僕の奇跡と君のキセキ

 9月になっても真夏のような暑さだ。グラウンドは砂漠のように干涸びて、ゆらゆらと陽炎が立っている。
 夏休み明けのだらけた体に、厳しすぎる日差しが容赦なく照りつける。無造作に伸びた前髪からは汗が滴り落ち、体操服はベタベタと体にまとわりつく。 
 
「あっちーな……」

 言っても仕方ないとわかっているのに、つい口に出してしまう。
 早く順番回ってこないかな。なんで背の順なんだよ。それも大きい方からって。5限目の数学は五十音順だったのに、全くついてない。
 前に並ぶクラスメイトの多さにうんざりしながら、柏木高校2年、上原伊吹は大きなため息をついた。

「セット」 パーーン!

 ピストルの乾いた音が響いた。先頭の6人がゴールすると、ふっと笑みが溢れた。

 100mなんて、あっという間だ。

 いち早く走り終え、日陰に逃げ込むクラスメイトが心底羨ましい。一歩ずつ前に進むたびに響くピストル音が心を掻き乱す。
 
 走りたくないな……

 こんな炎天下で体育なんてやっていいのか。
 誰か倒れたらどうするんだ。いっそのこと僕が倒れるか?やっぱやめた。グラウンド熱そうだし、倒れるなんてカッコ悪い。
 そんなくだらないことを考えていると、ようやく順番が回ってきた。僕を含めレーンに並ぶ6人以外は全員日陰でくつろいでいる。全くいいご身分だ。

 最後の組か。誰も見てない方が気が楽だな。

 スターティングブロックに足を乗せ、熱せられた地面に手をついた。
 
「セット」 

 一瞬の静寂、そしてーーーー

 パーーン!

 特に気合を入れるでもなく淡々とゴールした。
 6人中3位、まぁ妥当だな。
 1レーンの吉川君はサッカー部だし、5レーンの林君はーーなんだっけ。忘れちゃったけど、確か運動部だ。3位なら上出来だな。
 そのまま日陰に直行するはずだったのに、あと一歩というところで行く手を阻まれた。

 僕の前にそびえ立つのはクラス委員長の加瀬慶太。身長163cmの僕より15cmは高いだろうか。見下ろされているようで気分が悪い。2年生にして陸上部のエース、成績もトップクラス。
 筋肉質の身体は引き締まっていてよく鍛えられている。元々の素材がいい上に、日焼けした顔は男らしさを増幅させている。
 思ったより身長が伸びず、未だに中学生と間違えられることもある僕からしたら羨ましい限りの出来すぎ男だ。世の中は不公平だ。天は二物を与えずって大嘘だな。


「上原、練習につき合ってくれよ」
「んっ?」
「俺の練習につき合って、頼むよ」
「はっ?」

 コイツ誰に喋ってるんだ?
 それとも僕は暑さで幻を見てるのか?


「なにキョロキョロしてんの。上原はお前しかいないだろ」

 面白そうに笑ってるけど、こっちは全く笑えない。
 なんだ、その爽やかな笑顔は。女子が見たらキャーキャー騒ぐだろうが。確かにこのクラスに上原は僕一人だ。そんなことはわかっている。僕が言いたいのは、一番最初に走って涼んでいた加瀬君が暑さボケはないだろってことだ。こっちはずっと日に当たりっぱなしだったんだ。早く日陰に入りたいんだよ。
 イライラが募り、つい声を荒げてしまった。

「陸上部のエースが罰ゲームか? 遊びは仲間内だけにしてくれよ、待ちくたびれて暇なのか」

 しまった! 言い過ぎた。

 高校生活に意味を見いだせず、未だボッチの僕がイケメンクラス委員長に毒を吐くなんてーーやりすぎだ。

 どうする……

 ま、いっか。どっちにしたって僕の立ち位置が変わるわけじゃない。幸い誰も見てないし、このままスルーして何事もなかった事にするか。うん、それがいい。
 内心、心臓はバクバクしていたが怯んだところを知られたくなくて、悠々と歩いた。涼しげな顔の加瀬くんの横をすり抜け、ようやく日陰に入った。

「集合〜! もう一本行くぞ!」

 無常にも体育教師の大声が響き、僕はまた太陽が照りつけるグラウンドへ逆もどりになった。