君の右手で、俺は描く




仮病男はひとしきり笑ったあと、

「そんなに返して欲しいの?」

__これ。
と、もう一度まじまじと俺の絵を見た。

「……」
「ふーん……」

仮病男は俺の無言を肯定と受け取ったのか、否定と受け取ったのかは分からないが、何かを考えるように、わざとらしく指を顎に添えた。


やがて、勢いよく顔を上げると、今度は俺に触れるか触れないかの距離まで詰めてきた。
思ったよりも背が高く、謎の威圧感を感じる。

「……なに?」

仮病男を突き放しながら言うが、突き放した分だけまた近づいてくるため、俺は無駄だと悟った。
そして、その男が口にしたのは、さすがに予想外なものだった。

「……俺さ、君の絵めっちゃ好き!だからさ__」













「__俺に絵、教えてくんね?」

やけに真剣な目つきに、思わず言葉に詰まった。

「……無理」

「答えんの早いって」
「無理なもんは無理」


俺に絵を教えて欲しい?
その絵にそこまで思わせるほどの魅力なんて無かっただろ。
どうせ、ちょっと描けるのがすごいとか、素人目の感想で出た、一時の興味だろう。


しかし、仮病男はさらに食い下がってきた。

「俺、今絵描きたいと思った。教えて!」
「……」

埒が明かない。
そう思って仮病男が入ってくるまでいたベッドまで戻ろうとした時、絵を教えてくれ、ともうひとつ、違う言葉が聞こえてきた。

「……これ返すから!」
「……」

背を向けているせいで、何を指しているか全く分からないが、あの男が俺に返すものなんて、俺の絵くらいだ。

「無理。それなら返さないでいいから出てけ」



「……」

仮病男は黙りこくり、保健室には静けさが溢れ、なんとも落ち着かない空気が作り出されていた。

言い過ぎたかもしれない。
仮病男も仮病男だが、俺も俺で、返しがキツすぎたかもしれないと反省する。

それでも、さすがにもう大人しくなったか、と横目で見てみると。




……は?

涙目……?
いや違う。片手に目薬握ってんのバレてんぞ。
そもそも、なんで目薬なんて持ってんだよ。


「……出てけ」

「えー……」

仮病男が渋るフリを見せる。
すると、丁度授業終了のチャイムが鳴った。

もうそんなに時間が経ったのかと、驚き時計を見てみると、時計の針が動いていなかった。
朝のはずなのに、時計の針は12時を指している。

これじゃあ時間が分からないじゃないか、とめんどくさいながらも仕方がなくスマホを取り出す。

その瞬間__


「__おい!」


「君、三田村藍衣って言うんだ!」

スマホが奪われた。

しかも、奴の様子から見ると、勝手にメッセージアプリを開いているらしい。
個人情報だぞ、と言ってやりたい気持ちを何とか堪え、スマホが返ってくるまで大人しく待つ。

しばらくすると、スマホは返ってきたが奪われる前と違い、仮病男の連絡先が登録されていた。


「俺、渡井楓雅!よろしく、藍衣!」

初めから名前で呼んでくるところに、仮病男__渡井の馴れ馴れしさを感じる。
そのまま勢いに任せて、絵を教えてくれなんていう馬鹿げた考えを捨ててくれないかと思ったが、

「はい!これ約束通り返すから」
「俺、絵描きに毎日くるから!待ってて〜!」

その言葉だけと、俺の絵を残して保健室を出ていった。