青春ゲシュタルト崩壊 Another(期間限定公開)


あれから特に体に異常はなく、私はすぐに退院ができた。

卒業生代表を土井さんが代わりにやろうかと言ってくれたけれど、一度引き受けた以上は最後までやることにした。
だけどこれからは、少しのみ込むのをやめて生きていこうと思っている。そう思えたのは、一条くんや土井さんのおかげだ。

私が知らない間に、事故について様々な憶測が飛び交っていたらしい。
その中には真実ではないこともたくさん混ざっていた。私との関係を疑われた桑野先生には申し訳ない。

雨村先生を通して、デマだということを先生たちには伝えてもらった。
友達にも否定をして、ただの事故だと話すと生徒たちは興味を失ったのか噂は収束していった。

そして土井さんにはトリュフのことを謝罪し、私が青年期失顔症で、味覚を失っていることを打ち明けた。
どんな反応をされるか怖かったけれど、土井さんはどうしたら味覚が治るのかと一緒に考えてくれた。そんな彼女の優しさに私は救われていた。

もっと早くに打ち明けていたら、土井さんと今よりも仲よくなれたかもしれない。


そして迎えた卒業式当日。
私は無事に卒業生代表としての最後の挨拶を終えた。しんみりとした気持ちよりも、私は自分の役割をこなせたことへの安堵の方が大きい。

「土井さん、大丈夫?」
目も鼻も真っ赤になっていて、土井さんは卒業式が終わってもなかなか泣き止まない。教室で泣いている生徒たちはたくさんいるけれど、一番泣いているのは彼女な気がする。

「色々思い出したら涙が止まらなくて!」
いつもよりもテンションが高い土井さんが私に抱きついてくる。

「常磐さんと会えなくなるのも寂しい」
慰めるように彼女の背中をぽんぽんと叩く。

「卒業しても会えるから」
「本当に? 会ってくれる?」

微笑みながら頷くと、土井さんはますます涙を流す。
高校生活は辛いことが多かった。けれど、思い返せば楽しいことだってたくさんあった。その中のひとつが、土井さんと過ごした日々だった。


「あの……常磐さん」

クラスの女子が少し気まずそうにしながら、私に声をかけてくる。表情からなにか頼みたそうだなと察した。

「どうしたの?」
「このあとのクラス会ってくるよね? 私が幹事をしていたんだけど、私より常磐さんの方がまとめるの上手だから……」

クラス会には不参加と伝えたはずだけれど、彼女には伝わっていないみたいだった。
私が不参加だと知っている土井さんが代わりに言ってくれようとしたけれど、私は「大丈夫」と止める。

以前だったら、本当は行きたくなくても参加をしていたし、いい人の仮面をつけて幹事を引き受けていた。
けれど、そういうのはもう終わりにすると決めたのだ。

「私、クラス会には不参加の予定なんだ」
「……ちょっとだけでもいいから、参加できない?」

お願いと必死に頼まれる。その声が聞こえたのか、周囲にいる子たちも私を見ていた。視線が集まると変な汗をかく。だけど、このまま折れるわけにもいかない。今日は大事な日なのだから。


「ごめんね。用事があるんだ」

もう一度断ると、彼女は諦めた様子で去っていく。
断るだけで心臓が少しドキドキした。

自分がこんなにも怖がりだったのかと感じる。

いい人でいることは時々しんどくて、だけどいい人をやめるのも怖い。

それでも自分の心や大切なものを守るために、偽りだらけだった自分を手放そう。
ブレザーのポケットに入れているスマホが振動する。彼からのメッセージが届いていた。

「迎え?」
「うん」

約束している人がいると土井さんには話していたので、私は彼が学校の前に着いたことを話す。
土井さんも彼氏と約束があると言っていたので、ここでお別れた。しんみりとした空気に一瞬なったけれど、私はなるべく明るい声で彼女の名前を呼ぶ。


「またね」
いずれまた会えることへの期待を込めて言うと、土井さんが笑顔で頷いた。

「またね、常磐さん」
土井さんに軽く手を振って、私は教室を出る。

三年間過ごした学校の廊下を駆けていく。模範的な生徒でいることにこだわって、走ることなんて一度もなかった。
だけど、今日ははやる気持ちを抑えきれない。


会いたい人がすぐ傍にいる。会ったらまずはなにから話そう。
今までのこと、これからのこと、聞きたいことや言いたいことは数え切れないほどある。


急いで昇降口を出て、校門の前に立っている彼の名前を呼ぶ。

「一条くん!」
私を見た一条くんが、ニッと歯を見せて大きく手を振ってくれた。

「卒業おめでとうございます」
暖かな春の日差しに、咲き始めたばかりの桜と淡い水色の空。今日を彩る全てが美しく感じるのは、私の世界に彼がいるからだろうか。


「これ、よかったら」

一条くんは袋から取り出した小さな花束を私にくれる。

「ありがとう。……かわいい」

赤いチューリップと淡いピンクのかすみ草の花束だ。花束なんて初めてもらえたので嬉しい。


「もっと豪華な感じにしようかと思ったんですけど、これが一番しっくりきたんで」
「なにか特別な意味でもあるの?」
「……ひとりになったときに調べてください」

あとでこっそり赤いチューリップとピンクのかすみ草の花言葉を調べてみよう。そして枯れる前にドライフラワ―にして、引っ越し先でも飾れるようにしたい。


「待っていてくれて、ありがとう」

こうして彼と会っているのが夢ではないかと思うほど、まだ実感が湧かない。優しく微笑んでくれる一条くんを見ていると、目頭が熱くなってくる。


「先輩って卒業式でも泣かないと思ってました。貴重なのでじっくり見ておかないと」

せっかく真面目な話をしようとしたのに、ふざけたことを一条くんが言うので「見ないで」と花束で顔を隠す。

「怒りました?」
「別に」
「機嫌直してくださいって」

花束を少しだけ下げて、一条くんを見る。

「卒業祝いに、ここから連れ出してくれる?」

ふっと一条くんが笑うと、つられて私も笑う。
一条くんが私に手を伸ばして、引っ張ってくれる。一歩進むと、学校の外に出た。

ふわりと、薄紅色の花びらが私の目の前を横切っていく。
振り返ると咲き始めたばかりの桜と校舎が見える。

満開を迎えるのは私の新生活が始まる頃だろうか。
もうここに戻らないのだと思うと、ほんの少し感傷的な気分になる。

私は自分が嫌いだった。いい人の仮面をつけて周囲に本音を言えない臆病者。心の中は醜くて、狡くて捻くれていた。


これからも私はいい人の仮面を捨てることはできないだろう。けれど、自分の気持ちを伝えることを諦めて流されるように生きるのをもうやめたい。
きっと私の選択次第で、いくらでも未来は変わる。


「一条くん」

ずっと伝えられなかった、私の本当の気持ちを彼に話そう。
今度こそ、照れ隠しなんてせずに。



「私ね——」







『青春ゲシュタルト崩壊 Another』本編 完