僕の奇跡と君のキセキ

 清々しい秋晴れの下、柏木高校文化祭は開催された。重い体を引きずり、やっとのことで登校すると校内はお祭りムード一色だった。どのクラスも最後の仕上げに大忙しだ。お化けやメイドのコスプレをした生徒たちもあちこちで談笑している。

 昨日までの僕ならこんな風に楽しめたのだろう。
 でも今は……とてもそんな気分になれない。

 開け放たれたドアから楽しそうな声が響いてくる。
 入り口に立て掛けられた僕たちのクラスの看板ーー昨日より寂し気に見えるのは、気のせいだろうか。

「やばっ、飾り上手く付かないや。上原ってまだ来てないか〜?」
「そういえば遅いな。こんな日に遅刻か?」
「上原君は遅刻したことないわよ。自分と一緒にしないの」

 そんな和気あいあいとした会話が耳に飛び込んできた。今朝はあれこれ手間取っていつもより遅くなった。急がないと。

「おは、、」
「上原を頼るな」

 僕は出かかった言葉を飲み込んだ。
 今のは、加瀬君……低く、押し殺した声にただならぬ雰囲気を感じた。

「なんだよ、ケンカでもしたのか? 加瀬が上原を一番頼ってるじゃないか。毎日一緒に練習してさぁ。ラブラブじゃん」

 おどけた調子に、クラス中がどっと沸いた。
 
「だから! 俺はもう頼まない。上原には頼らないんだって!」

 こんなに感情を剥き出しにした加瀬君を見たのは初めてだ。賑やかだった教室が一転、水を打ったように静まり返った。居た堪れない空気の中、沈黙を破ったのは信じられない言葉だった。

「もしかして、昨日の加瀬の怪我って上原がわざとやったのか?」

 ーー今、なんて言った?
 怪我……わざと?

「俺、昨日の帰りに上原と森高校の都築が会ってるのを見たんだ。あの二人、おな中だし、都築って中学の頃から加瀬のライバルだろ。タイミング良すぎないか?」

 都築と会ってたのを見られてたのか。
 だからと言って、故意に階段から突き落とすなんて事するわけない。
 でも、疑われてるのか?……みんな、加瀬君も、そう思ってる?

 不気味な静寂がそれを肯定しているようで、背筋が凍った。全身から力が抜けて、よろよろと後退りした。
 トン、と何かにぶつかり、振り返ると関口君が倒れそうな僕を支えていた。
 
「おっと、上原、危ないぞ」 

 その声が教室に届いてしまった。
 クラスのみんなが一斉に僕を見た。
 その目は僕に対する疑念に満ちていた。

 怖い……
 
「関口君、ごめん」
「えっ、ちょっ、どうした。上原!」

 ここにはいられない、
 僕は逃げた。


 ******


 どこもかしこも賑やかで楽しそうで、僕の居場所なんてどこにもなかった。あちこちを彷徨い、屋上へ続く階段の踊り場にたどり着いた。光の差し込まない暗闇が僕にはお似合いだ。

 いい気になってたな。みんなにチヤホヤされて人気者になったと勘違いしていた。僕は何も変わってないのに。バチが当たったんだ。嫌われて当然だ。
 
「はぁ、はぁ、、やっと見つけた。上原、こんな所にいたのか、はぁ」

 加瀬君、どうしてここに。
 額に光る汗、弾んだ呼吸ーー
 まさか……走って来たのか?

「来るな!」

 何やってるんだ。階段なんか上ったら足に負担がかかる。こっちに来るな。
 それでも手すりを持ち、こっちに近寄ってくる。

「それ以上動くな、僕がそっちに行く」

 何しに来たんだ。
 都築の事を聞きにきたのか?
 話すことなんて何もない。

「俺、上原の気持ち全然わかってなかった。お前がどんなに悩んで、苦しんで、陸上をやめたのかも知らないで。二度と陸上はやらないって決めた上原を無理矢理練習につき合わせるなんて、本当に酷いことをした。今更謝っても仕方ないけど、ごめん」

