腹違いのきょうだいから求愛されてます



 春、出会いと別れの季節。
 ──とはいうものの、高校2年に進級するだけの俺に、新しい出会いはあまりない。
 そう、思っていたのに。


「はじめまして。新倉涼矢くん」


 目の前に、見知らぬ美女が立っていた。

 ゆるく巻かれた柔らかな黒髪。
 俺を捕らえる琥珀色の瞳。

 目が、離せなかった。

 ……だけどコイツには、心を揺らしてはいけない。



「よかったら、私と付き合って?」



 唐突に告白をされようと、動揺してはいけない。

 隙を見せるな。

 感情を動かすな。

 きっと、コイツは──




【腹違いのきょうだいから求愛されてます】



 

* * *
 

 自分で言うのもなんだが、俺はかなり恵まれている。
 運動も勉強も人並み以上にできるし、何をやってもそれなりに器用にこなすことができる。

 身長も180㎝あるし、顔は割と女子から好評だし、友達にもセフレにも恵まれている。
 おまけに祖父はそこそこ大きな商社の社長で、何の不自由もなく生活している。

 1つ問題を挙げるとすれば、両親が不仲なこと。まぁそれも、この年齢になれば割とどうでもいい。
 母親が知らない男を家に連れ込むことを除けば、俺には何の害もない。

 今日は誰と遊ぼうかな。
 春休みが明けた初日にもかかわらずそんなことを考えながら、窓の外を眺めているときだった。


「えー今日は転入生を紹介する」


 担任の声とともに、教室の空気が変わったのを感じた。
 反射的に黒板の方を見ると、教卓の隣に見知らぬ美少女が立っている。

 息を吹きかけると消えてしまいそうなくらい、儚い雰囲気。
 それに反する、隙のない鋭い目付き。
 誰もが目を奪われ、もはや感心さえしてしまうような、美しい女。

 教室中が彼女に魅了されている。
 俺は思わずごくりと、唾を飲んだ。
 
 完成度高すぎだろ……。

 もちろん俺も、例に漏れず美女から目が離せないわけだが。

 ……何だ?この胸騒ぎは。

 突如現れた美しい生き物に対する動揺、とは違う。
 もやっとした違和感のようなものが胸のあたりに広がっていく。


「蝶野由舞です。よろしくお願いします」


 美女の口から放たれた言葉に、俺の心臓は止まった。

 ……嘘だろ。
 今、”蝶野”って。
 まさか、そんな……。

 たらりと、額から汗が滑り落ちる。
 同時に俺の頭には、呪いのように焼き付けられた母親の声が響いた。

 
『あなたの父親は不倫していたの』


 それは幼い頃から何度も何度も聞かされた、怨念がこもった話だ。


『相手の女は儚げで、だけれど隙がなくて……憎たらしいくらい美しい女だったわ。
本当に、浅ましい女。……あの人と子どもまで作るなんて』

 
 母親の話は、俺に腹違いのきょうだいがいることを示唆した。


『許さない。絶対許さないわ……チョウノ。地獄に堕としてやる……』


 儚くて、隙がなくて、美しい女って。
 ”蝶野”って。

 目の前に現れた美女と、完全に一致した。

 そんなの、たまたまかもしれない。
 チョウノが蝶野かどうかなんてわからないし、不倫相手が美しい女だっただけで子どももそうだとは限らない。
 何の根拠もないんだ。

 だけど俺の直感が、コイツだって告げている。
 そんな気がした。




 この世界のどこかに、血を分ける存在がいる。
 俺には”腹違いのきょうだい”がいる。

 母親の言葉の意味を理解できる年齢になったとき、俺は困惑した。
 だけどそんなのは一瞬だけ。
 自分に腹違いのきょうだいがいるなんて、俺にとってはわりとどうでもいい事実だった。

 だって一生関わることはないだろうし、そいつがどんな奴かなんて気になりもしない。
 性別も年齢も、何も知らないしそのままでいい。
 ……そのままでいいと思っていたのに。
 
