大腿を傷つけられ、まともに動くことも叶わないだろうに、三鷹は立ち上がり、刀を中段に構えると鷲夜を見据えた。
鷲夜は刀を下げたまま、やれやれと息をつき、厳かな態度で三鷹を戒める。
「退け、三鷹。これは妖の主を祓うのに、必要なことなのだ」
「ならば、その少年を祓うべきでしょう!? どうして匿うような真似をされているのですか!? 父上の考えは分かりませんが、貴方が出来ないのであれば僕が祓います」
三鷹は鋭い視線を通り悪魔に向けた。しかし、通り悪魔を庇うように、鷲夜の刀の刀身が遮る。
三鷹は顔を顰め、非難するように鷲夜を見る。
「父上、貴方はまともじゃない……」
「ならば三鷹、私を祓うと良い。晴時の娘を殺されたくなければ、父を殺せ」
三鷹は目を見張り、父親を見て、懐疑的な目を向けて問いかける。
「本当は……死にたくなるほど、後悔をしているのですか……?」
「ふ。初めてお前の言うことで、面白いと思ったぞ」
鷲夜は厳格な表情を崩し、穏やかに口元に笑みをたたえた。侮られているのだと察し、三鷹は改めて刀を構えた。
三鷹は固い面持ちで見据えているが、鷲夜は涼しげな表情で右手の刀を下ろしている。怪我の程度から、三鷹から挑むことはないだろう。
鷲夜が不敵に笑い、刀を上げて両手に持ちかえると、大きく足を踏み込み、三鷹の刀に刀身を叩きつけた。
足の傷を痛む瞬間を見逃さず、鷲夜は素早く刀を引くと三鷹の右肩を刀で貫いた。耐えるような呻き声を上げ、左手で肩を覆い膝をついた。
勝敗を目にした通り悪魔は立ち上がり、悠々と三鷹の横を通り抜けようとするが、最後の足掻きか、刀を振るわれる。が、鷲夜によって阻止され弾き返される。
傷に響いたのか、手から刀は離れ、より一層苦しみの声が上がった。
それを通り悪魔は視認した後、背を向けて歩き始めようと足を踏み出す。
「ま、待て……。菊理に憑くくらいなら、僕に憑け……」
三鷹が苦し紛れのように、声をかけてきたので振り向けば、葛藤の色を滲ませながら目元を歪めて訴える。
「無理してまで菊理に憑くよりは、よほど楽だろう…? 菊理の為なら僕は、死をも厭わない……!」
鷲夜に似ておらず、まるで晴時のようだと通り悪魔は鼻で笑う。しかし、本当に晴時のようではその頼みは叶えることは出来ない。
だから、煽り笑いながら通り悪魔は試す言葉を口に出した。
「ならば、僕のためにその身を捧げてみろ。菊理を未練がましく想いながら死ねば、菊理の代わりにお前に憑いてやろう」
勿論、一時的な交渉だった。
ゆくゆくは菊理を殺し、取り憑く予定だ。
神から愛された人に取り憑くのは、神の怒りを買い、ますます箔が付く。妖の王もなるには、ある程度の神気も必要になるので丁度良かった。
三鷹が探るように通り悪魔の瞳を見つめて、逸らし、少考するように閉眼すると瞼を開けて「分かった」と返事をした。
通り悪魔は流し目で鷲夜を見上げ、念の為確認する。
「鷲夜、構わないな?」
「昔から言うことを聞かない奴だ。私が何かを言ったところで、考えが変わるとは思えん」
異議はなかった。
三鷹は鷲夜を難しい表情で見つめていたが、視線を外し、床に落ちている刀に体を這うように近づき、手に取った。
怪我の消耗せいで三鷹は荒い息をしていたが、覚悟を決めたのか、息を呑み込む。
切っ先を見つめると追憶するように遠い目をして、慈しむように娘の名を小さく呟いた。
「……菊理……」
その姿は悔いているというよりは、思い偲んでいるようだった。
儀式が済んで、倒れた体が事切れれば、通り悪魔はそれを顎に手を当てて、まじまじと観察する。
晴時のように清廉潔白ではなく、三鷹はそれなりに欲があったらしい。
菊理のために通り悪魔に体を捧げる、という意味を履き違えなかったようだ。
今の体はどうせ棄てるつもりだったので、鷲夜の息子の立場がある分、代替としては優秀だ。
難なく三鷹に取り憑き、早速菊理の元へと赴こうとしたが、鷲夜が一緒に行く気配を感じ取ると嫌気が纏わりつく。
気付けば無意識に、やんわりと拒否の言葉を口にしていた。
「鷲夜。菊理の所には、僕一人で行ってくる。君はここで待っていてくれ」
鷲夜は特に追及することなく、その指示に従った。
通り悪魔は腰に刀を携えて、夜道を三鷹が覚えている通り歩いて行く。
(この小僧には悪いが、やはり弱っている今が好機であることに違いはない。死を覚悟する程恋しく思っているのなら、鷲夜の言うように、あの世に送ってやるのが情けなのかもな)
珍しく、人に対して慮ろうとしている自身に少し違和感を覚えたが、ただの三鷹の体の影響だろうと解釈した。
家に着き、戸を開ければ暗い室内の布団の中で誰かが寝ている。
(――そうだ。今の今まで、一人にさせてしまっていたんだ……!)
