図書室を出てから、椿は一言も喋らなかった。
美羽の手を掴んだまま、少し早足で廊下を進む。
床に落ちる日差しの光が、長い影をつくりながら二人を包み込む。
春の午後特有の、やわらかくて少し気怠い空気とは裏腹に――沈黙は、重かった。
(怒ってる……よね、これは……)
美羽は内心でそう呟きながら、椿の横顔をちらりと盗み見る。
表情はいつも通り無愛想で、感情を表に出さない顔。
けれど、口元はきゅっと固く結ばれていて、わずかに眉が寄っていた。
(やっぱり……完全に怒ってる)
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「……椿くん」
勇気を出して、そっと名前を呼ぶ。
椿は足を止めない。
「……」
返事はない。
(え、無視……?)
心臓が、どくんと強く鳴った。
胸がきゅっと縮む。
さっきまで秋人と話していたこと、その全部が頭の中でぐるぐる回る。
どんな表情をしていたか、どんな距離だったか――
後悔ばかりが浮かんでくる。
「ねぇ……椿くん」
今度は、ほんの少しだけ強く。
すると、椿はようやく立ち止まった。
ゆっくり振り返ったその目は、怒りというより――
必死に感情を抑え込んでいる色をしていた。
「……何だよ」
低く、少しかすれた声。
美羽は一瞬ひるむが、逃げなかった。
「怒ってる……よね?」
「……」
椿は答えない。
その沈黙が、逆に美羽の胸を締めつけた。
「さっきのことなら……ほんとに、偶然だったの。秋人くんが来て、少し話してただけで……」
言い訳みたいになっているのが、自分でも分かる。
それでも、言わずにはいられなかった。
「……」
椿は視線を逸らし、廊下の窓の外を見た。
窓の向こうでは、桜の花びらがまだ少しだけ残っていて、
風に舞いながら、ゆっくりと地面へ落ちていく。
「……分かってる」
ぽつり、と。
「分かってるけどよ……」
椿の拳が、ぎゅっと握られる。
「……見せつけられると、ムカつく」
美羽の心臓が跳ねた。
「み、見せつけるって……」
「俺の前で、あんな距離で話すな」
視線が戻る。
じっと、美羽だけを見る目。
次の瞬間――
椿は美羽をそっと、けれど強く抱き締めた。
「……っ!」
美羽は驚いて息を呑む。
「椿くん?!ここ、廊下だよ?」
顔が一気に熱くなる。
「うるせぇ。美羽は俺のだ。」
そう言って、ぎゅっと抱き締める腕に力がこもった。
廊下を歩いている生徒がちらほらいて、
こちらをちらりと見たり、顔を赤くして視線を逸らしたりしている。
「わ、わかったってば!気をつけるから!」
美羽は慌てて椿の胸に手を当てる。
「椿くん、恥ずかしいから…ちょっと離れて…?」
少し距離を取ると、美羽の顔は真っ赤だった。
それを見た椿は、少しだけ満足したように息を吐き、
「あぁ、悪ぃ。」
そう言って、頭をくしゃっと掻いた。
美羽は胸をなで下ろしながら、静かに言う。
「私の方こそごめん。不安にさせたよね?」
そう言って顔を上げると、椿は明らかに動揺していた。
「……違ぇよ」
椿は近づく。
一歩、また一歩。
美羽は後ずさる間もなく、背中が壁に当たった。
「そんなのじゃねぇ」
椿は片手を壁につき、美羽を囲う。
「……取られそうで、ムカついてるだけだ」
距離が、近い。
息がかかるほど。
「秋人が、美羽を見る目」
ぐっと、歯を噛みしめる。
「……気に入らねぇ」
美羽の頬が、じわじわと熱を帯びる。
「椿くん……」
「分かってる」
自嘲気味に笑う。
「でも……美羽だけは、誰にも渡す気ねぇから」
その言葉に、胸がいっぱいになった。
(もう……なんでそんな顔で言うの……)
美羽は、震える指で椿の制服の裾を掴む。
「……椿くん」
呼ぶと、椿の視線が落ちてくる。
「私は、椿くんが大好きだよ。」
真っ直ぐ、素直に。
「今は、それだけじゃ…だめ…かなぁ…」
困ったように、少し不安そうに。
椿は目を見開いて固まった。
そして、深く息を吐く。
「……いや……」
ため息混じりに言う。
「ちょっと頭冷やしてくる」
そう言い残し、椿はさっと背を向けて歩き出した。
「くそ……美羽を困らせてどーすんだよ……」
小さく呟くその背中は、少しだけ大きく見えた。
美羽は、去っていく椿の背中を見つめながら、
「椿くん……」
切なそうに、そう呟いた。
廊下に残ったのは、
春の光と、かすかなすれ違いの余韻だけだった。
美羽の手を掴んだまま、少し早足で廊下を進む。
床に落ちる日差しの光が、長い影をつくりながら二人を包み込む。
春の午後特有の、やわらかくて少し気怠い空気とは裏腹に――沈黙は、重かった。
(怒ってる……よね、これは……)
美羽は内心でそう呟きながら、椿の横顔をちらりと盗み見る。
表情はいつも通り無愛想で、感情を表に出さない顔。
けれど、口元はきゅっと固く結ばれていて、わずかに眉が寄っていた。
(やっぱり……完全に怒ってる)
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「……椿くん」
勇気を出して、そっと名前を呼ぶ。
椿は足を止めない。
「……」
返事はない。
(え、無視……?)