 世間、せま……。
 っていうか、まじで綺麗だわ。

 大きくて目力のあるアーモンドアイ。それを縁取るように生えた長い睫毛。
 透けそうなくらい白い肌。小さな鼻に、控えめな桜色の唇。

 顔面も整っているが、スタイルまで作り物のようだ。
 手足が長く、掴んだらすぐに折れてしまいそうなくらい細い。


「じゃあ蝶野は、窓際の1番前の席へ着いてくれ」


 自己紹介をする時も、先生に話しかけられた今も、蝶野は少しも表情を変えない。
 完璧な容姿も相まって、まるで人形だ。


「はい」


 とりあえず、よかった。蝶野の席と俺の席は、ちょっと距離がある。
  
 まだ、俺と蝶野の関係は確定ではない。
 だけどできるだけ関わらない方がいい。
 向こうは俺(腹違いのきょうだい)の存在を知らないかもしれないし。
 面倒ごとが起こるのはごめんだ。

 ──そう、思った矢先のこと。
 なぜか蝶野は指定された席とは反対方向に歩き始めた。

 っていうか、なんかどんどん近付いてきている気が……


「はじめまして。新倉涼矢くん」


 目の前で立ち止まった美女は、小さな声でそう言った。

 なんで俺の前に来た?
 なんで俺の名前、知ってるんだ?
 そんな疑問も、蝶野の美しさに飲み込まれる。

 ゆるく巻かれた柔らかな黒髪。俺を捕らえる琥珀色の瞳。ほんのわずかに浮かべた笑顔。
 目が、離せない。

 ……いかんいかん、しっかりしろ、俺。
 コイツは、コイツにだけは、心を揺らしてはならないんだから。


「何している、蝶野。席はこっちだぞ~」


 先生の声に蝶野はくるりと方向転換をした。
 ふわっと空気を舞ったムスクの香りが、俺の鼓動を掻き立てる。


「はい、すみません」


 ……やっぱりコイツには、あまり関わらない方がいい。

 頭の中は冷静だった。
 だけどどうにも、心の動きだけはコントロールができない。
 蝶野が去ってからも、ドキドキドキ……と警鐘のごとく、心音が鳴り続けていた。



 
 俺は蝶野と関わらないと心に決めた。
 しかしそんな決意を知る由もない蝶野は、毎日俺に話しかけてきた。


「新倉くん、今日の朝ごはんはなんだった?」


 他の奴に話しかけているところは見たことがないし、声を掛けられても最低限の受け答えしかしていない。
 そんな蝶野が、俺にだけやたらと話しかけてくる。……正直、怪しい。怪しさしかない。


「……目玉焼きトースト」
「朝はパン派ってこと?」
「……まぁ」


 話しかけてはくるものの、会話はいつも弾まないし。
 会話してても、全然楽しそうにしてないし。
 なんなんだよほんと、何がしたいんだよ。

 ……やっぱり、あれだよな。
 俺との本当の関係を知っているから、何かを企んでるんだろうな。

 これ以上関わるのは危険だ。
 だけど話しかけられたら無視するわけにもいかないし、無駄に目立つ蝶野を無下に扱ったら俺の印象が悪くなる。 

 頭を抱えながら毎日を過ごして──告白をされたのは、始業式から1週間が経った頃だった。
 昼休み、焼きそばパンにかぶりつく俺に蝶野が話しかけてきた。

 
「新倉くん、犬派?猫派?」
「……動物はあんまり好きじゃない」
「そうなんだ」


 この日も、全然会話は弾まない。
 だけれどなかなか俺の近くから去ろうとしない蝶野に、後ろの席の男が茶化すように口を出してきた。


「蝶野さんって、涼矢のこと好きなの?」


 ニヤニヤを隠しきれていないこの男、宇岡傑は中学からよくつるんでいる男だ。
 元々マイペースな奴ではあるけれど。
 今回ばかりはま、じ、で、余計なことを言いやがって……!

 俺は傑に無言の圧をかけるが、本人はもちろん気付いていない。

 ……蝶野、なんて答えるんだろう。

 しょっちゅう話しかけてはくるものの、コイツから好意的なものを感じたことはない。
 確実に好きとかそういうのではないはずだ。

 しばらくすると、蝶野は小さく口を開いた。




「……そうね。一目ぼれだわ」


 …………いやいやいや、そんな真顔で告白することある?

