噂が広まるのは早いようで。
昼頃には、私が和泉を従わせる女と知れ渡り、集落の人たちが家を訪れては、物珍しそうに私の顔を見ていく。
流石にやり過ぎてしまったのかと心配になるが、咎められることなど一切なく、逆に称賛されるので安堵した。
今は和泉と同い年の平助という男が、上がり框に腰掛けて、目の前に座っている私に愛想よく話しかけてくる。
「お嬢ちゃん、和泉の乱れきった生活を箒で叩き直してやったんだって? 若いのにしっかりしてて偉いねぇ」
「そんな。私は褒められるような大層なことはしていません。和泉は本来、節度ある人なのです。だから、私はその態度を日常にも反映して欲しいと、願いを込めて助警しただけなのです。きっかけさえあれば、和泉は私の力などなくても、自分を律することができる方なのです」
私が真摯に答えれば、平助さんは嘲るように顔を歪め、口の端をつり上げた。
「和泉が節度のある人ぉ〜? ――そうだ。お嬢ちゃんの言うとおりだ……! どうかこれからも、和泉の尻をたたき続けてやってくれ!」
何かに思い当たったのか、平助さんはハッとすると私の両肩に手を置き、輝くような瞳で私の目を見つめた。
やはり、彼も心当たりがあるようだ。私が肯定の返事をするより先に、後ろから和泉が怒鳴り声をあげた。
「平助! 心にもないことを吐き、人の不幸を助長させるな! お前の女とは縁を切ったというのに、まだ根に持っているのか!?」
「俺だけじゃなく、村の男衆全員が思ってることだ! せいぜい今まで自分がしてきたことを、座禅を組んで反省するんだな!」
平助さんはそれは愉快そうに高笑いして立ち上がると、胸を張って大股で帰って行った。
――ここに来る人たちは、皆満足そうに去っていく。きっと和泉との会話が楽しいのだろう。
私は、不愉快そうに顔を顰めている和泉に穏やかに声をかける。
「和泉のことを考えてくれて、良い友だな」
「村の連中に友などいない」
「彼らの想いに応えるためにも、私もより一層気合を入れなければならないな」
「……勘弁しろ……」
胡座をかいた和泉が膝に肘をついた手で頭を抱えながら、小さく嘆いていた。
そうして一日が終わり、夕餉を頂いている時に和泉は箸を持つ手を止めて、神妙な面持ちで私に喋りかけた。
「菊理。今一度言っておくが、俺は朝に弱い。座禅は無理だ」
「安心してほしい。それについても対策を考えた。早く床に就けばよいのだ。そうすれば自然と目が覚める」
「当たり前のことを汚れなき眼で言いおって……。夜はやることが色々あるのだ。神道祝詞集も読むし、医学の勉強だってある。そういう事情があって、俺は朝が弱いのだ」
「それは朝に回せぬものなのか? 坐禅後にすれば冴えわたる頭で、より励めれると思うが」
「……」
和泉は渋い顔をして黙り込んだ。私は胸に手を当て、書物を読む姿を想像すると胸が温かくなり、口を開く。
「それに、朝から祝詞を唱えるのは一日を健やかに過ごせそうだ。――うん。やはり早起きだ。これなら仕事に影響が出ることなく、規則正しい生活が送れるな」
「……そんなことをすれば、俺の取り柄がなくなり、清廉潔白な男になってしまう……」
「良いことだ! 和泉にとても似合っている!」
「……どうやら白山の神は、俺に相当お怒りのようだな……」
和泉は苦虫を噛み潰したような顔をして、盛大なため息をついた。
そして次の日、日の出と共に起きると、早速寝ている和泉の体を揺らし起こすが、取り合う気がないように寝返りを打たれる。
仕方なしに箒を取り出し両手で構えれば、片目で覗き見ていた和泉は慌てて飛び起きた。
それから二人で井戸に水を汲みに行き、顔を洗い家に戻ると坐禅し、ある程度時間が経ってから終わると和泉は体を伸ばして脱力した。
「やれやれ。お陰様で眠気も雑念も消え失せたわ」
「それは良かった。これで勉学にも励めるな。それでは私は、朝餉の準備に取り掛かろう」
「菊理。先に神棚の供え物を取り換え、祝詞を唱えるぞ」
