危険すぎる恋に、落ちてしまいました。3

田舎での時間は、思っていたよりも早く終わった。
駅のホームには、蝉の声と、湿った夏の匂いが残っている。

美羽は、小さなボストンバッグを肩にかけ、道場の前に立っていた。

「……雨宮!」

振り返ると、佐々木先生がいつもの白い道着姿で手を振っていた。
その後ろには、わらわらと教え子たち。

「お姉ちゃーん!」
「ほんとに帰っちゃうのー?!」
「また来てね!絶対だよ!」

美羽はしゃがみ込んで、一人ひとりの頭に手を置く。

「うん、約束! また来るよ。それまで、ちゃんと稽古しててね?」
「「「はーい!」」」

佐々木先生は、少し離れたところから腕を組み、にかっと笑った。

「雨宮、元気でな!」
「……はい」

胸が、じんと熱くなる。

(私、ちゃんと進もう)

そう思って、新幹線に乗り込んだ。




東京へ向かう新幹線の中。

窓の外を流れていく景色を眺めながら、美羽はスマホを握っていた。
椿からのメッセージ。

『今度の土曜、迎えに行く』

それだけの短い文なのに、
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

(……デート、だよね)

嬉しいはずなのに。
楽しみなはずなのに。
あの夜から、心のどこかで、

「現実」という言葉が重くのしかかっていた。

(なんで、こんなに苦しいんだろ)

答えは分かっているのに、考えないふりをしていた。




次の週の土曜日。


「——美羽」
低くて落ち着いた声。
振り返ると、そこにいたのは椿だった。
黒いハーレーの横で、ヘルメットを差し出している。

「久しぶり、だな」
「……うん」

ヘルメットをかぶり、後ろに乗る。
エンジン音が響き、
東京の街が、後ろへ流れていった。
しばらく走ったあと、視界が一気に開ける。

「……わあ!」

目の前に広がるのは、
一面のひまわり畑。
青空の下、太陽を仰ぐように並ぶ黄色。

「すごい……!」

美羽は、思わずヘルメットを外した。

「私、ひまわり畑って初めて!!」
「とーっても綺麗だね……!」
くるっと振り返って、笑顔で言う。

「ありがとう、椿くん!」

その笑顔を、椿は黙って見つめていた。
優しくて、少し切なそうな目で。

「……美羽」

呼ばれて振り返ると、
椿は、いつの間にか花で編んだリースを手にしていた。
そっと、美羽の頭に乗せる。

「え!?」
「なにこれ、可愛いっ!!」

思わずはしゃぐ美羽。
椿はクスッと笑う。

「お前、こういうの好きだろ?」

太陽の光が、椿の髪を照らす。
その横顔が、やけに眩しい。

「……う、うん」

美羽は、顔を赤くして頷いた。


そのあとは、
並んでアイスを食べて、
風に吹かれながら笑って。
ハーレーで走って、
今度は海へ向かった。


海は、きらきらと光っていた。
波の音。
潮の匂い。
沈んでいた心が、少しずつ溶けていく。

(このまま……)
(この時間が、ずっと続けばいいのに)

美羽がそう思った、そのとき。

「……美羽」

椿が、そっと手を取った。

「なに?椿くん」

視線が重なる。
椿は、先ほどの優しい様子とは違い、真剣な目をしていた。

「俺、卒業したら……留学することにした」

一瞬、世界が止まる。

「……うん」

美羽は、静かに目を伏せた。

「それで……」

椿は続ける。

「俺は、美羽に一緒に来てほしいと思ってる」

波の音が、遠くなる。

(……行きたい)

喉まで、言葉が込み上げる。

「椿くん……あのね!」

思わず声を上げた、その瞬間。

「——なんてな」

椿は、少し寂しそうに笑った。

「半分、冗談だ」

「……え?」

美羽は目を見開く。

「冗談って、なに……?」

椿は、海を見つめたまま言った。

「美羽、お前は日本に残れ。今日は、それを伝えにきた」

胸が、ぎゅっと潰れる。

「……やだ」

声が震える。

「行く!」
「私、椿くんと一緒に行く!!」

涙が、ぽろりと落ちる。

「……美羽」
「こんなに好きなのに!離れ離れになるんだよ?!椿くんは、それでもいいの?!」

必死に手を握る。
椿は、少しだけ困ったように笑った。

「美羽……お前はもう、わかってるんだろ?」
「何が?!意味わかんないよ!!」

椿は、ゆっくり言葉を選ぶ。

「俺は…そのままで、一生懸命な美羽が好きだ」
「それは、ずっと変わらない」
「でも俺にも、目指したい場所がある。最近、美羽も……やっと、やりたいこと見つけたんだろ?」

美羽の胸が、痛む。

「この先、どちらかだけを優先することはできないんだ」
「俺は、美羽が俺を支えてくれたみたいに」
「美羽の夢を、応援したいと思ってる」

「……っ」

言葉にならない。
椿は、思わず美羽を引き寄せ、抱き締めた。

強く。
離れないように。
夏の海風が、二人の間を吹き抜けていく。

ひまわりは、同じ方向を向いている。
けれど——
人の心は、いつも同じ方向を向けるとは限らなかった。