ハッとして、慌てて上がり框を越えて行灯に灯りをつける。
明るくなった室内で、青白い顔をした菊理を目にした通り悪魔は、先ほど抱いていた思いとは裏腹に、胸が弾むような温かな感情を抱いて、惚けたように立ち尽くした。
懐かしさ、会えた喜び、愛おしさが溢れて、瞳が蕩けていくように彼女を見る目が優しくなる。
高鳴る鼓動が求めるままに、菊理の側に寄ると腰を下ろし、頬を撫でようとしたが、触れる直前で焼けるような痛みが指先に走り、反射で手を引っ込めた。
手を見れば、指先が火傷のように黒ずんでいる。通り悪魔は、身を震わす憤りと憎悪が一気に湧き上がった。
(白山の神め……!)
忌々しい存在に、心底嫌気が差すが、菊理が苦しそうに呻けば、意識はそちらに向いた。
部屋の中を見回し水桶を見つけるが、中に汲まれている水を見て怒りで顔を歪める。
(白山の水……!)
白山からの滝が流れていることを、三鷹の記憶から思い出す。水桶を掴み、外に出ると遠くの地面にぶち撒けた。
急いで井戸に水を汲みに行き、自身の指を切り血を僅かに入れる。
手拭いを湿らせ、それで菊理の体を拭いてやれば、嫌がっているようだが、彼女の纏う神気が幾分か抑えられた。
だが、今のままでは一緒になるどころか、満足に触れ合うことすら出来ない。
すっかり、菊理を殺すという目的は消え失せ、共に生きる道を構想していた。
それから意向を説明するために、一度鷲夜の屋敷に戻った。
布団に寝ている亡骸の少年を、厳格な表情を張り付けたまま正座して見下ろしていた鷲夜は、顔を向けずに問いかけてくる。
「晴時の娘に憑くことは、やめたのか?」
「――いや。どうせなら、完全に憑けるようになるまでは、待とうかなと思ってね。君もどうせなら、弱い僕より強い僕を祓ったほうが、充足感があるだろう?」
「あまり長いと外の者に気付かれるのでは?」
「それは大丈夫。村里の人たちは普段通り生活しているだけだし、村八分なんてそう珍しい話でもないからね。それに、穢れなんて、誰もが持っていることは、知っているだろう? ……おっと。この話はやめようか」
余計な言葉を口にしてしまったことに気づき、さらりと流す。
鷲夜は何も反応しなかったが、眉間に皺が寄っている。通り悪魔は、穏やかに笑う。
「……鷲夜は、異を唱えないね」
「私が望むことは唯一つ。晴時を超えることだけだ。それが成し得ることが出来るのなら、幾らでも待とう」
それが鷲夜の意向ならば、何も心配はいらなかった。
そして、再び菊理のもとに戻り、看病をするが、肌に触れれば皮膚がただれるような痛みが走る。
苛立ち、不愉快になりながらも、菊理の肌と自身が触れた手を、穢れ水で洗い流す。
面倒ではあったものの、菊理の側を離れるという選択肢はなかった。

