危険すぎる恋に、落ちてしまいました。3

図書室を出てから、椿は一言も喋らなかった。
美羽の手を掴んだまま、少し早足で廊下を進む。
床に落ちる日差しの光が、長い影をつくりながら二人を包み込む。

春の午後特有の、やわらかくて少し気怠い空気とは裏腹に――沈黙は、重かった。

(怒ってる……よね、これは……)

美羽は内心でそう呟きながら、椿の横顔をちらりと盗み見る。
表情はいつも通り無愛想で、感情を表に出さない顔。
けれど、口元はきゅっと固く結ばれていて、わずかに眉が寄っていた。


(やっぱり……完全に怒ってる)


胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

「……椿くん」

勇気を出して、そっと名前を呼ぶ。
椿は足を止めない。

「……」

返事はない。

(え、無視……?)

心臓が、どくんと強く鳴った。
胸がきゅっと縮む。
さっきまで秋人と話していたこと、その全部が頭の中でぐるぐる回る。
どんな表情をしていたか、どんな距離だったか――
後悔ばかりが浮かんでくる。

「ねぇ……椿くん」

今度は、ほんの少しだけ強く。
すると、椿はようやく立ち止まった。
ゆっくり振り返ったその目は、怒りというより――
必死に感情を抑え込んでいる色をしていた。

「……何だよ」

低く、少しかすれた声。
美羽は一瞬ひるむが、逃げなかった。

「怒ってる……よね?」

「……」

椿は答えない。
その沈黙が、逆に美羽の胸を締めつけた。

「さっきのことなら……ほんとに、偶然だったの。秋人くんが来て、少し話してただけで……」

言い訳みたいになっているのが、自分でも分かる。
それでも、言わずにはいられなかった。

「……」

椿は視線を逸らし、廊下の窓の外を見た。
窓の向こうでは、桜の花びらがまだ少しだけ残っていて、
風に舞いながら、ゆっくりと地面へ落ちていく。

「……分かってる」

ぽつり、と。

「分かってるけどよ……」

椿の拳が、ぎゅっと握られる。

「……見せつけられると、ムカつく」

美羽の心臓が跳ねた。

「み、見せつけるって……」

「俺の前で、あんな距離で話すな」

視線が戻る。

じっと、美羽だけを見る目。
次の瞬間――

椿は美羽をそっと、けれど強く抱き締めた。

「……っ!」

美羽は驚いて息を呑む。

「椿くん?!ここ、廊下だよ?」

顔が一気に熱くなる。

「うるせぇ。美羽は俺のだ。」

そう言って、ぎゅっと抱き締める腕に力がこもった。
廊下を歩いている生徒がちらほらいて、
こちらをちらりと見たり、顔を赤くして視線を逸らしたりしている。

「わ、わかったってば!気をつけるから!」

美羽は慌てて椿の胸に手を当てる。

「椿くん、恥ずかしいから…ちょっと離れて…?」

少し距離を取ると、美羽の顔は真っ赤だった。
それを見た椿は、少しだけ満足したように息を吐き、

「あぁ、悪ぃ。」

そう言って、頭をくしゃっと掻いた。
美羽は胸をなで下ろしながら、静かに言う。

「私の方こそごめん。不安にさせたよね?」

そう言って顔を上げると、椿は明らかに動揺していた。

「……違ぇよ」

椿は近づく。
一歩、また一歩。
美羽は後ずさる間もなく、背中が壁に当たった。

「そんなのじゃねぇ」

椿は片手を壁につき、美羽を囲う。

「……取られそうで、ムカついてるだけだ」

距離が、近い。
息がかかるほど。

「秋人が、美羽を見る目」

ぐっと、歯を噛みしめる。

「……気に入らねぇ」

美羽の頬が、じわじわと熱を帯びる。

「椿くん……」

「分かってる」

自嘲気味に笑う。

「でも……美羽だけは、誰にも渡す気ねぇから」

その言葉に、胸がいっぱいになった。

(もう……なんでそんな顔で言うの……)

美羽は、震える指で椿の制服の裾を掴む。

「……椿くん」

呼ぶと、椿の視線が落ちてくる。

「私は、椿くんが大好きだよ。」

真っ直ぐ、素直に。

「今は、それだけじゃ…だめ…かなぁ…」

困ったように、少し不安そうに。
椿は目を見開いて固まった。
そして、深く息を吐く。

「……いや……」

ため息混じりに言う。

「ちょっと頭冷やしてくる」

そう言い残し、椿はさっと背を向けて歩き出した。

「くそ……美羽を困らせてどーすんだよ……」

小さく呟くその背中は、少しだけ大きく見えた。
美羽は、去っていく椿の背中を見つめながら、

「椿くん……」

切なそうに、そう呟いた。
廊下に残ったのは、
春の光と、かすかなすれ違いの余韻だけだった。