心臓が、どくんと強く鳴った。
胸がきゅっと縮む。
さっきまで秋人と話していたこと、その全部が頭の中でぐるぐる回る。
どんな表情をしていたか、どんな距離だったか――
後悔ばかりが浮かんでくる。
「ねぇ……椿くん」
今度は、ほんの少しだけ強く。
すると、椿はようやく立ち止まった。
ゆっくり振り返ったその目は、怒りというより――
必死に感情を抑え込んでいる色をしていた。
「……何だよ」
低く、少しかすれた声。
美羽は一瞬ひるむが、逃げなかった。
「怒ってる……よね?」
「……」
椿は答えない。
その沈黙が、逆に美羽の胸を締めつけた。
「さっきのことなら……ほんとに、偶然だったの。秋人くんが来て、少し話してただけで……」
言い訳みたいになっているのが、自分でも分かる。
それでも、言わずにはいられなかった。
「……」
椿は視線を逸らし、廊下の窓の外を見た。
窓の向こうでは、桜の花びらがまだ少しだけ残っていて、
風に舞いながら、ゆっくりと地面へ落ちていく。
「……分かってる」
ぽつり、と。
「分かってるけどよ……」
椿の拳が、ぎゅっと握られる。
「……見せつけられると、ムカつく」
美羽の心臓が跳ねた。
「み、見せつけるって……」
「俺の前で、あんな距離で話すな」
視線が戻る。
じっと、美羽だけを見る目。
次の瞬間――
椿は美羽をそっと、けれど強く抱き締めた。
「……っ!」
美羽は驚いて息を呑む。
「椿くん?!ここ、廊下だよ?」
顔が一気に熱くなる。
「うるせぇ。美羽は俺のだ。」
そう言って、ぎゅっと抱き締める腕に力がこもった。
廊下を歩いている生徒がちらほらいて、
こちらをちらりと見たり、顔を赤くして視線を逸らしたりしている。
「わ、わかったってば!気をつけるから!」
美羽は慌てて椿の胸に手を当てる。
「椿くん、恥ずかしいから…ちょっと離れて…?」
少し距離を取ると、美羽の顔は真っ赤だった。
それを見た椿は、少しだけ満足したように息を吐き、
「あぁ、悪ぃ。」
そう言って、頭をくしゃっと掻いた。
美羽は胸をなで下ろしながら、静かに言う。
「私の方こそごめん。不安にさせたよね?」
そう言って顔を上げると、椿は明らかに動揺していた。
「……違ぇよ」
椿は近づく。
一歩、また一歩。
美羽は後ずさる間もなく、背中が壁に当たった。
「そんなのじゃねぇ」
椿は片手を壁につき、美羽を囲う。
「……取られそうで、ムカついてるだけだ」
距離が、近い。
息がかかるほど。
「秋人が、美羽を見る目」
ぐっと、歯を噛みしめる。
「……気に入らねぇ」
美羽の頬が、じわじわと熱を帯びる。
「椿くん……」
「分かってる」
自嘲気味に笑う。
「でも……美羽だけは、誰にも渡す気ねぇから」
その言葉に、胸がいっぱいになった。
(もう……なんでそんな顔で言うの……)
美羽は、震える指で椿の制服の裾を掴む。
「……椿くん」
呼ぶと、椿の視線が落ちてくる。
「私は、椿くんが大好きだよ。」
真っ直ぐ、素直に。
「今は、それだけじゃ…だめ…かなぁ…」
困ったように、少し不安そうに。
椿は目を見開いて固まった。
そして、深く息を吐く。
「……いや……」
ため息混じりに言う。
「ちょっと頭冷やしてくる」
そう言い残し、椿はさっと背を向けて歩き出した。
「くそ……美羽を困らせてどーすんだよ……」
小さく呟くその背中は、少しだけ大きく見えた。
美羽は、去っていく椿の背中を見つめながら、
「椿くん……」
切なそうに、そう呟いた。
廊下に残ったのは、
春の光と、かすかなすれ違いの余韻だけだった。