 んっ? 悩んで苦しんで?
 二度とやらない??
 そんな事を言った覚えはない。

 陸上は中学で一区切りつけた。もちろん多少の挫折はあった。でもある意味、希望を持ってやめたんだ。おな中の都築や加瀬君のようなトップクラスの選手には敵わない。だから僕は僕にしか出来ない事をやろうと決めた。ただ、それが見つからなくてモヤモヤした日々を過ごしていたのは事実だけど。

「美術部の作品が間に合わなかったのも俺のせいだ。ずっと練習につき合わせて、看板制作にも引っ張って、あれじゃ部活に行く時間なんてないのに、何で気づかなかったんだ」

 絞り出すように話す加瀬君は、辛そうで苦しそうだった。

「あのさ、さっきから話が見えないんだけど。加瀬君との練習は楽しかったし、看板制作だって仲間に入れてもらって嬉しかった。作品だって完成した。なんで加瀬君が謝るの?」
「で、でも今朝、小暮に呼び出されて美術室に行ったけど、上原の作品だけなかったぞ」

 由香に美術室に呼び出された?
 あいつ、また早とちりしたな。
 きっと加瀬君に有る事無い事、文句言ったんだろう。
 そういえば、高校では陸上部に入らないと言ったら、やけに深刻そうな顔をしていた。やたらと慰めてくれたし、ファミレスでハンバーグ奢ってくれたな。デザートにチョコレートケーキもつけてくれた。僕が落ち込んでると思ってたのか。そんなこと一言も言ってないのに。
 部活には行っていない。でも作品は完成させた。
『やれば出来る』なんて、やってない自分への言い訳だった。加瀬君もみんなも部活や生徒会で忙しいのに、何枚も看板の下書きを描いていた。やる気を出せず、手っ取り早くデッサンで済ませようとしていた自分が恥ずかしくなった。それに加瀬君と練習していたら不思議と描きたいものが湧いてきた。久しぶりに心から絵を描きたいと思えた。

「部活に行く時間はなかったけど、家で描いてたんだ。納得いくまで描いてたら今日になっちゃってさ。今朝持ってきた。きっと加瀬君が美術室を出た後だ」
「じゃあ、今は展示されてるのか? 俺と走るのも嫌じゃなかったってことで、いいのか?」

 嫌なら毎日つき合うわけないだろ。
 僕だってそんなに暇じゃない。
 それくらいわかるだろ。

 コクンと頷くと、加瀬君は大きく息を吐き出した。

「はぁ〜〜〜〜 何だよ、心配して損したな」
「由香が余計な事を言ったんだろ、ごめん。でも由香は悪くないんだ」

 家で描いていること、陸上をやめた理由、全部話しておけばよかった。由香にも迷惑かけたな。

「わかってる、上原を心配してのことだろ。大事にしてあげないとダメだぞ」
「うん、わかってる」

 後で謝りに行こう、これまでの事。
 そして、これからの事をちゃんと話そう。
 でも、今はそれよりも大切な事がある。

「……足、やっぱり捻挫だった?」
「見立て通り、全治10日。軽い捻挫だ」
「あのさ……いい整骨院があるんだ。都築が中学の時に酷い捻挫をしたことがあって、その時通ってた所なんだけど。スポーツ専門の先生が診てくれるし評判も良いんだよ。行ってみないか? 昨日都築に会ったのは接骨院の話を聞く為なんだけど……僕の言うことなんて信用できないよな、ごめん」

「俺があんな話を信じると思ってるのか? 上原も都築もそんなヤツじゃないことくらいわかってる」

 怪我のこと怒ってないの?
 僕のこと信じてくれるの?
 僕を頼らないって言ったのは怒ってだからじゃないの?

「はぁ〜〜〜〜 良かった〜」

 今度は僕が大きなため息をついた。
 僕らは顔を見合わせて笑った。
 どうやらお互いに勘違いをしていたようだ。

「上原の絵が見たい」
「何だよ、急に。見なくていい。それに安静にしてろって言われただろ、動くな」
「だったら、肩貸してくれよ」

 全く、言い出したら聞かないんだから。
 暫くは加瀬君の松葉杖代わりになるか。
 肩に回された腕はあったかくて、少し涙が出た。