祓い人菊理の恋情奇譚


白山を下山し、麓の村で一泊してから、岩山の村に赴いた。
相変わらず村は汚染されたままで、昼間だというのにやはり薄暗く、穢れが漂っていた。

霊水しか持ってこなかったが、祭壇などは用意しなくても良かったのだろうか。

「霊水だけで清められるのか?」
「ああ。清めの雨を降らせる」
「清めの――雨?」

私が首を傾げるのを余所に、和泉は瓢箪の栓を開けて前へと進み出る。
村全体を見渡すように立つと、右手で印を結び、左手で霊水の入った瓢箪を天高く掲げた。
そして落ち着いた声で、祈る。

「白山の神よ。穢れた土地を清め祓い、御救いください。降らすは貴女様の慈悲の涙であらんことを、お願い申し上げます」

言い終えると和泉は瓢箪を傾けた。
流れ出した霊水は印を結んだ右手に当たるが、地面にこぼれ落ちることなく消えていく。

摩訶不思議な光景に私が呆気にとられていれば、頭に冷たい水の粒が弾いた。
見上げれば五色に光る糸術が木々に張り巡らせられており、そこから水が、ぱらついた雨のように降ってくる。

これが清めの雨――。

周りを見れば、妖に取り憑かれていた亡骸が、木が、土地が、家屋が泣いている。長年の苦しみから解放されるように、楽になったことを喜んでいる。

肌に当たる雨は、何かに気づかせてくれるように冷たく、頭と心を清浄に戻してくれる力があった。

暫く経てば、穢れは完全に祓われ、木々の隙間から暗かった土地に日の光が差し込んだ。
そうしてただの廃村となった村で、私と和泉は亡骸を弔った。

帰路に就く道中、和泉が話を切り出す。

「菊理。お前の村里に帰る時は、俺も同行する。お前の長と話がしたい」
「鷲夜か……」

私もこの村と洞窟の件を問いただすつもりだったので、侮られている私が一人で訊ねるよりは、第三者が居たほうが、鷲夜を追い詰め易いだろう。

「分かった。私も行こうと思っていたので、和泉と一緒なら心強い」
「よし。それでは一旦集落に戻る。準備もそうだが、それ以前に疲れを取る必要がある。三日間、歩き通しみたいなものだったからな」
「そうだな。鷲夜と約束した日は過ぎてしまったが、数日くらいどうとでも穴埋めできる。それより、話し合いで精神を擦り減らし兼ねないから、力を蓄えとかねばな」
「話は俺が主にするから安心しろ。――まあ、まともな話し合いになるかは、分からないがな」

和泉はやれやれと息をついた。

集落には夕方前に着き、家に帰ると二人で畳に座り、内輪を仰ぎながら、足を休ませていれば平助さんが訪れた。
彼は和泉を目にすると、怒りを顕にするように目を吊り上げて怒鳴った。

「和泉! この数日間、菊理ちゃんを連れ回して何処行ってたんだ!? 酒屋のおばさんから聞いたぞ!? 岩山から往復させたって!?」
「ああ。その後、白山を登頂した後、結婚し、下山後再び岩山へと出向いた」
「白山ぁ!? ……今、結婚と言ったか?」
「そうだ」
「白山で?」
「そうだ」
「おま、お前、頭がおかしいんじゃないのか!?」

和泉が動じた様子もなく団扇を仰ぎながら平然と答えれば、平助さんは顔を引き攣らせ、不気味なものを見るような目をしていた。

経緯を詳しく訊いてくる平助さんに、和泉がのらりくらりと話を躱す。
それを私が他人事のように眺めていれば、二十代の女人、花さんが顔を出した。

「平助、あんた伝言伝えるの忘れてるでしょう!?」
「いや、それどころでは……!」
「はあ!? 大切な用なんて他にないでしょう!? ――菊理さん、貴女の村里から友達が訪ねてきているわよ?」
「友達?」

