莉子が去っていった後も、
遼はしばらくその背中を見つめていた。
長い廊下に、夕方の光が斜めに差し込む。
磨かれた床に反射した光が、ゆっくりと揺れている。
「……ていうか」
遼は小さく息を吐き、口角を上げた。
「莉子ちゃんて、結構面白い子だなぁ……」
それはからかいでも、恋でもない。
ただ、少しだけ心に引っかかった感情。
遼はポケットに手を突っ込み、
何事もなかったように廊下を静かに歩いていった。
屋上では、風が穏やかに吹いていた。
フェンス越しに見える街並みは、
午後の光に包まれて、どこか柔らかい。
椿は手すりにもたれ、遠くを眺めながらぽつりと口を開いた。
「……美羽に全然言ってなかったけどさ」
美羽は、その声に背筋が伸びる。
「俺、将来は医者を目指そうと思ってる」
一瞬、世界が静止したみたいに感じた。
(そ、そうなんだ……)
胸の奥が、きゅっと鳴る。
(椿くんが……やっと、自分のこと話してくれた……)
美羽は、少し緊張しながらも笑顔を作った。
「そうなんだ!お兄さんもお医者さんだったもんね。凄いね!」
椿は小さく鼻で笑う。
「まぁな。でもさ……」
ふっと視線を落とし、眉を寄せる。
「父さんと話したら、急に家を継げとか、継がないなら留学だって話が飛んだんだよ」
思い出したのか、少し苛立ったように言葉を続ける。
「母さんなんか、仮手続きまでしやがって…たまんねぇよ…」
「ええ?!手続き?!」
美羽は思わず声を上げた。
「それって……大丈夫なの?」
内心では、別のことも考えていた。
(椿くん……ご両親と、あんまり仲良くないのかな……)
椿は肩をすくめる。
「あぁ、それは何とでもなる。ただ……」
一拍、間を置く。
「父さんが先を見据えて言ってたことも、一理あるからさ。正直、色々悩んでんだよ……」
その横顔は、いつもより少し大人びて見えた。
「椿くん……」
切なさが、自然と声に滲む。
美羽は一歩、椿に近づいた。
「でも、椿くんはお医者さんになりたいんでしょ?」
ぎゅっと拳を握る。
「だったら、私は何がなんでも応援するよ!!」
椿が、驚いたようにこちらを見る。
「留学ってなったら……」
美羽は少しだけ言葉を探し、
「……ちょっと、私、まだ心の準備できてないかもだけど……」
それでも、視線を逸らさずに言った。
「でも、私は椿くんに諦めてほしくないから!」
風が吹き、フェンスが小さく鳴る。
「……美羽」
椿は目を見開いたまま、しばらく黙っていた。
そして、何かを決意したように、ゆっくり口を開く。
「美羽」
呼び方が、いつもより低く、真剣だった。
「もし、俺が留学ってなったら……」
一歩、近づく。
「一緒にアメリカに来ないか?」
風が、強く吹いた。
美羽の髪がふわりとなびき、
言葉が一瞬、頭に入ってこない。
「……え」
固まる。
次の瞬間。
「えええええ?!!」
素っ頓狂な声が屋上に響く。
椿は少し眉をひそめた。
「なんだよ……嫌かよ」
「ち、違うよ!!」
美羽は慌てて手を振る。
「嫌じゃないよ?!え、でもいいの?!私も一緒に行っていいの?!」
顔がみるみる赤くなる。
(椿くんと……アメリカ……)
(なにそれ……なんか……大人っぽい…っていうか色っぽい…?)