「分かった」
私は頷き、和泉と一緒に供え物の交換をし、並んで立つと瞼を閉じて、彼の唱える祝詞を心の中で復唱した。
和泉の唱え詞は聴き心地がよく、思考と心が洗い流され体が冴え渡った。
私は朝餉の準備、和泉は文机に向き合った。
早めの食事を終えて片付けをしていれば、昨日と同じような時刻に戸を叩く音がする。
私が動くより先に和泉が吼えるように「開いている!」と声を掛けた。
戸を叩く音が止み、音を立てながら開くと、朝日を背にした昨日の老人が、両手を広げ目を丸くしながら驚き慄いていた。
「なんと……! この扉がこうも呆気なく開くとは……! 夢か幻でも見ているかのようだ……!」
「御託はいいからさっさと用件を言え」
「なるほど。彼女は、白山の神が遣わせた御使い様であったか……。いやぁ、ありがたやありがたや」
「菊理、その爺さんはただの冷やかしだ。追い返しとけ」
私に向かって手を合わせて拝み始める老人に、和泉は冷たい口調で言い放つと背を向けた。
夕方になり私が集落の湯屋に赴くと、着替えの場で女衆に囲まれた。
驚きながらも服を脱ごうとしたら、豊満な二十くらいの女人が私に問いかけてきた。
「菊理さんは、和泉と四日くらい寝食を共にしているのよね?」
「はい」
「そういう雰囲気になったりはしないのかしら? いえ、寧ろ本当は和泉に手を出されてたりするのでしょう?」
「……手を出す、と言うのは暴力という意味ですか? そういう事なら、和泉は人に手をあげるような人ではありませんよ」
私が穏やかに返事を返せば、懐疑的に目を細めると他の女人たちと顔を合わせあい、背を向けて集まり、ひそひそ声で内緒話をし始めた。
「やっぱりただの小娘なんて相手にはしないか」
「色気が全くないものね」
「私との婚姻を蹴っといて、若い女を娶るなんて、と思ったけどどうやら杞憂だったようね」
女衆は頷き合うと私の方を向いた。
既に服を脱ぎ終えていた私を見ると、彼女たちは目を丸くして口元に手を当てた。
「菊理さん、腹筋が凄いわねー!」
「あ。そ、そうなんです。いつも鍛えているので自慢なんです!」
「そうなのねー! これからも頑張って鍛えてね!」
「ありがとうございます! 頑張ります!」
「……これなら大丈夫そうね」
「ええ。和泉の怠け癖も正してくれるみたいだし、優しくしときましょう」
その後、女衆は私の腹筋を褒めちぎり、腕と足の筋肉にも拍手をしてくれた。
父が亡くなってから、鍛えた体を褒められることはなかったので、私は少し誇らしくなった。
家に帰ると、和泉はすでに戻っており畳の上に肘枕をして寝転んでいた。私は和泉の側に腰を下ろした。
「和泉、寛いでいるところすまないが、腹筋を鍛えたいので両足を掴んでて貰えないか?」
「帰って早々忙しいやつだ。どういう理由があって、それに至ったのだ?」
「実は女人たちに腹筋を褒められたんだ。しかも、もっと鍛えた姿が見たいと期待されてしまったので、これはもう応えてやるしかないなと思ったんだ」
「腹筋を、か」
呆れたように半目で見つめられる。
私はどきりとし、和泉の衿の開けた箇所から覗き見える胸筋に視線を向ける。
張りがある胸筋と比べれば、確かに見劣りはするかもしれない。
「……和泉には到底及ばないかもしれないが、これでも自慢の腹なんだ」
私が袴の紐を緩ませ、鍛え上げている腹筋を和泉に見せれば、ぎょっとしていたが、腹をしげしげと眺め始め、噴き出した。
「ハッハッハ! 女が腹筋を自慢してくるなど初めてのことだ! 全く色気がなくて、いっそのこと清々しいな!」
「や、やはり見劣りするか……?」
「――いや。そんなことはない。良い腹筋だ。――分かった。鍛え上げるのに、俺も一役買ってやろう」
和泉は愉しそうに体を起こした。
やる気になってくれて嬉しくなった私は、両膝を立てて寝転がる。
女人だけでなく、和泉にも褒められた私はすっかり得意になって、張り切って鍛え始めた。

