保健室のドアを開けると、ガラガラという音と共に、強い消毒液のツンとした匂いが鼻を刺した。
あいにく、保健室の先生はいないようだ。
そういえば昨日、明日は一日出張だからいないよ、と言っていた気がする。
「……」
ベッドの縁にカバンを投げ捨て、腰を下ろした。
視界の隅に映る、体重で押されて沈むシーツが気になって、おもむろにノートとシャーペンを取り出す。
特に何かを感じたという訳でもないけど、これはただの癖だ。
見たものをすぐに描こうとしてしまう、俺の。
何度も消し、何度も線を走らせる。
現実のものは、厚みがある。
それを、平面に閉じ込めようとすると、必ずどこかでゆがみ始める。
だからこそ、形を捉えるはじめの線が、いちばん大切だったりする。
「……違う」
まるで岩。
シーツの滑らかな感触を、写し取れない線は、やはりガタガタで、俺を無性に腹立たせた。
紙を破りとり、ぐしゃぐしゃに丸める。
丸めたところで、どうしようか。
……いや、今ここには誰もいないだろう。
そう思うと、体の力が一気に抜ける。
俺は勢いに任せて、丸めた紙を入り口の方へ思いっきり投げつけた。
するとその瞬間__
「せんせ__へぶっ」
「……」
俺は見事、保健室の入口に入ってきた男に、紙を命中させてしまった。
「痛ってぇ〜……」
しかも、顔面の中心__鼻だ。
保健室に入ってきた男は、大袈裟なくらいなオーバーリアクションで鼻を抑えた。
「くっそ……仮病のつもりが、ガチで怪我じゃん?」
言うほどの怪我ではないだろ。
てか、仮病で保健室来んなよ。
言いたいことが頭の中で馬鹿みたいに出てくる。
本物の病人だったら、俺だって気遣ったかもしれない。
いや……嘘だな。
たかが絵が描けないくらいで保健室に逃げてる今、俺に病人を気遣っている余裕も、親切さもあるはずが無い。
あぁクソ。
以前よりずっと捻くれた考えをする自分に寒気がした。
「……ん?」
仮病男は、足元の俺が投げた紙を不思議そうに拾った。
「……ノート?これなに?」
「そっ__」
それは見なくていい。
そう言う前に、ぐしゃぐしゃの紙をゆっくり伸ばしていく仮病男の姿が目に入った。
先に拾っておけばよかった、などという後悔をするには遅すぎた。
仮病男によって引き伸ばされた紙は、遠目で見てもわかるほど毛羽立っていた。
紙を今すぐ取り返して、もっと細かく破り、外へぶちまけたい衝動に駆られる反面、仮病男が、俺の絵にどんな反応をするのか知りたかった。
「……ねぇ」
小さく、ぽつりとこぼれた言葉は、何の変哲もないものだった。
「これ、君が描いたの?」
絵を褒めるでもなく、貶すでもなく、ただただ興味を示す彼に、引き出されるように声を出した。
「……だったら?」
仮病男は紙から目を離さずに、言った。
「描き途中?」
……なんだ、それ
特に深い意味は無いだろうその言葉に、俺の胸はひくりと音を立てた。
「なんかそんな感じする。当たりっ?」
「……」
だからなんだよ。
そんなのわざわざ確認しなくても、見ればわかるだろ。
無邪気に笑い、俺に見せつけるように、紙をヒラヒラとかざす姿に、歯を噛み締めた。
とりあえず紙だけ回収出来ればよかった俺は、自分の気持ちを誤魔化すように、作り笑いを浮かべ、仮病男に近づいた。
「返してくれる?」
「……え?やだけど」
近づいて手を伸ばすと、仮病男はまるで自分のもののように、紙を胸に抱える。
「君の、その笑顔気持ち悪いし」
……は?
一瞬、本気なのか、冗談なのか分からなかった。
何を考えてるのか分からないこの男に、余計腹が立った。
「……ははっ!冗談だって!」
「……うざ」
ケタケタと笑う声に、思わず本音が漏れたが、仮病男はさほど気にしていないようだった。
