五日目も、六日目も日の出と共に起きて、和泉の体を揺らし起こす。やはり一度では起きず、抵抗するように寝返りを打たれるが、私が箒を持てばすんなり起きる。
あと三日しか私は居られないので、どうにか一人でも起きれるようになって欲しいものだ。
ここに来てから私は、集落の人達の手伝いもするようになった。草刈りや子守り、細々とした困りごとに手を貸していけば、皆が好意的に見てくれる。
久しぶりに大衆の人たちと交流が出来て、私の事情を知らない環境に身を置くことが、これほど気持ちが楽になるのかと、感銘を受けた。しかし、それを咎めるように罪悪感にも苛まれ、胸がチクリと痛くなる。
八日目の夜になり、布団を敷くと寝る前に正座をし、寝転がっている和泉に話しかけた。
「和泉、少し私の話を聞いてくれないか?」
「……どうした? 思い詰めた顔をしているぞ」
和泉は軽く笑って、体を起こすと胡座を搔いて私と向き合った。
表情が柔らかく、私を映している瞳は労るように温かい。
そこで私は無意識に肩に力が入っていたことに気が付く。溜めていた緊張を解くように、息を吐いてから私は話を切り出した。
「和泉に出会ってから、久しぶりに人の優しさに触れて、この集落の人たちと関わって、村里で父が亡くなる前の人との交流を思い出して、私は懐かしさを覚えた。村里に帰りたくないわけではないが、この先、今の生活のような日々送ることが出来るのかと考えると、何十年先の話になるのかも分からない。勿論、当初からの目的の、父の汚名を晴らしたいという気持ちに変わりはないが――これではまるで、弱音を吐いているように聞こえるな」
私はとりとめのない自分の言葉に、苦笑いする。これじゃあ、遠回しにここに残りたいと言っているようなものだ。
村里でまた孤独に暮らすことが怖いわけではないが、心穏やかに過ごすことが、こんなにも居心地のいいものだったのかと気付いてしまって……離れることが私は名残惜しいのだろう。
黙って次の言葉を待っている和泉に、私は子供のような甘えを隠すように笑う。
「別に寂しいと言いたいわけじゃないんだ。死に別れた母と父にも、再び相見えることが出来ると私は信じている。二人から見放されたわけではないし、白山の神からも見放されていないことも、和泉から教えてもらえたから……私は思いの外満たされてはいる」
「死んだ両親に相見えるか……」
和泉は興味深そうに私の言葉を反芻した。
何かを懐古するように彼は遠い目をしながら、口元に手を添えていた指で唇をなぞった。
そう言えば、和泉の両親について訊いたことはなかった。遠くに住んでいるのか、はたまた私と同じ境遇なのかは分からない。
ただ、今は何かを想起しているようなので黙って様子を窺っていれば、和泉は愉快げに唇の端を上げると口元から手を離し膝を叩いて、私に明るい口調で言った。
「喜べ、菊理。その考えを、俺は間違いではないと断言することが出来る」
「え?」
予期せぬ言葉に私は瞳を瞬かせる。和泉は片手で後ろ手を突き、空いている手を広げながら自信満々に語り始めた。
「俺は今までに、何度か死にかけたことがあるのだが……七年前、女に刺され生死を彷徨った時の話をしよう」
「どうして女に刺されるなんてことに……」
「痴情のもつれというやつだ。――今はそんなことはどうでも良い。気づくと俺は、石でできた川岸の上に立っていた。周りを見渡せば霧がかかったように先が見えなかったが、ふと何かがこちらを見ているのを肌で感じとり、川の向こう側に目を向けた。するとそこには、死んだはずの両親が並んで佇み俺を見ていた。そして、俺に川を渡るように手招いた。その姿を見た俺は思わず目を見張って――笑った」
「笑った――?」
私が不思議そうに首を傾げれば、和泉が力強く頷く。
「そうだ。川の向こう側で、両親が俺に来て欲しそうに手招いていたのが、実に面白かった。――いつまでも、子離れ出来ずにいるのだとな」
「それは……死にそうな和泉をあの世に呼んでいたのではないのか?」
