社会科準備室の窓から、午後の光が斜めに差し込んでいた。
埃がきらきらと舞い、時間だけがゆっくり流れているように感じられる。
窓ガラスに反射する光の粒が、まるで夢の中みたいで。
美羽は、現実感のないその光景をぼんやりと眺めていた。
"あんなにわかりやすい人、椿くらいしかいないよ。"
秋人のその言葉が、まだ美羽の胸の奥で反響していた。
(わかりやすい……?)
美羽は小さく息を吸い、棚の奥に資料を押し込む。
紙と紙が擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
自分では、椿のことを分かっているつもりでいた。
強くて、ぶっきらぼうで、でも優しくて。
守るみたいに隣に立ってくれる人。
でも本当にそうなのか、最近は分からなくなっていた。
――椿は、何を考えているんだろう。
そのときだった。
準備室の扉の向こう、廊下を歩く声が近づいてくる。
「——校長先生、北条くんの件ですが……」
聞き覚えのある声。
椿の担任の先生だった。
美羽の手が、ぴたりと止まる。
「ええ、留学の話ですよね。ご家庭の方針だと伺っています」
校長先生の落ち着いた声。
(……留学?)
胸の奥が、ひくりと跳ねた。
「本人も優秀ですし、海外の医療系プログラムは良い経験になるでしょう」
「時期は、卒業後すぐになる可能性が高いそうで——」
それ以上、耳が言葉を受け取ることを拒否した。
音が、遠ざかる。
視界が、狭くなる。
頭の中で、何かが音を立てて崩れる。
(……留学……?)
知らなかった。
聞いていない。
教えてもらっていない。
胸の奥が、ぎゅっと潰れる。
息が、うまく吸えない。
「……っ」
美羽は何も言わず、資料を置いたまま準備室を飛び出した。
「美羽ちゃん?!」
後ろで秋人の声がする。
走る。
とにかく、走る。
廊下の景色が流れていく。
すれ違う人の顔も、音も、全部ぼやける。
視界が滲んで、足元がふらつく。
どこに向かえばいいのか分からなくて、
でも立ち止まったら壊れてしまいそうで——
気づいたら、美羽は保健室の扉を開けていた。
幸い、中に誰もいない。
扉を閉めた瞬間、足の力が抜けそうになった。
「……っ、う……」
ベッドの近くまでいくと、そのまま佇み肩が震える。
堪えていたものが、一気に溢れ出した。
遅れて、扉が開いた。
「美羽ちゃん……!」
秋人だった。
「……来ないでっ」
かすれた声で、必死に言う。
「今は……一人にして……」
秋人は一瞬だけ迷うように立ち止まった。
それでも、そっと近づいてくる。
ゆっくりと近づき、美羽の顔を覗き込む。
「……美羽ちゃん」
その瞬間、美羽の瞳から堰を切ったように涙が溢れた。
ぽろぽろと、止めどなく。
音もなく、ただ落ちていく。
唇を噛みしめても、肩をすくめても、止まらない。
秋人は、思わず腕を伸ばしていた。
ぎゅっと、強くはないけれど、逃がさない力で抱き締める。
「……っ」
「や、秋人くんっ…」
美羽は軽く抵抗するが、力が入らない。
温かい腕。
優しい匂い。
安心させる心音。
(……だめ……)
そう思うのに、身体は秋人に寄りかかってしまう。
――このまま、甘えてしまえたら。
しばらくして、嗚咽が落ち着いた頃。
秋人はそっと身体を離し、美羽の頬に残る涙を親指で拭った。
「……大丈夫?」
美羽は小さく頷く。
秋人は、ゆっくりと美羽の頬に触れた。
「……ねぇ、美羽ちゃん」
声が、少し低くなる。
「俺にしなよ」
美羽の心臓がドキリと跳ねる。
「俺なら、美羽ちゃんをこんな風に泣かせたりしない。ひとりで苦しませたりなんかしないよ」
「秋人、くん…」
綺麗なオッドアイの瞳が細められ、顔がゆっくりとスローモーションのように近づく。
唇が、あと数センチで触れそうになる。
(……このまま、秋人くんを好きになれたら)
きっと、楽だ。
全部、何もかも考えなくてよくなる。
でも——
美羽は、震える手で秋人の唇にそっと触れた。
「……ごめん、秋人くん」
静かな拒絶。
秋人は、動きを止めた。
そして、少しだけ寂しそうに笑う。
「……なんだ」
小さく息を吐く。
「答え、出てるじゃない」
美羽の目から、また涙が溢れる。
「……私、椿くんが好き」
声が震える。
「どんなに不安でも……すれ違っても……やっぱり、好きなの」
秋人は目を伏せ、少し間を置いてから言った。
「……ならさ」
顔を上げ、優しく微笑む。
「ちゃんと、椿と向き合ってみたら?」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
美羽は、ゆっくりと頷いた。
しばらくして、美羽は保健室を出た。
廊下に出ると、秋人も後ろから続く。
その瞬間。
「……美羽?」
低い声。
顔を上げると、そこにいたのは——椿だった。
目を見開き、立ち尽くしている。
まるで、時間が止まったみたいに。
三人の間を、静かな空気が流れる。
(……見られた)
美羽の心臓が、大きく鳴った。
埃がきらきらと舞い、時間だけがゆっくり流れているように感じられる。
窓ガラスに反射する光の粒が、まるで夢の中みたいで。
美羽は、現実感のないその光景をぼんやりと眺めていた。
"あんなにわかりやすい人、椿くらいしかいないよ。"
秋人のその言葉が、まだ美羽の胸の奥で反響していた。
(わかりやすい……?)
