秋人が転入してきた――
その事実だけで、黒薔薇学園は朝から落ち着きを失っていた。
廊下では女子生徒たちがひそひそと囁き合い、
「オッドアイの転入生見た?」
「やばい、すれ違ったけど超絶イケメンだった!!」
「北条くんと並んでるの反則でしょ……」
そんな声が、春の空気に混じって漂っていた。
美羽はというと、教室の自分の席に座りながら、まだ頭が追いついていなかった。
(転入生が秋人くんで……しかも……)
思い出しただけで、頬がじわっと熱くなる。
その瞬間、隣からぐいっと顔を近づけてくる存在。
「ねぇねぇ、美羽~?」
莉子だ。
にやにやと、楽しそうな笑みを浮かべている。
「ちょっとさ~?
椿くんがいるのに、お兄ちゃんから“熱烈なキス”までされて?
結局の所、どっち選ぶの~?!」
「ね、熱烈じゃないし!!」
美羽は机を叩く勢いで否定した。
「ほ、ほっぺ!ほっぺだから!!
ていうか私は椿くんの彼女なんだから、
秋人くんを選ぶとか、そんなのダメに決まってるでしょ!!」
顔を真っ赤にして言い切る美羽に、莉子はくすくす笑う。
「え~?
でもさ~、ちょっとはドキドキしたんじゃないの~?」
「してないってば!!」
そう言いながら、美羽はぷいっとそっぽを向いた。
(……って言いたいけど)
胸の奥が、ちくりとする。
(ほんのちょっとだけ……ほんの一瞬だけ……
秋人くんにドキッとしたかもしれないけど!!ごめんなさい!椿くん!!!)
あの距離。
あの笑顔。
あの無駄に整いすぎた顔。
(ていうか、椿くんといい秋人くんといい、顔が良すぎるのが悪いんだから!!
莉子にしても秋人くんにしても、この双子ほんと厄介すぎるんだけど……!!)
美羽は小さく息を吐いた。
(……でも、同じクラスじゃないだけ、まだマシかも)
そう思いながら、黒板の方へ視線を戻した。
――その頃。
黒薔薇メンバーが集まる特進クラスは、すでに異様な熱気に包まれていた。
「え、ちょっと待って!?
転入生って秋人くんだったの!?」
教室に飛び込んできた悠真が、信じられないという顔で叫ぶ。
「しかもだよ!?
美羽ちゃんにチューしたって噂、回ってるんだけど!?
ねぇ椿!!マジなの?!
僕を差し置いて?!どーいうことぉぉ?!!」
「……悠真、うるせぇ。」
椿は短く吐き捨てるように言った。
その横で、碧が腕を組みながらにこやかに頷く。
「なるほど……。
これで勝負の相手が増えましたね!
最近、美羽さんに構ってもらえていなかったので、
ちょうどいい刺激です!」
「おいおい、刺激とか言うなよ~」
遼が肩をすくめて苦笑する。
「いやぁ、これは波乱だねぇ。
美羽ちゃん、今年もなかなか平穏とは程遠そうだねぇ。」
「データ的にも、面白い展開だな。」
玲央は眼鏡の縁を押し上げながら、冷静に分析していた。
「黒薔薇メンバーに“転入生”ときた。
確実にイベント発生フラグだな。」
椿は舌打ちし、机に肘をつく。
(……よりによって、あいつかよ)
そのとき、教室の扉が開いた。
「静かにー、転入生を紹介するぞ。」
教師の声と共に、視線が一斉に前へ向く。
「高城秋人君だ。
海外留学からの編入になる。
席は……北条の隣だな。」
ざわっ、と教室が揺れた。
「え、黒薔薇王子の隣!?」
「北条くんの隣!?神席じゃん!」
「イケメン国宝級地帯すぎる……」
秋人は軽く手を挙げ、余裕のある笑みを浮かべる。
「高城 秋人です。
しばらくアメリカで留学して、日本に戻ってきました。
1年間、よろしく。」
拍手と歓声が巻き起こる中、
秋人は椿の隣の席に腰を下ろした。
「ははっ、そんなに怒らないでよ、椿。」
小声で、楽しそうに囁く。
「1年間、よろしくね?」
「……ああ。」
椿は短く答えたが、その表情はどこか硬い。
周囲の生徒たちは、完全に浮き足立っていた。
「ねぇ見た~!?並びやばくない!?」
「あの席だけオーラ違う……」
「三角関係って噂、本当なの!?」
「雨宮さんの彼氏って北条くんでしょ?」
「じゃあ、さっきのキスは何だったの!?」
椿は視線を逸らし、窓の外を見る。
ちっ、と小さく舌打ちをして、頬杖をついた。
窓の外では、桜の花びらが風に乗って舞っていた。
まるで、これから起こる出来事を予告するみたいに。
(……面倒な一年になりそうだ)
一方その頃、美羽は知らずにいた。
この春が、
これまでで一番――
甘くて、騒がしくて、すれ違いだらけの一年になることを。
桜はまだ、散り始めたばかりだった。