思わず口元を手で隠す。
「びっくりして……全然そんなこと考えてなかったから」
少し照れたように微笑む。
「でも……嬉しい……」
心は温かいのに、不安も同時に浮かぶ。
(私……やっていけるのかな……)
(でも、椿くんがいたら安心だし……)
(パパとママ、反対するかな……)
考えが巡る。
椿はその様子を見て、クスッと笑った。
「悪ぃ。……また悩ませたか?」
「ううん!」
美羽は首を振る。
「ちょっと混乱してるだけ……」
そして、空を見上げて笑う。
「でもそっか。そういう選択肢もあるんだよね」
風に髪を揺らしながら。
「なんか……世界って、広いなぁ~って思っちゃった!」
椿は、その笑顔を見て、胸の奥がじんとしている。
「……美羽」
真剣な眼差しで、まっすぐに見つめ美羽の手を優しく握る。
「俺は、ずっと美羽が好きだ」
「これからも、ずっと一緒にいたいって思ってる」
少しだけ頬を赤くし、視線を逸らす。
「……まぁ、大人になったら、その時にまた……言いてぇ事もあるし……」
「え?!なにそれ!」
美羽は目を輝かせて詰め寄る。
「それ今聞いちゃだめなの?!」
椿は顔を背ける。
「……いや、言わねぇ」
(ここでプロポーズとか……さすがに、あれだろ……)
内心で焦る椿。
美羽はくすっと笑った。
「なんだぁ~。しょうがないなぁ」
そして、優しく言う。
「じゃぁ、待っててあげる!」
「椿くん。私もね、椿くんと一緒にいれる方法、考えてみるね!」
その笑顔に、椿は胸を掴まれたような気がした。
その時。
ピロン、とスマホが鳴る。
「……あ!」
美羽は画面を見て青ざめる。
「いけない!掃除当番、莉子に任せっきりだった!!」
「はは……」
椿は苦笑して、
「そうか。なら行ってこい。後で乗降口で待ち合わせな」
「うん!」
美羽は勢いよく頷く。
「ごめんね、椿くん!じゃ、また後で!」
そう言って、屋上を駆けていった。
椿は、その背中を見つめながら、ぽつりと呟く。
「……突拍子もないこと言っちまったけど……」
風が吹く。
「美羽……大丈夫か……?」
答えは、まだ風の向こうだった。
遼はしばらくその背中を見つめていた。
長い廊下に、夕方の光が斜めに差し込む。
磨かれた床に反射した光が、ゆっくりと揺れている。
「……ていうか」
遼は小さく息を吐き、口角を上げた。
「莉子ちゃんて、結構面白い子だなぁ……」
それはからかいでも、恋でもない。
ただ、少しだけ心に引っかかった感情。
遼はポケットに手を突っ込み、
何事もなかったように廊下を静かに歩いていった。
屋上では、風が穏やかに吹いていた。
フェンス越しに見える街並みは、
午後の光に包まれて、どこか柔らかい。
椿は手すりにもたれ、遠くを眺めながらぽつりと口を開いた。
「……美羽に全然言ってなかったけどさ」
美羽は、その声に背筋が伸びる。
「俺、将来は医者を目指そうと思ってる」
一瞬、世界が静止したみたいに感じた。
(そ、そうなんだ……)
胸の奥が、きゅっと鳴る。
(椿くんが……やっと、自分のこと話してくれた……)
美羽は、少し緊張しながらも笑顔を作った。
「そうなんだ!お兄さんもお医者さんだったもんね。凄いね!」
椿は小さく鼻で笑う。
「まぁな。でもさ……」
ふっと視線を落とし、眉を寄せる。
「父さんと話したら、急に家を継げとか、継がないなら留学だって話が飛んだんだよ」
思い出したのか、少し苛立ったように言葉を続ける。
「母さんなんか、仮手続きまでしやがって…たまんねぇよ…」
「ええ?!手続き?!」
美羽は思わず声を上げた。
「それって……大丈夫なの?」
内心では、別のことも考えていた。
(椿くん……ご両親と、あんまり仲良くないのかな……)
