危険すぎる恋に、落ちてしまいました。3

とにかく、美羽は走った。
息が切れて、肺が痛くなって、
それでも足を止める理由が見つからなかった。


「……はぁ……っ」

廊下の壁に手をつき、肩で呼吸をする。
胸の奥が、ずっとぎゅうっと締めつけられている。
もうすぐ、屋上だ。

階段を一段一段、ゆっくり上る。
足が重いのは、疲れのせいだけじゃない。
屋上のドアに手をかけ、押し開けた。

――きい、と乾いた音。
目に飛び込んできたのは、
憎たらしいくらいの快晴だった。

青すぎる空。
雲ひとつない、春の光。

「……何してるんだろ、私……」

独り言は、風に溶けて消える。
さっきまで泣いていたはずなのに、
涙は出ない。
ただ、胸が空っぽで、重い。

(……秋人くんと、椿くん……喧嘩してないかな)

そんなことを考えてしまう自分が、嫌だった。
――ガシャン。
突然、屋上のドアが勢いよく開いた。
美羽は、びくりと肩を震わせる。
振り返ると、そこにいたのは——
息を切らした、椿だった。

「……っ椿くん」

胸が、大きく跳ねる。
反射的に、一歩、距離を取ってしまう美羽。
椿は、その距離を一瞬で詰めた。

「美羽」

名前を呼ばれた、その直後。
ぎゅっと、力強く抱き締められる。

「……っ!」

腕の中に閉じ込められて、
逃げ場がない。
椿の胸の鼓動が、直接伝わってくる。
速くて、必死で。
止まっていたはずの涙腺が、また緩む。

「……ごめん」

低く、震えた声。
美羽の肩に、椿の顎が触れる。

「……」

美羽は、ぐっと唇を噛みしめてから、顔を上げた。

「何よ……何の、ごめん、なの?」

目は潤んでいるのに、声は怒っていた。
椿の胸板を、ぽこぽこと叩く。

「もう!!椿くんって、肝心なこといつも教えてくれないじゃないっ!」
ぽこ。
「あぁ」

「秋人くんとのことも、そうだけどさ!!」
ぽこ、ぽこ。
「それは、ごめん」

「私、最近すっごく悩んでたのに!!」

声が、少しずつ震える。

「そもそも、留学って何?」

「それはっ」

椿の服を、ぎゅっと掴む。

「椿くんは、これからもずっと!私と一緒にいるもんだと思ってたのに……!!」

涙が、溢れた。

「留学しちゃったら…私たち、離れ離れになっちゃうかもしれないんだよ?!」

「なんで?!なんでそんな大事な事、もっと早く言ってくれないのよ!バカ!!」

感情のまま、椿の胸を叩く。
椿は、その手を止めなかった。
ただ、抱き締めたまま、静かに言った。

「……美羽、ごめん」

美羽の動きが、止まる。

「秋人のことも……俺のつまらないただの嫉妬だ」

苦笑まじりの声。

「格好悪ぃけどな」

椿は、ゆっくりと続けた。

「留学の話も……ちゃんと伝えるつもりだった。昨日、進路の事で話しになって、親が言い出して来たんだ。」

美羽の肩に、力が入る。

「留学自体は、親が勝手に言ってきただけだ。
まだ、決まったわけじゃねぇよ」

その言葉を聞いた瞬間。

「……なに、それぇ……」

美羽の声は、情けないほど震えていた。

「そんなの……ちゃんと言ってくれなきゃ、わかんないでしょぉ…」

涙が、ぼろぼろと落ちる。
椿は、美羽の頬に手を伸ばし、
溢れる涙を、指ですくった。

「……ごめん、美羽」

美羽は、鼻をすする。

「……椿くん、何か……思ってること、ないの?」

そう聞くと、椿は一瞬、目を伏せた。

「……情けねぇけど」

ゆっくり、言葉を選ぶ。

「ずっと、美羽に謝りたかった」

顔を上げ、真っ直ぐ見る。

「ちゃんと話すべきだった。ずっと不安にさせて……ごめん」

その真剣さに、美羽の胸がきゅっと鳴る。

「ええ、それだけぇ…?」

「え?他になんかあんのかよ…?」

涙を拭いながら、必死に伝える。

「いや、もういいよ…(なんかすっきりしたし。)」

「私は、何があっても……椿くんが好きだよ」

「美羽…?」

小さく、でもはっきり。

「それだけは、変わらないから」

椿の胸が、苦しくなる。

言葉より先に、身体が動いていた。
美羽の顎にそっと手を添え、唇を重ねる。
一瞬では終わらない、いつもより深いキスだった。

逃げ場のない距離。
美羽の心が、ゆっくり溶けていく。
やがて、唇が離れた。



二人は、屋上の手すりに身体を預けた。
遠くに広がる、街並み。


青い空の下、風が髪を揺らす。
しばらく、言葉はいらなかった。
ただ、隣にいることが、答えだった。