関わる相手によって、見せる部分は異なる。
「生徒に対して頭ごなしに叱りつける桑野先生にも問題はあるけれど、家族を裏切るようには私には思えないの」
正直まだ桑野先生のことは疑っている。けれど、不倫やストーカー疑惑については思い当たることがない。
部活のとき、ふたりはよく話していたけれど、特別な空気感はなかった。噂に踊らされて疑っていただけなのだとしたら、すごく酷いことをしていることになる。勝手に疑って怯えて、決めつけるように話してしまった。
「金守さん、今日はゆっくり休んで。最近あまり眠れていないんじゃない?」
叶ちゃん先生が自分の目元を指先でとんとんとする。常磐先輩の件があってから寝つきが悪いので、疲れきった顔をしているみたいだ。
「ありがとうございました」
立ち上がり、帰ろうとすると朝葉に呼び止められる。
「一緒に帰らない?」
「え……でも」
朝比奈くんはいいのだろうか。すると私の考えていることを察した様子で、朝比奈くんが早く行けと言うように軽く手を振った。
「俺はもう少し残るから」
気を遣ってくれたように見えるけれど、朝葉が私に微笑みかける。
「行こ」
「……うん」
ふたりで保健室を出ると、薄暗い廊下を歩いていく。
朝葉と一緒に帰るのは久しぶりだ。六月の終わりに朝葉がバスケ部を退部してから、こうして一緒に帰ることもなくなった。
きっと気まずいのは私だけではない。朝葉も私に対して思うことがあるはずだ。
靴をローファーに履き替えてから、ふたりで並んで学校を出た。外はすっかり薄暗くなっていて、日が沈みかけている。
「杏里、無理しないようにね」
信号に差し掛かったところで朝葉が私を気遣うように言った。
相変わらずだなと思う。恨み言のひとつやふたつ言ってもおかしくはないはずなのに。
朝葉がバスケ部にいた頃、私は朝葉が苦しんでいるのを気づいていて、見て見ぬふりをしていた。自分を守るために必死で、そのために朝葉を犠牲にしていたのだ。
悪口を言われていたことも、みんながやりたくないことを押しつけていたことも、全部朝葉は気づいていた。
だけど、それを耐え続けてある日朝葉は体調を崩した。
そのときだって、私は朝葉の心配ではなく、自分の心配をしていたのだ。もしも朝葉が休んだら、私はどうなってしまうのだろうと思ってしまったのだ。
「朝葉……」
朝葉は恨んでないの?
聞こうとして、上手く言葉に出せなかった。
「他の人には言わないから、大丈夫だよ」
私が言葉に詰まったのを見て、朝葉が柔らかな笑みを浮かべる。今日のことをバスケ部の人たちに黙っていてほしいのだと思ったようだった。
「……うん、ありがと」
朝葉は言いふらすはずがない。それは口止めをしなくてもわかっていた。
『杏里は馬鹿なんかじゃないよ』
不意に過去に言われたことを思い出した。
私がバスケ部の子たちに『杏里はさ、要領が悪くて得してるよね。ちょっとお馬鹿で抜けてるのが愛嬌っていうかさー』と言われた日のことだ。
一緒に帰っていると、朝葉は私が落ち込んでいると思ったのか優しく慰めてくれた。
〝大好き!〟そう私が言うと、彼女も同じように返してくれる。
『私も、杏里のこと大好き』
私を唯一馬鹿にしなかったのは、私が一番傷つけて犠牲にした朝葉だった。
好きだった気持ちは嘘じゃないのに。いつからか下に見て、都合のよく雑用を押しつけて、自分に被害がないことに安堵していた。
涙が込み上げて、嗚咽を漏らしながら下唇を噛みしめる。
「杏里⁉︎ どうしたの?」
どうしていつも私は、間違えてばかりなんだろう。
保身ばかりで、自分の言動で誰かを傷つけて苦しめていることをきちんと考えられなかった。
——それって、まるで生贄みたいだと思わない?