 もともと温度のない目をしているけれど、今は一層冷ややかというか。
 確実に恋をしている奴の目ではない。

 ……どっちかというと、俺のこと嫌いなんじゃねえのか?

 
 「ま、まじか!なんで涼矢ばっかモテるんだよ……!」


 傑は傑で、なんで疑問を持たないんだよ。
 まじでいつかでかめの詐欺に引っかかんぞ。


「新倉くん、私と付き合ってくれない?」
「……いやいや、ないだろ。こんな出会ってすぐに」
「一目ぼれって、そういうものじゃないの?」

 
 たしかに一目ぼれしたのだとしたら、頻繁に話しかけてくることの理由にはなる。
 だけど、転入初日から俺の名前を知っていたのはなんでだ?
 一目ぼれしたからって、相手の名前はわからないだろう。

 なにが狙いだ?
 なにを企んでいる?


「……付き合わねーよ」


 っていうか、付き合えねーよ。付き合えるわけねーよ。
 俺たちは恐らく、半分血が繋がってるんだから。


「そっか。……私、付き合ってくれるまで諦めないから」


 小さく微笑んだ蝶野の瞳に、長いまつ毛が影を落とした。

 ……蝶野、本当に俺たちが腹違いのきょうだいだって知らないとか、ないよな。
 本当に俺に一目ぼれしたとか、ないよな。

 …………ないない。あるわけねーだろ。

 今日も今日とて、蝶野の香りは心を揺らす。
 頭の中を支配して、俺の思考を乱す。

 俺は残りの焼きそばパンを、口の中にねじ込んだ。




 * * *


 蝶野が俺との関係を知っていて何かを企んでいるのだとしたら……理由はなんだろう。
 ただ、からかっているだけ?
 それともなんか、恨みがあるとか?
 考えても答えがでるはずのないことばかりが、脳内を渦巻く。

 ……腹、減ったな。晩飯なに食おうかな。
 
 両親はいつもいないし、高校生になってからは食費として振り込まれた金で好きなものを食べる生活をしている。
 宅配を頼むことが多いけれど、今日はなんだか外に出たい気分だ。
 家にいても意味のないことばかり考えてしまう。

 ……久しぶりに、あそこでも行くか。

 思い浮かんだのは幼少期からよく通う、近所の定食屋だ。


「いらっしゃいませ!」


 カウンターの奥から大将のはつらつとした声が聞こえる。


「お、涼矢くんじゃねぇか!久しぶりだな!」
「うぃす」


 徒歩5分くらいの距離にあるが、外に出るのが面倒で最近来れてなかったんだよな。
 親の手料理をほとんど食べたことのない俺にとって、大将の親子丼はおふくろの味も同然。
 ここの飯食えば、ちょっとは気持ちが落ち着くはずだ。


「すんませーん」


 注文をしようと声を張る。──すると。


「ご注文お決まりでしょうか?」
「ブーーーッ!!!」


 聞き慣れた声に、俺は思い切り吹き出してしまった。

 なんで……なんでここにも現れるんだ。
 蝶野由舞……!




「あら奇遇ね、新倉くん」

 
 シンプルなシャツの上にエプロンを着て、髪を後ろで縛っている蝶野。
 地味な格好のはずだが美しさが隠しきれておらず、まるで朝ドラヒロインのようだ。
  
 1番会いたくなかった奴の突然の登場に、どっくんどっくんと心臓が跳ねる。
 そんな俺とは裏腹に、少しも驚いた様子のない蝶野は注文をメモするためにペンをスタンバイしている。

 本当に……奇遇なのか?

