小屋に着き、囲炉裏に火を焚くと薄暗かった部屋が明るくなった。
囲うように座っていれば、和泉は私に顔を向けた。
「菊理、脚を見せてみろ。揉んでやる」
「そんなに心配しなくても、自分で揉めるから大丈夫だ」
「誰がただでやると言った? 終わったら俺の肩を揉め」
「そういう事なら、よろしく頼む」
交換条件であるなら気を遣う必要はない。
私が両脚を伸ばせば足裏から揉まれ、痛いような気持ちがいいような、むずむずとする感覚がする。
しかし、脹ら脛などに手が行くと疲れがとれる気持ちよさがあり、寛いでいれば、和泉が話しかけてきた。
「無理をさせてしまい、すまなかったな。よく考えてみれば、着いて早々来た道を戻させるなんて、過酷なことをさせた」
「そんなことはない。和泉が洞窟の穢れを祓ってくれると言ってくれた時、とても有難かった。それに、直ぐに頼ってくれるのも、信用してくれているのだと分かって嬉しかった。走るくらいのことなら、いつでも頼んでいいぞ。和泉のためなら、二つ返事で引き受けよう」
「ふ。簡単にそう言うな。走らせたくなる」
和泉が軽口を叩くので、私は可笑しくなって噴き出し、抗議をする。
「用もないのに走らせるのは酷い」
「俺のため、という理由があるだろう?」
愉快そうクツクツと笑う和泉。
揚げ足を取るのが上手で、返す言葉が思い浮かばない。仕方がなしに「走ってもいいが、今みたいに揉んでくれ」とお願いすれば、考える間もなく「わかった」と返された。
お互いに安請け合いするやり取りに、また笑ってしてしまう。
それから無言の時が生まれると、和泉は一人語りをするように話し始めた。
「俺は元来単独で行動することが多くてな。祓い人の仕事関連なら特にそうだ。それが必要と定めると厳格な性格になってしまう」
「良いことだ」
「しかし、厳しすぎると他人の弱さに気付けなくなる。それは切り捨てることに繋がりかねない。切り捨てられた人の心が揺らぎ、妖に憑かれることとなれば、その原因を作ったのは俺自身になる。そうなれば、元も子もない。だから俺は普段、斜に構えている」
私が和泉に感じていた元々の人となりは、当たっていた。しかしまさか、そういう理由があって、いつもは飄々と振る舞っているとは思わなかった。
和泉は話を続ける。
「だが、先ほどの村の惨状を目にした時、怒りが前に出過ぎて、元来の俺が顔を覗かせた。その所為で疲れている菊理を放っていくなどと、浅はかな発言が出てしまった」
「それは――あの村の現状を目にすれば、誰でも和泉と同じ気持ちになる。見るからに私は足手まといであったし……それでも、私は勝手に付いて行ったけどな」
「あの時は菊理のその意思が、俺の頭を冷やしてくれた。まるで白山の水を浴びせられたようにな」
和泉は含み笑いし、冗談を言った。しかし、私は少し腑に落ちなくて、疑問を口にした。
「だけど、あの時の和泉の方が、白山に向かうのも早そうだったし、妖に対しても強いのではないか?」
「いや。斜に構えていたほうが周りがよく見えて、危険が少ないのだ。妖に対しても良い挑発になるから、こちらの方が楽でいい」
和泉はすっかり気が抜けてしまったようで、私の足から手を離すと後ろ手をついて肩を落とした。
「それに、俺に付き合おうとしてくれるのは、存外、悪くはなかった」
和泉は閉眼しながら、天井を向いて嬉しそうに言葉を口にしていた。
次の日、早朝から出立した。
白山の麓に着くと近くの村に寄り、瓢箪を三つと供え物、羽織を調達してから、その日は民宿に泊まった。
そして次の朝、山頂へと向かう。
前を歩く和泉は登る間、詩のような呪文を小さく唱えていた。その声を聴いていると心なしか足取りが軽くなり、思ったより疲労を感じない気がした。
一刻(二時間三十分程)かけて登頂すれば、見下ろす先に森に囲まれた大きな青い湖が見えた。
しかし、和泉はそちらを目指さず、山頂にある地下に繋がる岩の洞穴に入っていく。
積み重なる岩が階段のようになっていて、それを降りていけば六畳程の大きさの空間があり、四畳程の霊水の湖があった。
霊水は澄んでいて、明るく光を帯びているようにも視えた。
奥には祠があり、白山の神を祀っているようだ。
和泉は備え置かれていた柄杓を取り、霊水で手水を行ってから祠の前で膝を地面に突き、供え物を取り替えた。私も手水し、手伝った。
合掌して挨拶をし終えると、持ってきた瓢箪三つに霊水を汲んだ。
和泉は瓢箪に栓をすると、隣に居る私に愉快げに流し目を向けた。
「前に、俺は何度か死にかけたことがある、と言ったことを覚えているか?」
「ああ」
