祓い人菊理の恋情奇譚


洗濯物を干し終えて、私は家を出る。
清めている刀を取りに林に入り、滝つぼを目指す。以前は脛まであった水嵩は枯れ果て、今では刀を清めるだけのささやかな水量しか流れていない。

滝と言っていいのかも怪しいほどか細いのだが、一応上から流れているのでそう呼んで差し支えないだろう。

落ち葉が溜まった滝つぼに足を踏み入れ、置いていた刀を手に取ると日にかざすように刀身を眺める。

――駄目だ。穢れが十分に祓えていない。

妖を斬ると穢れが刀身に付き、その都度清めなければならないのだが、やはり滝の水量が足りないらしい。

穢れが付いたままでは、神気が滞りなく刀に流れていかず、威力が衰えてしまう。つまり、穢れは刃毀れのようなものなのだ。

他の清め場を探せばいいのだが、この滝は私が生まれた時に身体についていた血を洗い流したときに使ったようで、とても相性が良い。

やはり滝の大元に行くしか方法はなさそうだ。そうなると家を空けることになる。
家を空けることに関しては盗られても困るものはないのでいいのだが、問題は家業の方だ。

こちらは私がいないとなると……村の衆が大変なのではないか?

最近の祓い人の仕事は、事情もあって仕方ないとはいえ、私に全て回ってきている。どんなに弱い妖であってもだ。

私がいなくなれば、その仕事は他にいくということになるので、顰蹙を買いかねない。
とはいえ、村人からは既に疎ましがられているので関係はないか。

私は刀を鞘に収め、村の名主――つまり三鷹の父親のもとへと向かった。
三鷹の家は名主の本屋敷の敷地内にあるのだが、私が三鷹の父親に会うのは仕事の請負するときのみだ。

本屋敷に赴けば、肌を突き刺すような人の悪意が自分に向けられていることが嫌でもわかる。
使用人に奥座敷に通されれば、白髪交じりの男が厳格な佇まいでこちらを睨みつけるように座している。当主、鷲夜(わしや)だ。

礼をし、真向かいに腰を下ろすと用件を端的に口にした。鷲夜はあからさまに顔を歪めた。

「何? 暫く仕事を請け負えない? まさか逃げる気ではないだろうな?」

私が少しでも及び腰のような姿勢を見せれば直ぐこれだ。何度言わせれば気が済むのか。
姿勢を正して、真摯な表情で鷲夜を見返す。

「何度も言っていますが、私は逃げません。父の汚名を返上する為に依頼は全て受ける所存です」
「ならば村を離れる必要はない。話は終わった。帰るがいい」
「で、ですがこの刀を見て頂きたい。穢れが十分に祓いきれていないのです。これでは仕事に支障が出かねない」

私は腰に携えていた刀を畳の上に置き、差し出す。鷲夜は興味がなさそうに一瞥した後、やれやれと息をついた。

「仕方がない。特別に敷地にある清め場を使ってよい」
「有り難い申し出ですが、私の神気は白山から流れている滝と相性がいいのです。他の清水で清めを行うのは浮気をするようなもの。絶対に行かせてもらいます」

私が異を唱えると、途端に鷲夜が侮蔑の目を向ける。

「生意気な口を利く。清めなど何処でしようとも変わらぬというのに……! そういう融通のなさが命取りであることが分からぬのか!?」
「こればかりは譲れません。幾ら止められようとも私は行きます。数日程で戻ります」

怒りを顕にした鷲夜にも、私は動じず自身の確固たる意志を示すためただ彼を黙って見つめる。
彼はグッと言葉を飲み込み、視線を横に逸らす。なにかを逡巡しているようだったが、諦めたようにため息をついた。

「……ならば村を出る前に一つ仕事をこなしていけ。村の佐吉と共に、近頃噂になっている東の峠に妖調査に行ってまいれ」

佐吉かぁ〜……。あの男は口ばかりで何の役にも立たないのでどうせなら一人で行きたいものだ。

とはいえ、東の峠なら依頼をこなした後に滝の大元になっている、白山の川にも行けなくはないので、報告を佐吉に任せて別れれば良いだろう。

「引き受けてくれるな? 裏切り者の子よ」

皮肉めいた物言いに、私は感情も湧かぬ顔で返事を一つ返し、屋敷をあとにした。

次の日、仕事着の袴に着替え、旅支度を整えて佐吉と共に村を出て東の峠へと向かう。
佐吉は同い年で十七になる男で、丸顔でいつも締まりのない目をしている。
村では爪弾きの私でも二人きりとなれば、無言の旅路など出来る筈もなく、適当に会話をしつつ、調査後に別れることを説明する。

すると佐吉は頭の後ろで腕を組んだまま、私をみる目を丸くした。

「お前、まだそんなことに拘っているのか。村の皆が言っているぞ。お前の父親が当主様を裏切ったから滝が枯れていくのだと」

佐吉の言葉は今の私には耳が痛かった。
鷲夜の皮肉は流せるが、段々と滝の水量が減ってきているのを自覚している分、胸に突き刺さる言葉だった。