今思えば常磐先輩も、朝葉もバスケ部の生贄だった。同じような立ち位置に置かれて、初めて私は辛さを実感して、自分の過ちに気づかされた。
「ごめん、あたし……こんなんで」
こんな自分が大嫌いだ。
バスケ部にいた頃のことをごめんねと謝ったところで、自分の罪を軽くするだけだ。それなのに、何度も「ごめん」と繰り返してしまう。
「あたしのこと許さないで」
「え?」
「ずっと朝葉に酷いことしてた。だから……っ」
周りと一緒になって悪口を言って、笑っていた。最低な私を、許さないでほしい。それなのに心のどこかでは朝葉がまた以前のように優しく接してくれるのではないかと思ってしまっている。
朝葉は涙で濡れた私の頬を両手で挟むと、強引に上を向かせた。
目が合うと、朝葉は見たことのないような不機嫌そうな表情だった。
「許すかどうかは私が決めることだよね」
一方的に押しつけるのは、以前となにも変わらない。それなのに、また身勝手なことをしようとしていた。
「ごめん」
「杏里、私は謝ってほしいなんて一度も思ったことないよ。それに私の中で、もうとっくに終わったことだから」
私とは違って、朝葉は前を向いているのだと真っ直ぐな瞳から感じる。
過去に囚われていたのは私だけだったのだと痛感して情けなくて再び涙が込み上げてくる。
もしも朝葉が部活をやめるより前に声をかけることができていたらと思うことがあった。
そしたら引退まで一緒にバスケを続けていた未来だってあったはずだと。
けれど、きっとそれでも朝葉は最終的にやめる選択をした気がする。
朝葉は周りから頼まれごとをされやすいけれど、最後は自分の意志で行動をしている。だから私が馬鹿にされていたときも、朝葉だけは一緒になって笑ったりしなかった。
バスケ部の一年と私たち二年の仲が悪くなったときも、朝葉だけは一年を気遣うように声をかけていたのだ。
「あたし……馬鹿だなぁ」
「杏里」
自分を馬鹿だと言わないでと朝葉が眉を寄せた。
でも本当に馬鹿だった。だって、大事にするべき友達を私は傷つけて突き放していたのだから。
「いつも朝葉は私に優しくしてくれたのに」
今度こそ間違えないようにしたい。私は頬に添えられている朝葉の手に、自分の手を重ねる。
「ありがとう」
ずっと伝えるべき言葉はこれだった。朝葉のおかげでバスケ部は上手く回っていたし、私が困っていると声をかけて助けてくれた。そんな朝葉に私は心からのお礼を今まで言えていなかった。
朝葉はニッと歯を見せて笑う。その笑顔は以前よりも無邪気に見えた。
私が泣き止むと、再び歩き始める。先ほどよりもゆっくりとした速度なのは、もうすぐ朝葉が乗るバス停が近くなってきているからだ。
「あたしさ、常磐先輩に見抜かれていたんだろうなーって思うんだ」
「見抜かれていた?」
「朝葉に色々押しつけていたのとか、自分が押しつけられることが怖くて周りを煽てていたのとか……たぶんそういうの全部」
だからあの日、常磐先輩は私に働きアリの法則の話をしたのだろう。
「常磐先輩に嫌われたんだろうなぁ」
そう思うと結構ショックだけど、当然のようにも思える。私の醜い部分を知ったうえで好きでいてくれるはずがない。常磐先輩だって今まで大変な思いをしてきたはずだから。
「たぶん常磐先輩はほとんどの人のことを好きではなかったと思う」
「え?」
朝葉は少し考えるように、足元を見つめる。
「上手く言えないんだけど、常磐先輩ってきっと誰にも心を許していない気がするんだ」
意外だった。てっきり朝葉は「そんなことないんじゃないかな」と言うと思っていた。
心を許していない。そうかもしれない。常磐先輩は他人との間に見えない分厚い壁があったようにも感じる。
「私の想像でしかないんだけど」
「でも朝葉のその意見は、しっくりくるかも。常磐先輩はみんなに優しいけど、誰も特別じゃない感じがする」
だけど、最後に言っていたことだけは、私の身を案じてくれているようにも感じた。
『本当は私にこんなこと言う資格ないけど——見失わないようにね』
濃紺に染まる空を見上げる。
太陽は完全に沈み、星が見え始めていた。



