危険すぎる恋に、落ちてしまいました。3

放課後の下駄箱は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。
部活へ向かう生徒の足音と、遠くで鳴るチャイムの余韻だけが、ゆっくりと空間を満たしている。

美羽は、椿の下駄箱の前で立ち止まり、鞄につけたチャームをくるくると指先で回していた。

待つ、という時間はいつも少しだけ長く感じる。
心臓の鼓動が、余計なことを考えさせるから。



(椿くん…もう終わったかなー…)

ぼんやりしていると、通りがかった影に気づいた。

「あれ、美羽ちゃん?椿待ってるの?」

振り返ると、そこにいたのは秋人だった。
相変わらず爽やかな笑顔。
けれど、額には大きな絆創膏が貼られている。

「え、秋人くん?ってかどうしたの?!そのおでこ、怪我したの?!」

美羽は思わず駆け寄った。
距離が縮まると、絆創膏の存在がさらに目立つ。

「あはは、ちょっとね。椿とやりあっちゃって。大丈夫だよ、授業でだから。」

軽く言う秋人に対して、美羽の表情はどんどん曇っていく。

「ええ!?授業で喧嘩したの?!椿くんもしかして殴ったの?!」

「ははっ、喧嘩じゃないよ。」

そう言われても、目の前の怪我が現実だった。

「でも、怪我してるじゃない!大丈夫?」
「きっと私が椿くんを怒らせてたからかも…ごめんね。」

肩を落とす美羽の姿に、秋人の胸がきゅっと締めつけられた。
思わず、手が伸びる。
ぽん、と。
やさしく、美羽の頭に触れる。
美羽は一瞬、身体を強張らせた。

(……びっくりした)

「ありがとう、心配してくれて。椿のせいじゃないよ。俺がいけないんだ。だから椿を怒らないであげて?」

オッドアイが、やわらかく光る。
真っ直ぐで、逃げ場のない視線。

「う、うん…」

美羽は思わず視線をそらした。

(だめだ!…秋人くんに見つめられると私、弱いなぁ)
その心の揺れを見透かすように、秋人はふっと笑う。

「まぁ、でも俺、美羽ちゃんのこと諦めないから。」

「え?」

驚きで、言葉が追いつかない。

「じゃぁね。」

それだけ言って、秋人は踵を返した。
振り返らない背中が、やけに大きく見える。

「秋人くん…?!」

美羽はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
――そのとき。

「美羽」

聞き慣れた声。
胸が、どくんと鳴る。
顔を上げると、そこには椿がいた。
口の端にも、絆創膏。
うっすらと青くなった頬。

「椿くん!?椿くんも怪我したの?!秋人くんと喧嘩したの?!」

一気に距離を詰める美羽に、椿は視線を逸らす。

「喧嘩じゃねぇよ。ってかなんで秋人って知ってんだよ。」

「さっき、秋人くんに会ったから…ごめん、嫌だったよね?」

美羽の目は、不安で揺れていた。

「いや、別に怒ってねぇよ。」

短く、ぶっきらぼうに。
帰り道。
並んで歩く二人の間には、微妙な沈黙が流れていた。

「でも、椿くん。怪我までするなんて何があったの…?」

椿は答えない。
靴音だけが、アスファルトに響く。

(やっぱり…図書室でのこと、引きずってるのかなぁ…)

風が吹き、椿はふと立ち止まり、空を見上げた。
夕焼けに染まる雲が、ゆっくりと流れていく。

「あいつはさ、少しずるくて…優しいやつなんだよ。」

突然の言葉に、美羽は息を呑む。

「…え?」

椿は美羽を見つめ、続ける。

「秋人は…昔、あんな見た目だから喧嘩売られることもあってさ。
たまたま俺もむしゃくしゃしてて、初対面で二人で不良達を片付けたんだ。
そしたらあいつ、すげーこの世の終わり背負った見たいな目してたから、綺麗なのに勿体ねぇって言ったんだよ。
それから一緒にいることが当たり前になった…」

美羽は、思わず笑った。

「そうなんだ…椿くんと秋人くんの運命の出会いだね!」

「そんなんじゃ、ねぇよ。」

椿は照れたように耳を赤くする。
美羽は、その様子が愛しくて、ふふっと笑った。
その瞬間。

緑色の小さな葉っぱが、ふわりと舞い、美羽の髪に落ちた。

椿は、そっと手を伸ばす。
指先が、ゆっくりと美羽の髪に触れる。
美羽は、自然と目を伏せた。

「美羽…」

「ん?」

優しい声。
葉っぱを取り除きながら、椿は少しだけ悲しそうな表情をした。

「秋人の事…どう思ってる?」

「え…」

真剣な眼差し。
逃げ場はなかった。

「椿くん…?」
(どうして、そんな事いうの…?)

「…悪ぃ、忘れてくれ。」

そう言って、椿は前を向き、歩き出した。

取り残された美羽は、胸がぎゅっと締めつけられるのを感じながら、その背中を見つめていた。

言えなかった言葉。
追いつけなかった想い。

夕暮れの風だけが、二人の間を静かに通り抜けていった。