危険すぎる恋に、落ちてしまいました。3

莉子が去っていった後も、
遼はしばらくその背中を見つめていた。
長い廊下に、夕方の光が斜めに差し込む。
磨かれた床に反射した光が、ゆっくりと揺れている。

「……ていうか」

遼は小さく息を吐き、口角を上げた。

「莉子ちゃんて、結構面白い子だなぁ……」

それはからかいでも、恋でもない。

ただ、少しだけ心に引っかかった感情。

遼はポケットに手を突っ込み、
何事もなかったように廊下を静かに歩いていった。

屋上では、風が穏やかに吹いていた。
フェンス越しに見える街並みは、
午後の光に包まれて、どこか柔らかい。
椿は手すりにもたれ、遠くを眺めながらぽつりと口を開いた。

「……美羽に全然言ってなかったけどさ」

美羽は、その声に背筋が伸びる。

「俺、将来は医者を目指そうと思ってる」

一瞬、世界が静止したみたいに感じた。

(そ、そうなんだ……)

胸の奥が、きゅっと鳴る。

(椿くんが……やっと、自分のこと話してくれた……)

美羽は、少し緊張しながらも笑顔を作った。

「そうなんだ!お兄さんもお医者さんだったもんね。凄いね!」

椿は小さく鼻で笑う。

「まぁな。でもさ……」

ふっと視線を落とし、眉を寄せる。

「父さんと話したら、急に家を継げとか、継がないなら留学だって話が飛んだんだよ」

思い出したのか、少し苛立ったように言葉を続ける。

「母さんなんか、仮手続きまでしやがって…たまんねぇよ…」

「ええ?!手続き?!」

美羽は思わず声を上げた。

「それって……大丈夫なの?」

内心では、別のことも考えていた。

(椿くん……ご両親と、あんまり仲良くないのかな……)

椿は肩をすくめる。

「あぁ、それは何とでもなる。ただ……」

一拍、間を置く。

「父さんが先を見据えて言ってたことも、一理あるからさ。正直、色々悩んでんだよ……」

その横顔は、いつもより少し大人びて見えた。

「椿くん……」

切なさが、自然と声に滲む。
美羽は一歩、椿に近づいた。

「でも、椿くんはお医者さんになりたいんでしょ?」

ぎゅっと拳を握る。

「だったら、私は何がなんでも応援するよ!!」

椿が、驚いたようにこちらを見る。

「留学ってなったら……」

美羽は少しだけ言葉を探し、

「……ちょっと、私、まだ心の準備できてないかもだけど……」

それでも、視線を逸らさずに言った。

「でも、私は椿くんに諦めてほしくないから!」

風が吹き、フェンスが小さく鳴る。

「……美羽」

椿は目を見開いたまま、しばらく黙っていた。
そして、何かを決意したように、ゆっくり口を開く。

「美羽」

呼び方が、いつもより低く、真剣だった。

「もし、俺が留学ってなったら……」

一歩、近づく。

「一緒にアメリカに来ないか?」

風が、強く吹いた。
美羽の髪がふわりとなびき、
言葉が一瞬、頭に入ってこない。

「……え」

固まる。
次の瞬間。

「えええええ?!!」

素っ頓狂な声が屋上に響く。
椿は少し眉をひそめた。

「なんだよ……嫌かよ」

「ち、違うよ!!」

美羽は慌てて手を振る。

「嫌じゃないよ?!え、でもいいの?!私も一緒に行っていいの?!」

顔がみるみる赤くなる。

(椿くんと……アメリカ……)

(なにそれ……なんか……大人っぽい…っていうか色っぽい…?)

思わず口元を手で隠す。

「びっくりして……全然そんなこと考えてなかったから」

少し照れたように微笑む。

「でも……嬉しい……」

心は温かいのに、不安も同時に浮かぶ。

(私……やっていけるのかな……)

(でも、椿くんがいたら安心だし……)

(パパとママ、反対するかな……)

考えが巡る。
椿はその様子を見て、クスッと笑った。

「悪ぃ。……また悩ませたか?」

「ううん!」

美羽は首を振る。

「ちょっと混乱してるだけ……」

そして、空を見上げて笑う。

「でもそっか。そういう選択肢もあるんだよね」

風に髪を揺らしながら。

「なんか……世界って、広いなぁ~って思っちゃった!」

椿は、その笑顔を見て、胸の奥がじんとしている。

「……美羽」

真剣な眼差しで、まっすぐに見つめ美羽の手を優しく握る。

「俺は、ずっと美羽が好きだ」

「これからも、ずっと一緒にいたいって思ってる」

少しだけ頬を赤くし、視線を逸らす。

「……まぁ、大人になったら、その時にまた……言いてぇ事もあるし……」

「え?!なにそれ!」

美羽は目を輝かせて詰め寄る。

「それ今聞いちゃだめなの?!」

椿は顔を背ける。

「……いや、言わねぇ」

(ここでプロポーズとか……さすがに、あれだろ……)

内心で焦る椿。
美羽はくすっと笑った。

「なんだぁ~。しょうがないなぁ」

そして、優しく言う。

「じゃぁ、待っててあげる!」

「椿くん。私もね、椿くんと一緒にいれる方法、考えてみるね!」

その笑顔に、椿は胸を掴まれたような気がした。
その時。
ピロン、とスマホが鳴る。

「……あ!」

美羽は画面を見て青ざめる。

「いけない!掃除当番、莉子に任せっきりだった!!」

「はは……」

椿は苦笑して、
「そうか。なら行ってこい。後で乗降口で待ち合わせな」

「うん!」

美羽は勢いよく頷く。

「ごめんね、椿くん!じゃ、また後で!」

そう言って、屋上を駆けていった。

椿は、その背中を見つめながら、ぽつりと呟く。

「……突拍子もないこと言っちまったけど……」
風が吹く。

「美羽……大丈夫か……?」

答えは、まだ風の向こうだった。