「やはり和泉は祓い人なのではないか? 狼の件といい、霊水や術での縫合は、ついでなどという言葉だけでは説明がつかないぞ」
私が問いただせば、和泉はやれやれと言うように口元に笑みを浮かべ、立てた片膝の上に肘を置いてこちらを見据えた。
「俺の元々の生業は医者だ。祓い人の真似事はただの奉仕活動に過ぎない。今回もどうしてもと頼まれたから出向いただけだ」
「それはおかしい。この糸術はただの神気で練られたものではない。真似事などでは到底出来ない、上位術士のものだ」
村里で糸術を扱うものはいたが、印を解けば効力はなくなるというのに、今縫合された糸は残り続けている。
それに視えた糸の色は、陰陽五行に基づいており木は青、火は赤、土は黄、金は白、水は黒で構成されている。
その上、傷口が何かに守られているような安心感がある。
和泉は目を丸くして感嘆の声を上げた。
「ほう。よく解ったな。それに気付いたのはお前が初めてだ。実は俺の糸術は神気だけではなく、祝詞が練られている。人は健康を祈願する故に治療にも使えるのだ」
やはりただの並大抵の人ではない。幕府の御抱でも可笑しくない実力者のようだ。
このような人が何故地方の田舎などにいるのか……?
私はある可能性に辿り着き、姿勢を正して訊ねる。
「もしや、住まいは都なのか?」
「いや。ここから三里程(約十一キロ)離れた集落に住んでいる」
「……なにか秘密裏の任務があって身を置いているとか?」
「ふ。お前は俺を買いかぶりすぎだ。都に出れば俺くらいの実力者は腐るほどいるぞ。今までよほど暗い井戸の中にいたのだな」
「世間知らずと言うなら、村からあまり出ていないのでそうかもしれないな……」
村の人以外で和泉を比較できないので、井の中の蛙と指摘されれば言葉に詰まる。
逆に知らないことで失礼に当たることもあるので、あまりむやみやたらに騒がないほうがいいのかもしれない。
私は崩した脚に目を落とし、縫合された箇所をそっと片手で覆う。
「……和泉の糸術は脚に馴染んで心地がいい。これなら直ぐに治りそうだ」
「ふ。いくら祓い人で相性が良いからと言っても、早くて完治に七日は掛かるぞ。それまでは、精神統一しながら祝詞を唱えるのだな」
「何から何まで恩に着る。またいつか御礼をさせてほしい」
「なぁに。礼などいい。一日一善と謂うであろう? 今日は一度も善行をしてなかったからな。丁度良かったと思っていたところだ」
私の申し出に対し、和泉は閉眼し手の平を広げ軽口を叩いた。こちらに気を遣わせないような言い回しが上手く、失笑してしまう。
和泉は穏やかに私の顔を見つめていたが、一拍置いてから話を切り替えた。
「――それで、どうしてそのなまくら刀で祓おうとしていたのだ?」
「実は、私の住む村里に流れていた、白山の滝で刀を清めていたのだが、ここ数年で枯れ果てつつあって浄化力が落ちてきたんだ」
「村には他に清め場はないのか?」
「あるにはあるのだが……白山から流れている滝は私の神気と相性が良いんだ。他の清め場を使うのは浮気しているようで、後ろめたくなるんだ」
「……ほう。浮気と表すか……。いや、信心深いことは良いことだ。特に白山の神はその考えを気に入るだろうな」
鷲夜や佐吉のように拘るなと説教されると思ったが、和泉は意外にも私の考えに好意的であった。自分の融通の利かなさを少しばかり不安に思っていたが、彼が賛同を示してくれて心が軽くなる。
「それで、刀を清めるために白山から流れている滝に行こうと思ったんだが、村を出る前に仕事の依頼を頼まれて……三振り程なら祓えるかもと驕ってしまった。……和泉が言っていたように考えが浅はかだった」
「……刀が穢れているのに、お前の村では仕事をさせるのか?」
和泉が眉間に皺を寄せ、非難の目を向ける。私に向けられてはいないものだが、全ての原因が村里にあるわけではない。
体を縮こませながら話すか躊躇うが、ここで言い淀んだとしても、いつかはどうせ明るみに出てしまうだろう。
「それにも事情があるんだ――」
私は父のことを包み隠さず話した。
父が危機に陥り、妖の主に身を捧げたことで村人から反感を買ったこと。しかし、それは私を想う気持ちからの行動だったこと。その事があって私が祓い人の仕事を断らずに請け負い続けていること等を簡潔に説明した。
和泉は口を挟むことなく、真剣な面持ちで目を逸らすことなく耳を傾けてくれた。
話し終えると和泉は、体の力を抜くように息を吐いた。
「――なるほどな。父の汚名を晴らすため、か。それなら尚更引き受けるべきではなかったな。体に何かあっては、元も子もないだろう」
「……和泉の言うとおりだ。どうしてそのような当たり前のことに、気づかなかったのだろうな……」
改めて正論を突きつけられると情けなくなり、力なく下を向き拳を固く握る。
今まで自覚したことはなかったが、滝の水量が減っていることが、私の思考まで動揺を与えてしまっていたのかもしれない。
俯いていれば、和泉がふっと息を零した。
「そんなに気にするな。村の奴らも、菊理に甘え慣れすぎていたのだろう。それに、村八分状態ならば、気にかけてくれる人もいなかったのだろう? 全てがお前のせいではない。危うさを見抜けなかった頭領が悪い」
和泉は穏やかな口調で私のことを慮ってくれた。私はその優しさに救われた気持ちになって、力の入った手を緩め顔を上げ微笑む。
「和泉は優しいな」
「ハッハッハ! よく言われる!」
重苦しかった空気を払うように和泉は高らかに笑った。不思議な男だ。まるで神仏のような慈悲深さを感じる。
私は和やかな気持ちで和泉の笑う姿を見た後、顔を小屋の小窓に向ける。見える夜の暗さを確認すると、私は一つ頷いた。
「夜も遅いし、今日はここで寝泊まりするか。和泉も家が離れているなら、帰りはしないだろう?」
「……まさかそちらから提案されるとはな。ああ。初めからそのつもりでここに来ている。――安心していい。俺は乳臭い女に手を出したりはしない」
和泉は不敵な表情を浮かべて鼻で笑った。
彼が良い人であると分かっているが、信用しきれていないと思われたのだろう。
先ほどの祓い人としての私の痴態を引き合いに出されて、反省の色を示した。
「未熟者、か。確かに穢れを十分に清めなかった落ち度を鑑みれば、そういう評価になり得るな。――だが、これから挽回していければいいなと思っている」
真摯な表情で表明すれば、和泉は呆けたように瞬きして私を見つめていた。
意表を突かれている様子だったので、頓珍漢なことを言ってしまったかと首を傾げれば、和泉は頬を膨らまし噴き出した。
「ハッハッハ! そうか! 挽回するか! それは愉しみだ!」
和泉は膝を打って大口を開き、それはそれは愉快げに笑っていた。
近くの村で仕入れていた餅で夕食を済ませると、囲炉裏の火を消して、互いに離れた場所で背を向けて横になる。
「それじゃあ、和泉おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
暗い部屋の中で、挨拶をすれば返ってくる。
その些細なやり取りがどれほど幸福なことか。
和泉と出会ってから昔は当たり前だったことが重なり合い、追想してしまう。
物悲しいような、懐かしくて嬉しいような感情が混じり合い、開いていた目から涙が一粒こぼれ落ちた。

