田舎での時間は、思っていたよりも早く終わった。
駅のホームには、蝉の声と、湿った夏の匂いが残っている。
美羽は、小さなボストンバッグを肩にかけ、道場の前に立っていた。
「……雨宮!」
振り返ると、佐々木先生がいつもの白い道着姿で手を振っていた。
その後ろには、わらわらと教え子たち。
「お姉ちゃーん!」
「ほんとに帰っちゃうのー?!」
「また来てね!絶対だよ!」
美羽はしゃがみ込んで、一人ひとりの頭に手を置く。
「うん、約束! また来るよ。それまで、ちゃんと稽古しててね?」
「「「はーい!」」」
佐々木先生は、少し離れたところから腕を組み、にかっと笑った。
「雨宮、元気でな!」
「……はい」
胸が、じんと熱くなる。
(私、ちゃんと進もう)
そう思って、新幹線に乗り込んだ。
東京へ向かう新幹線の中。
窓の外を流れていく景色を眺めながら、美羽はスマホを握っていた。
椿からのメッセージ。
『今度の土曜、迎えに行く』
それだけの短い文なのに、
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
(……デート、だよね)
嬉しいはずなのに。
楽しみなはずなのに。
あの夜から、心のどこかで、
「現実」という言葉が重くのしかかっていた。
(なんで、こんなに苦しいんだろ)
答えは分かっているのに、考えないふりをしていた。
次の週の土曜日。
「——美羽」
低くて落ち着いた声。
振り返ると、そこにいたのは椿だった。
黒いハーレーの横で、ヘルメットを差し出している。
「久しぶり、だな」
「……うん」
ヘルメットをかぶり、後ろに乗る。
エンジン音が響き、
東京の街が、後ろへ流れていった。
しばらく走ったあと、視界が一気に開ける。
「……わあ!」
目の前に広がるのは、
一面のひまわり畑。
青空の下、太陽を仰ぐように並ぶ黄色。
「すごい……!」
美羽は、思わずヘルメットを外した。
「私、ひまわり畑って初めて!!」
「とーっても綺麗だね……!」
くるっと振り返って、笑顔で言う。
「ありがとう、椿くん!」
その笑顔を、椿は黙って見つめていた。
優しくて、少し切なそうな目で。
「……美羽」
呼ばれて振り返ると、
椿は、いつの間にか花で編んだリースを手にしていた。
そっと、美羽の頭に乗せる。
「え!?」
「なにこれ、可愛いっ!!」
思わずはしゃぐ美羽。
椿はクスッと笑う。
「お前、こういうの好きだろ?」
太陽の光が、椿の髪を照らす。
その横顔が、やけに眩しい。
「……う、うん」
美羽は、顔を赤くして頷いた。
そのあとは、
並んでアイスを食べて、
風に吹かれながら笑って。
ハーレーで走って、
今度は海へ向かった。
海は、きらきらと光っていた。
波の音。
潮の匂い。
沈んでいた心が、少しずつ溶けていく。
(このまま……)
(この時間が、ずっと続けばいいのに)
美羽がそう思った、そのとき。
「……美羽」
椿が、そっと手を取った。
「なに?椿くん」
視線が重なる。
椿は、先ほどの優しい様子とは違い、真剣な目をしていた。
「俺、卒業したら……留学することにした」
一瞬、世界が止まる。
「……うん」
美羽は、静かに目を伏せた。
「それで……」
椿は続ける。
「俺は、美羽に一緒に来てほしいと思ってる」
波の音が、遠くなる。
(……行きたい)
喉まで、言葉が込み上げる。
「椿くん……あのね!」
思わず声を上げた、その瞬間。
「——なんてな」
椿は、少し寂しそうに笑った。
「半分、冗談だ」
「……え?」
美羽は目を見開く。
「冗談って、なに……?」
椿は、海を見つめたまま言った。
「美羽、お前は日本に残れ。今日は、それを伝えにきた」
胸が、ぎゅっと潰れる。
「……やだ」
声が震える。
「行く!」
「私、椿くんと一緒に行く!!」
涙が、ぽろりと落ちる。
「……美羽」
「こんなに好きなのに!離れ離れになるんだよ?!椿くんは、それでもいいの?!」
必死に手を握る。
椿は、少しだけ困ったように笑った。
「美羽……お前はもう、わかってるんだろ?」
「何が?!意味わかんないよ!!」
椿は、ゆっくり言葉を選ぶ。
「俺は…そのままで、一生懸命な美羽が好きだ」
「それは、ずっと変わらない」
「でも俺にも、目指したい場所がある。最近、美羽も……やっと、やりたいこと見つけたんだろ?」
美羽の胸が、痛む。
「この先、どちらかだけを優先することはできないんだ」
「俺は、美羽が俺を支えてくれたみたいに」
「美羽の夢を、応援したいと思ってる」
「……っ」
言葉にならない。
椿は、思わず美羽を引き寄せ、抱き締めた。
強く。
離れないように。
夏の海風が、二人の間を吹き抜けていく。
ひまわりは、同じ方向を向いている。
けれど——
人の心は、いつも同じ方向を向けるとは限らなかった。