聞き慣れない言葉に、私は団扇を仰ぐ手を止めて首を傾げる。私の事情を知らない花さんは、ただの訊き返しだと思ったらしく頷いた。

「雪白さんって人よ」
「雪白!?」

意外な人物に私が驚き、身を乗り出して声を上げれば、花さんは吃驚したようで、目を丸くして身を後ろに引かせた。
私はハッとして、謝罪の言葉を口にした。

「す、すみません。大声を上げてしまって……。その、雪白は一人でここに?」
「え、ええ。菊理さんのことを心配していて、探していたらしいわ」

不可解な状況に私は、顔を顰めそうになる。

まさか嫌がらせのためだけに、私を探しに来たのか? ……いや。それは流石に度が過ぎている。
しかも、身重だというのに、村里から集落まで一人で? 
ゆっくり来たとしても半日は掛かるというのに、そこまでして私に会いに?
……まさか、本当に私を心配して――?

私は様々な思惑が渦巻いたが、取り敢えず雪白のもとに行くことにした。

「教えてくれて、ありがとうございます! 雪白は何処に?」
「長の家にいるわ」
「わかりました。和泉、少し行ってくる」
「大丈夫か?」
「ああ」

私は団扇を置いて立ち上がると、草履を履いて家を出た。
後ろから花さんの「結婚!?」という大きい叫び声が聞こえたが、振り向くことなく小走りで長の家に向かった。

長は初めに和泉の家に訪れた男、一郎さんのことだ。集落でも大きい、部屋が別れている家を訪ねれば、客間に通される。

木の引き戸が開いた先に、雪白はいた。
木の床の上に敷かれた座布団に正座をし、一郎さんの二歳の孫娘と遊んでいた。

雪白は歌を歌いながら、お手玉を手で飛ばして回しながら、穏やかに微笑んでいる。孫娘はそのお手玉を追うように顔を揺らしていた。
その母親を彷彿させるような温かな光景に、佇んで魅入っていれば歌が終わり、お手玉が雪白の手元で止まった。
そして、顔をゆっくりと私の方に向ける。

「菊理さん……! 良かった! 無事だったのね!」

弾むような声と、嬉しそうに微笑む雪白に、私は戸惑う気持ちを声に乗せて彼女の名を呟いた。

「雪白……」
「一郎さんから聞いたわ。岩山に行ったのでしょう? 駄目じゃない。お義父さんから言われていたでしょう? あそこには行ってはいけないって」

雪白は優しく咎めると床に手を突き、ゆっくりと立ち上がる。
少しよろけそうになるのが視界に入り、私は急いで駆け寄り彼女の体を支えた。

すると雪白は顔を上げて、目を丸くしながら私の顔を見つめた。まるでどうして支えられたのか、分かっていないかのようだった。
しかし、それは一瞬のことで、虫も殺せないような可憐な笑みを浮かべた。

「ありがとう」

彼女は私の体を使って体勢を整えた。
そして私から手を離すと、お腹の前で手を組み、神妙な面持ちで口を開いた。

「菊理さん。外で、誰もいないところでお話をしたいの。村里のことで、内密にしなければならない話があるの」
「村里?」
「ええ」

雪白の表情は真剣そのもので、嘘を言っているようには見えなかった。

村里で何かあったのか……? だけど、どうしてその報告を雪白に頼んだんだ?

疑問は尽きないが、取り敢えず雪白の話を聞いたほうがいいだろう。

「少し歩くことになるが……体は大丈夫なのか?」
「? ええ」

少しだけ小首を傾げた後、雪白はなんてこと無いように頷いた。
一郎さんの孫娘が、私たちを不思議そうに見上げた後、雪白の着物の袂を掴んで構ってほしそうにする。
気付いた雪白は、彼女を見下ろすと優しく微笑んだ。

「また遊びましょうね」

孫娘の頭を撫でる雪白は、母親の顔をしていた。