椿は肩をすくめる。
「あぁ、それは何とでもなる。ただ……」
一拍、間を置く。
「父さんが先を見据えて言ってたことも、一理あるからさ。正直、色々悩んでんだよ……」
その横顔は、いつもより少し大人びて見えた。
「椿くん……」
切なさが、自然と声に滲む。
美羽は一歩、椿に近づいた。
「でも、椿くんはお医者さんになりたいんでしょ?」
ぎゅっと拳を握る。
「だったら、私は何がなんでも応援するよ!!」
椿が、驚いたようにこちらを見る。
「留学ってなったら……」
美羽は少しだけ言葉を探し、
「……ちょっと、私、まだ心の準備できてないかもだけど……」
それでも、視線を逸らさずに言った。
「でも、私は椿くんに諦めてほしくないから!」
風が吹き、フェンスが小さく鳴る。
「……美羽」
椿は目を見開いたまま、しばらく黙っていた。
そして、何かを決意したように、ゆっくり口を開く。
「美羽」
呼び方が、いつもより低く、真剣だった。
「もし、俺が留学ってなったら……」
一歩、近づく。
「一緒にアメリカに来ないか?」
風が、強く吹いた。
美羽の髪がふわりとなびき、
言葉が一瞬、頭に入ってこない。
「……え」
固まる。
次の瞬間。
「えええええ?!!」
素っ頓狂な声が屋上に響く。
椿は少し眉をひそめた。
「なんだよ……嫌かよ」
「ち、違うよ!!」
美羽は慌てて手を振る。
「嫌じゃないよ?!え、でもいいの?!私も一緒に行っていいの?!」
顔がみるみる赤くなる。
(椿くんと……アメリカ……)
(なにそれ……なんか……大人っぽい…っていうか色っぽい…?)
思わず口元を手で隠す。
「びっくりして……全然そんなこと考えてなかったから」
少し照れたように微笑む。
「でも……嬉しい……」
心は温かいのに、不安も同時に浮かぶ。
(私……やっていけるのかな……)
(でも、椿くんがいたら安心だし……)
(パパとママ、反対するかな……)
考えが巡る。
椿はその様子を見て、クスッと笑った。
「悪ぃ。……また悩ませたか?」
「ううん!」
美羽は首を振る。
「ちょっと混乱してるだけ……」
そして、空を見上げて笑う。
「でもそっか。そういう選択肢もあるんだよね」
風に髪を揺らしながら。
「なんか……世界って、広いなぁ~って思っちゃった!」
椿は、その笑顔を見て、胸の奥がじんとしている。
「……美羽」
真剣な眼差しで、まっすぐに見つめ美羽の手を優しく握る。
「俺は、ずっと美羽が好きだ」
「これからも、ずっと一緒にいたいって思ってる」
少しだけ頬を赤くし、視線を逸らす。
「……まぁ、大人になったら、その時にまた……言いてぇ事もあるし……」
「え?!なにそれ!」
美羽は目を輝かせて詰め寄る。
「それ今聞いちゃだめなの?!」
椿は顔を背ける。
「……いや、言わねぇ」
(ここでプロポーズとか……さすがに、あれだろ……)
内心で焦る椿。
美羽はくすっと笑った。
「なんだぁ~。しょうがないなぁ」
そして、優しく言う。
「じゃぁ、待っててあげる!」
「椿くん。私もね、椿くんと一緒にいれる方法、考えてみるね!」
その笑顔に、椿は胸を掴まれたような気がした。
その時。
ピロン、とスマホが鳴る。
「……あ!」
美羽は画面を見て青ざめる。
「いけない!掃除当番、莉子に任せっきりだった!!」
「はは……」
椿は苦笑して、
「そうか。なら行ってこい。後で乗降口で待ち合わせな」
「うん!」
美羽は勢いよく頷く。
「ごめんね、椿くん!じゃ、また後で!」
そう言って、屋上を駆けていった。
椿は、その背中を見つめながら、ぽつりと呟く。
「……突拍子もないこと言っちまったけど……」
風が吹く。
「美羽……大丈夫か……?」
答えは、まだ風の向こうだった。