駅のホームには、蝉の声と、湿った夏の匂いが残っている。
美羽は、小さなボストンバッグを肩にかけ、道場の前に立っていた。
「……雨宮!」
振り返ると、佐々木先生がいつもの白い道着姿で手を振っていた。
その後ろには、わらわらと教え子たち。
「お姉ちゃーん!」
「ほんとに帰っちゃうのー?!」
「また来てね!絶対だよ!」
美羽はしゃがみ込んで、一人ひとりの頭に手を置く。
「うん、約束! また来るよ。それまで、ちゃんと稽古しててね?」
「「「はーい!」」」
佐々木先生は、少し離れたところから腕を組み、にかっと笑った。
「雨宮、元気でな!」
「……はい」
胸が、じんと熱くなる。
(私、ちゃんと進もう)
そう思って、新幹線に乗り込んだ。
東京へ向かう新幹線の中。
窓の外を流れていく景色を眺めながら、美羽はスマホを握っていた。
椿からのメッセージ。
『今度の土曜、迎えに行く』
それだけの短い文なのに、
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
(……デート、だよね)
嬉しいはずなのに。
楽しみなはずなのに。
あの夜から、心のどこかで、
「現実」という言葉が重くのしかかっていた。
(なんで、こんなに苦しいんだろ)
答えは分かっているのに、考えないふりをしていた。
次の週の土曜日。
「——美羽」
低くて落ち着いた声。
振り返ると、そこにいたのは椿だった。
黒いハーレーの横で、ヘルメットを差し出している。
「久しぶり、だな」
「……うん」
ヘルメットをかぶり、後ろに乗る。
エンジン音が響き、
東京の街が、後ろへ流れていった。
しばらく走ったあと、視界が一気に開ける。
「……わあ!」
目の前に広がるのは、
一面のひまわり畑。
青空の下、太陽を仰ぐように並ぶ黄色。
「すごい……!」
美羽は、思わずヘルメットを外した。
「私、ひまわり畑って初めて!!」
「とーっても綺麗だね……!」
くるっと振り返って、笑顔で言う。
「ありがとう、椿くん!」
その笑顔を、椿は黙って見つめていた。
優しくて、少し切なそうな目で。
「……美羽」
呼ばれて振り返ると、
椿は、いつの間にか花で編んだリースを手にしていた。
そっと、美羽の頭に乗せる。
「え!?」
「なにこれ、可愛いっ!!」
思わずはしゃぐ美羽。
椿はクスッと笑う。
「お前、こういうの好きだろ?」
太陽の光が、椿の髪を照らす。
その横顔が、やけに眩しい。
「……う、うん」
美羽は、顔を赤くして頷いた。
そのあとは、
並んでアイスを食べて、
風に吹かれながら笑って。
ハーレーで走って、
今度は海へ向かった。
海は、きらきらと光っていた。
波の音。
潮の匂い。
沈んでいた心が、少しずつ溶けていく。
(このまま……)
(この時間が、ずっと続けばいいのに)
美羽がそう思った、そのとき。
「……美羽」
椿が、そっと手を取った。
「なに?椿くん」
視線が重なる。
椿は、先ほどの優しい様子とは違い、真剣な目をしていた。
「俺、卒業したら……留学することにした」
一瞬、世界が止まる。
「……うん」
美羽は、静かに目を伏せた。
「それで……」
椿は続ける。
「俺は、美羽に一緒に来てほしいと思ってる」
波の音が、遠くなる。
(……行きたい)
喉まで、言葉が込み上げる。
「椿くん……あのね!」
思わず声を上げた、その瞬間。
「——なんてな」
椿は、少し寂しそうに笑った。
「半分、冗談だ」
「……え?」
美羽は目を見開く。
「冗談って、なに……?」
椿は、海を見つめたまま言った。
「美羽、お前は日本に残れ。今日は、それを伝えにきた」
胸が、ぎゅっと潰れる。
「……やだ」
声が震える。
「行く!」
「私、椿くんと一緒に行く!!」
涙が、ぽろりと落ちる。
「……美羽」
「こんなに好きなのに!離れ離れになるんだよ?!椿くんは、それでもいいの?!」
必死に手を握る。
椿は、少しだけ困ったように笑った。
「美羽……お前はもう、わかってるんだろ?」
「何が?!意味わかんないよ!!」
椿は、ゆっくり言葉を選ぶ。
「俺は…そのままで、一生懸命な美羽が好きだ」
「それは、ずっと変わらない」
「でも俺にも、目指したい場所がある。最近、美羽も……やっと、やりたいこと見つけたんだろ?」
美羽の胸が、痛む。
「この先、どちらかだけを優先することはできないんだ」
「俺は、美羽が俺を支えてくれたみたいに」
「美羽の夢を、応援したいと思ってる」
「……っ」
言葉にならない。
椿は、思わず美羽を引き寄せ、抱き締めた。
強く。
離れないように。
夏の海風が、二人の間を吹き抜けていく。
ひまわりは、同じ方向を向いている。
けれど——
人の心は、いつも同じ方向を向けるとは限らなかった。