美羽は小さく息を吸い、棚の奥に資料を押し込む。
紙と紙が擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
自分では、椿のことを分かっているつもりでいた。
強くて、ぶっきらぼうで、でも優しくて。
守るみたいに隣に立ってくれる人。
でも本当にそうなのか、最近は分からなくなっていた。
――椿は、何を考えているんだろう。
そのときだった。
準備室の扉の向こう、廊下を歩く声が近づいてくる。
「——校長先生、北条くんの件ですが……」
聞き覚えのある声。
椿の担任の先生だった。
美羽の手が、ぴたりと止まる。
「ええ、留学の話ですよね。ご家庭の方針だと伺っています」
校長先生の落ち着いた声。
(……留学?)
胸の奥が、ひくりと跳ねた。
「本人も優秀ですし、海外の医療系プログラムは良い経験になるでしょう」
「時期は、卒業後すぐになる可能性が高いそうで——」
それ以上、耳が言葉を受け取ることを拒否した。
音が、遠ざかる。
視界が、狭くなる。
頭の中で、何かが音を立てて崩れる。
(……留学……?)
知らなかった。
聞いていない。
教えてもらっていない。
胸の奥が、ぎゅっと潰れる。
息が、うまく吸えない。
「……っ」
美羽は何も言わず、資料を置いたまま準備室を飛び出した。
「美羽ちゃん?!」
後ろで秋人の声がする。
走る。
とにかく、走る。
廊下の景色が流れていく。
すれ違う人の顔も、音も、全部ぼやける。
視界が滲んで、足元がふらつく。
どこに向かえばいいのか分からなくて、
でも立ち止まったら壊れてしまいそうで——
気づいたら、美羽は保健室の扉を開けていた。
幸い、中に誰もいない。
扉を閉めた瞬間、足の力が抜けそうになった。
「……っ、う……」
ベッドの近くまでいくと、そのまま佇み肩が震える。
堪えていたものが、一気に溢れ出した。
遅れて、扉が開いた。
「美羽ちゃん……!」
秋人だった。
「……来ないでっ」
かすれた声で、必死に言う。
「今は……一人にして……」
秋人は一瞬だけ迷うように立ち止まった。
それでも、そっと近づいてくる。
ゆっくりと近づき、美羽の顔を覗き込む。
「……美羽ちゃん」
その瞬間、美羽の瞳から堰を切ったように涙が溢れた。
ぽろぽろと、止めどなく。
音もなく、ただ落ちていく。
唇を噛みしめても、肩をすくめても、止まらない。
秋人は、思わず腕を伸ばしていた。
ぎゅっと、強くはないけれど、逃がさない力で抱き締める。
「……っ」
「や、秋人くんっ…」
美羽は軽く抵抗するが、力が入らない。
温かい腕。
優しい匂い。
安心させる心音。
(……だめ……)
そう思うのに、身体は秋人に寄りかかってしまう。
――このまま、甘えてしまえたら。
しばらくして、嗚咽が落ち着いた頃。
秋人はそっと身体を離し、美羽の頬に残る涙を親指で拭った。
「……大丈夫?」
美羽は小さく頷く。
秋人は、ゆっくりと美羽の頬に触れた。
「……ねぇ、美羽ちゃん」
声が、少し低くなる。
「俺にしなよ」
美羽の心臓がドキリと跳ねる。
「俺なら、美羽ちゃんをこんな風に泣かせたりしない。ひとりで苦しませたりなんかしないよ」
「秋人、くん…」
綺麗なオッドアイの瞳が細められ、顔がゆっくりとスローモーションのように近づく。
唇が、あと数センチで触れそうになる。
(……このまま、秋人くんを好きになれたら)
きっと、楽だ。
全部、何もかも考えなくてよくなる。
でも——
美羽は、震える手で秋人の唇にそっと触れた。
「……ごめん、秋人くん」
静かな拒絶。
秋人は、動きを止めた。
そして、少しだけ寂しそうに笑う。
「……なんだ」
小さく息を吐く。
「答え、出てるじゃない」
美羽の目から、また涙が溢れる。
「……私、椿くんが好き」
声が震える。
「どんなに不安でも……すれ違っても……やっぱり、好きなの」
秋人は目を伏せ、少し間を置いてから言った。
「……ならさ」
顔を上げ、優しく微笑む。
「ちゃんと、椿と向き合ってみたら?」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
美羽は、ゆっくりと頷いた。
しばらくして、美羽は保健室を出た。
廊下に出ると、秋人も後ろから続く。
その瞬間。
「……美羽?」
低い声。
顔を上げると、そこにいたのは——椿だった。
目を見開き、立ち尽くしている。
まるで、時間が止まったみたいに。
三人の間を、静かな空気が流れる。
(……見られた)
美羽の心臓が、大きく鳴った。