 俺は上の空のまま、親子丼を食べた。
 せっかくの大好物なのに、全然味わうことができなかった。


「もうバイト上がるから、待っててくれない?」


 蝶野の声が降ってくる。どうやら丼鉢を下げに来たようだ。


「……今すぐ帰るから無理」


 蝶野がこの店にいるのは偶然か、もしくは作為的なものなのかはわからない。
 とにかく関わらないためには早くここから去らなくては。

 じーっとこちらを見る蝶野と目を合わせることなく立ち上がると、つんざくような大将の声が響いた。

 
「えぇ!?涼矢くん、冷たい男だねぇ!」
「大将、声でけーっす……」
「蝶野ちゃんから聞いたよ!同じクラスなんだってね!引っ越してきてばかりで心細いんだから、仲良くしてやんなよ~!」
「いや、あんま仲良くする気はないというか……」


 ガシャーン!!!
 俺の発言に大きなショックを受けたらしい。
 大将は持っていた鍋を床に落とし、目にいっぱいの涙を溜めていた。


「そんな、ひどいこと言うもんじゃあねぇよ……っ」


 結局俺は大将に押し切られて、蝶野を駅まで送ることになった。

 ……最悪だ。
 蝶野のことを考えたくなくて、外出したのに。こんなことになるなら来なかったらよかった。




 ほんの少し夕焼けが残った空の下、俺たちは隣に並んで歩いている。
 制服に着替えたものの髪を結んだままの蝶野は、少し新鮮でなんだかこそばゆい。
 2人の間には若干の距離があるが、俺的にはもっと離れたいくらいだ。


「新倉くん」
「……なに」
「昼休みのことなんだけど」


 蝶野の言葉に、俺は咄嗟に身構える。
 そういやこいつ「……そうね。一目ぼれだわ」とか言ってきたんだっけ。
 蝶野はまっすぐ前を見たまま、淡々と口を開く。 


「新倉くんは付き合わねーって言ったけど、私諦めないから」
「なっ」
「あなたじゃないと、ダメなの」


 そのセリフを吐く奴はきっと、もっと熱っぽい目をすると思う。
 コイツの目は、真逆だ。
 いつも通り温度はなくて、むしろ冷たそうで、鋭利で。氷柱みたいたいな目をしている。


「そ、んな適当なこと言うな」
「適当じゃないよ」
「俺のこと何も知らないだろ」


 俺は絞り出すように、蝶野を試すような言葉を吐き出した。

 本当の俺との関係を、知ってるのか?
 知っていて、言い寄ってきてるのか?

 そんな直接的なことは、怖くて聞けない。

 
「……じゃあ、教えて。新倉くんのこと」
「嫌だ」
「それならまずは、私のことを知ってもらうわ」


 蝶野は微かに微笑んだ。髪を括っているので横顔がはっきりと見える。
 ……目に毒だ。 


「新倉くんが気になっていそうなこと、教えるね」
「……何も気になってない」
「バイトは、たまたま」
「無視すんな」
「学校の近くで探したの。だから新倉くんが来て驚いたわ」


 俺の言葉をスルーして、蝶野は自分の話を続けた。


「転入初日からあなたの名前を知っていたのは……はやくクラスに馴染みたくて、事前に先生に名簿を借りて覚えたの」


 その内容は、たしかに俺の気になっていることばかりだった。


「一目ぼれも、本当のこと」


 ぴくりと、思わず耳が反応してしまう。
 氷柱の目がこちらを射る。

 ……落ち着け。動揺するな。隙を見せるな。感情を動かすな。
 そう自分に言い聞かせるけれど、少しだけ体温が上がった気がする。


「だから思わず話しかけてしまったんだ」
「……嘘くさ」
「本当だよ」

 
 俺の中に浮かぶ疑問をリスト化していたのかと思うくらいに、片っ端から答えていく蝶野はやっぱり怪しい。
 初めから答えを持ち合わせていたみたいだ。


「全部、本当」


 陽が沈んでいく。
 光をなくす空に比例すて、蝶野の顔にも影が掛かる。


「またね、新倉くん」

 
 結局蝶野は俺の1番知りたいことを、俺たちの本当の関係のことを、話すことはなかった。
 
 聞くチャンスは確実にあった。
 だけど俺は、一歩を踏み出すことができなかったんだ。

 俺たちは多分、恐らく、きっと、腹違いのきょうだいだ。
 だけどまだ、蝶野がそのことを知っているのかはわからない。