雪白との仲が完全にこじれてしまったのは、彼女が私の想い人であった三鷹という男に嫁いでからだ。それまでは会えば気の良いお姉さんで、やんちゃな私の身を何かと案じてくれる優しい人だった。
そして私の想い人であった三鷹は、三歳年上で村で主な生業とされる祓い人であり、私の同業者だ。
祓い人とは簡単に言えば妖を祓うもの。妖は生物の亡骸に取り憑き、人の生命を脅かす。
祓い人には二種類あり術士と刀術士がいるのだが、私と三鷹は刀術士で刀を使い妖を斬る者だ。術士は妖を翻弄する等の役割を担っており、雪白がそれに当たる。
どちらの術士も精神力を重要とし、神気に変えて妖を祓うのだ。
――軽く説明したところで、話を三鷹に戻そう。三鷹は色素の薄い髪色に端正な顔立ち、品行方正で名主の息子と説明するだけで非の打ち所がなく、女性が惹かれてしまう理由の説明には十分だろう。
三鷹との出会いは幼少期に彼に助けられた――のではなく、彼を助けたことがきっかけだった。
幼少期によく見られる恐れを知らない子供の無鉄砲な行動と言ったところか。昔も今も私は勇ましい性格であった。
しかし、平たく言えば彼は私の行動で助かったのだ。村の近くの原っぱで、妖に取り憑かれた野犬の亡骸が三鷹に牙を剥いていた。
彼は尻もちをつき、両手を後手で地面に突いていて動けずにいるようだった。
たまたま素振りでもしようと赴いていた私は、妖が瞳に映ると自然と神気を刀に流しており、無意識に妖に斬り掛かっていた。
初めてのことなのに、普段は重い刀だったのに、何かが宿ったように体が動き妖の首を跳ねていた。齢が七の時だった。
腰を抜かしている筈の三鷹は、私が振り返り目が合うと呑気に笑いかけた。
「君の神気は綺麗だね」
その表情に幼子の私は、確かに一瞬だけ目を奪われて、暫く何も言えなくなってしまった。
それからというもの、三鷹は私を妹のように可愛がってくれた。と、思っていたのは私だけだったようで数年経ってから胸の内を打ち明けられた。
「菊理」
「ん?」
滝で刀の清めを行っている時だった。
村の山には幅一尺(約三十センチ)程の小さな滝があり、水嵩が足首程の滝つぼに妖で穢れた刀を沈めて清める。
その間私はしゃがんでじっと刀を見つめ続け、三鷹も隣で眺めて待つ時間が主だった。しかし、その日は珍しく三鷹が話しかけてきた。
「まだ先の話になるんだけど……菊理が十六になったら僕と結婚して欲しい」
「……?」
当時私は十歳、三鷹は十三歳。藪から棒の発言に私は何を言われたか分からなかった。
そもそも兄のように慕っていた男から、結婚して欲しいなどと、九歳で求婚されるなんて突飛なことすぎて、返事など直ぐにできるわけがない。
「どうして私と……?」
「一目惚れしたから」
三鷹は端的に答えた。いつもの穏やかな口調で言われたものだから「そうか」と軽く返事をして、浮かんだ疑問が口につく。
「一目惚れとはどういった感じなんだ?」
「そうだねぇ……」
三鷹は顎に手を添えてうーんと唸りながら空を仰いだ。刀の存在を忘れ、その横顔を見つめる。
私より少し身長が高いので見上げる形になるが、木木の葉と空の青空を背景に映る姿は、綺麗であった。
色素の薄い髪が陽の光に当たり、風に揺れてはキラキラと輝いている。飽きが来ず、不思議とずっと眺めていたいとも思った。
「今世にいるはずなのに、ここではないどこか……極楽にでもいるような感じかな」
「……よくわからないなぁ」
「僕も上手く説明は出来ないけど、菊理と初めて顔を合わせた時、運命の人だと思ったんだ。君の纏った神気の美しさもあって、目を奪われたんだ。――僕が術士じゃなくて刀術士を選んだのも、菊理と少しでも近づきたかったからなんだよ」
なるほど。と今まで気にしたこともなかった謎が解けた。出会ったときの三鷹は術士を目指していたというのに、次に私と会った時は何故か刀を携えていた。漠然とあの時の私が格好良く見えて、憧れたものだと思っていたが、まさか私に近づきたいが為だったとは。
それにしても一目惚れは、目を奪われることか。
そう理解すれば、私の身にも似たようなことが起きたことがあった。あれは――三鷹を初めて見たときだった。
「それなら……私も三鷹に一目惚れしているな」
「……え!?」
私が何でもないことのように口に出せば、三鷹は兄のような佇まいを初めて崩して、顔を赤くしながら体を震わせ動揺した。
それを目にして、私はやっと自分に好意が向けられていることを自覚した。体と頭は酷く冷静だった筈なのに、病を伝染されたかのように、顔に熱がこもった。
そうして私は初めて恋を知った。
私のことを好きだと言ってくれた三鷹は、私が一番だと言ってくれた。
馬鹿な私はそれを真に受けてはいたが、とある事情により彼と一緒になる道は絶たれた。
雪白との結婚、懐妊の報告を受けてようやく私の頭が冷えた。
口では甘い言葉を吐きながら他の女性と婚姻し、やることをやっていると知って尚、想い続けるなど愚か極まりない。
これで三鷹が私に愛を囁やけば折檻しているところだ。まあ、そんな心配も杞憂に終わり婚姻以来、彼の私の見る目は妹のように和らいでいた。
泣くほど悲しく悔しかったが、祓い人の仕事は心の弱みに付け入られやすい。心を強く持たねばならず、滝行をして自身の軟弱さと共に三鷹への想いも洗い流した。
失恋は人を強くすると言っていたが、確かにそうであって、いい経験をしたと前向きにもなれた。
これが大人になると言うことなのだろう。