「その一番最初、つまり始まりは産子の時だった。俺の母は、今住んでいる集落で俺を出産したが、俺は産まれた時に泣かなかったらしい。そんな死にゆきそうだった俺の体に、山伏だった父が、持っていた白山の霊水を掛けた。俺は驚いたように、叱られたように産声を上げたと聞いている。――白山の神は、勝手に逝きそうになった俺に折檻したのだ。恐ろしい神だろう?」
「優しい神様だ」
「ふ。まるで誰かに似ている」
「その誰かは嬉しいだろうな。白山の神に似ていて」
私が穏やかに相槌を打てば、和泉は可笑しそうに笑って同調した。
「そうであろうな。――その恩があって、俺は白山の神から頼まれたお前の面倒を見ていた。出会った時の体の穢れ具合から、健やかな環境に身を置かせることが、最適解だと考えたが――どうやら違ったようだな」
目を伏せ独り言のように否定した言葉には、何かを決意するような力強さがあった。
私が首を傾げれば、和泉は体を私の方に向けると明るい表情で口を開いた。
「菊理。父親の件が片付いたら、俺の集落に住め」
「え?」
「数日間だけしか過ごしていないが、悪い連中ではなかっただろう? それに皆、お前に好意的だ」
「だけど……住む理由がない」
私は顔を俯かせる。
誘ってくれるのは嬉しいが、数日間過ごしただけで故郷を去るのは、あまりにも薄情な気もしてしまう。
和泉が不可思議そうに問いかけてくる。
「集落に住むのに理由がいるのか?」
「村里は針のむしろのような環境だが、私が生まれ育った故郷には違いない。それを捨てるような真似をするのは、なんだか複雑な気分になるんだ……」
「ならば、俺のところに嫁に来い」
耳についた言葉が、突飛すぎて私は言葉を発するのも忘れ顔を上げる。
口を開けて呆けていれば、和泉は照れた様子もなく、日常会話をするように訊ねる。
「どうせ故郷の村里で、結婚する気などないのだろう?」
確かに。
する気があっても、訳ありの私を嫁に欲しがる人はいないだろう。三鷹が雪白と結婚したことで、私はその未来を完全に絶たれている。
和泉は穏やかに言葉を紡ぐ。
「そう難しく考えなくてもいい。結婚したとしても、何かが変わることはない。俺は俺。菊理は菊理だ。ありのままの自分で生きていけばいい」
その言葉はまるで元から知っていたかのように、胸にスッと入ってきた。
思えば出会ってから私は素のままで、和泉も恐らく私に遠慮なんてしていない。
このまま彼と生きることを想像した時に、変わらずに歩んでいける姿が、容易に思い浮かべられる。
まるで元から家族だったかのように、自然と縁が結ばれているようだ。
本能が赴くままに、返事をしようとしたが、ふと集落の人達とのやり取りが脳裏に過ぎる。
私はそれを懸念するとわざとらしく、こほんと咳払いをした。
「しかし、和泉。結婚するにあたって一つ問題がある」
「ん? なんだ?」
「実は、集落の人達との交流で知ってしまったのだが――和泉は女関係にだらしがないと小耳に挟んだ。もしや、私の他に良い女がいるのではないか?」
「なんだそんなことか。それなら気にするな。俺は元々集落の女と結婚する気はない。――女遊びをしすぎた。それに、今更集落の女を選んでは、色々と波が立ち兼ねない。折角清算できた関係を蒸し返すなど、いつぞやの日みたいに刺されかねないからな。別に怖くはないが、刺されないに越したことはない」
「だが、和泉が結婚したら恨まれそうじゃないか?」
「ハッハッハ! 安心しろ。昔の女は皆、既婚済みだ。それに俺に厳しい菊理を嫁にとれば、村の男衆の俺への溜飲も幾ばくか下がるだろう。俺も女遊びには飽きていたしな。身を固めるには丁度いい」
楽観的に質問に答えていく和泉に、私は身を乗り出して、念押しのように訊ねる。
「つまり、不貞はしないのだな?」
「ああ」
「その言葉、信じても良いのだな? 私は不貞には厳しいぞ。もしも一度でも裏切ってみろ」
私は鞘から刀を抜くと横に掲げ、和泉にニッと笑う。
「その首、白山の神に代わり、私が祓ってやるぞ……!」
脅しのように言えば、和泉は呆気にとられた後、嬉しそうに愉快げに笑った。
「ハッハッハ! さっきも言った通り、女遊びには飽きている。安心して刀を錆びつかせろ!」
私は穏やかに微笑んで刀を下ろす。和泉とならこの先も、上手くやっていけるだろう。
刀を鞘に収めれば、和泉は思いついたように「そうか……!」と言葉を発した。
「菊理。折角、白山の神の御前にいるのだ。今から婚礼の儀をするぞ」
「ここでか?」
「先に婚姻を結んでいた方が、俺の所に来やすいだろう? それに、お前の故郷に引き留められるなんてこともある。その時に理由があったほうが、振り切りやすい」
「ふふ。誰も引き留めはしないが、そうかもしれないな」
それから私たちは霊水で手水をすると、祠の前で祝詞を唱え、両手を盃に見立て、互いの掬った霊水を飲み交わし合った。
それは白山に縁のある私たちに相応しい婚姻の結び方であった。