「わざわざ呼ばれなくても、俺は好きな時に川を渡れるというのに、要らぬ心配をする。呆れて今生に戻ってくるしかなかったぞ」
和泉は、肩を竦めてやれやれと首を振った。
――和泉は変わっている。
私なら二人に会えることを喜んで、川を渡っていただろう。
未練があると今生に残るらしいが、和泉は心残りがあるというよりは、本当に言葉のままに戻ったのだ。呆れたから今生に留まった。
面白可笑しく言っているが、それが和泉の人生観なのだろう。
私は不思議と彼らしいと納得してしまい、ふっと笑った。
「しかし和泉。死に目を見る程の体験をしたのなら、女人が怖くなったのではないか?」
「女に刺されるのが怖くて妖を祓えるか。菊理も覚えておくといい。死と隣り合わせの今生を愉しむことこそ、強い祓い人の条件だ。分かったのなら菊理も笑うがいい」
「……ふっ。あっははは! 和泉は強いな!」
確かに。笑うと今まで胸に抱いていた不安が消え失せる。再び現れるかもしれないが、笑っている間と余韻が残っていれば心が強くいられる。
それにやはり両親と相見えることは出来るのだと、和泉が身をもって太鼓判を押してくれた。
彼と出会ってから、私は勇気づけられてばかりだ。何一つ礼を返せていない。
いつか何かを返せればいいのだが、和泉にとってはそんなことは些細なことだろう。
私が笑うのを、和泉は含み笑いで眺めていたが、彼の膝を打つ音で意識を戻される。
「で、だ。話を変えるが、お前の父親の件。いくらこれから祓い人の仕事を請け負って成果を上げたとしても、亡くなったものの不名誉を覆すのは難しいだろう。先ほど言ってた通り、何十年先、いや。一生晴れることもないかもしれん」
私は言われた言葉で真顔に戻ると姿勢を正した。
「やはり和泉も私と同じ見解か。今までも仕事を請け負ってはいたが、父の汚名を晴らすどころか、私に対しての態度も変わることはない。当然のことだと思われてはいるものの、他に手立てがないんだ……」
鷲夜に認められれば、非難の目も和らぐと推察していたが、日に日に私に対しての当たりが強くなっている気もする。
刀の穢れに関しては私の拘りのせいで非難されたが、祓い人なら信心深さを分かってくれるはずなのだ。
眉間に力を入れて足の上に置いた拳を見つめる私に、和泉が提案する。
「なので、一度事件を洗い直してみてはどうだ? 同行していた者の言っていることが正しいと思うのは、死人に口がないからだ。先の見えない願望を追い続けるより、真相を探るほうが、よほど現実味があるだろう」
「だが、真相を探ると言っても、父と同行していたのは名主だけで、今更証言を覆すなんてことはしないと思う」
「ものは試しだ。お前の父たちが出向いた現場に行ってみようではないか。何か手掛かりが見つかるかもしれんぞ」
「……それは鷲夜に止められているんだ。父と同じ血を持つ私が行くと、妖の主が復活しかねない、と」
妖は亡骸に憑くが、似たような親族ならば生きたままでも憑くことが出来るとも謂れている。
もしも父が妖の主に憑かれたというのなら、娘である私は憑きやすい可能性がある。
私の示唆に、和泉は片膝を立てて肘を置くと恐れを知らない笑みを向けた。
「安心しろ。前にも言ったようにお前は、白山の神に愛されている。いくら妖の主と言えど、穢れのない体に憑こうとすればただでは済まない。万が一憑いたとしても、俺が祓ってやる」
「白山の神か……」
私は胸にそっと手を置いて瞳を閉じ、白山の滝を思い出す。あの時に、目に映った刀に流した神気の澄み渡った美しさが、愛されている証なのかもしれない。
「不安に思うな菊理。精神が揺らぐと付け込まれるのは分かっているだろう。もしも自分を信じることが出来ぬのなら、俺を信じろ」
意気揚々に言い放たれた言葉に瞼を開けると、和泉は私の返事が肯定であるのを信じて疑わないように、不敵に笑う。
私は笑顔で頷き、はっきりと自分の思いを口にする。
「ああ! 私は自分自身と和泉を信じる!」

