てんさいさんは天才ではない!

小日向甜菜。
名前の並びは可愛らしいが、小日向甜菜(こひなたてんさい)だ。
そう。「甜菜」と書いて、「てんさい」と読むのだ。
彼女はその名前に恥じないくらいの天才であると生徒からも先生からも評価されている。
だが俺は、この小日向甜菜という人間は天才ではないと思っている。
彼女には何か、深い闇がある。
俺はそう、確信している。

***

「あ、すんません。」
入学式の日。遅刻ギリギリに学校に着いた俺は、丁度クラスから出てきた、可愛らしい少女とぶつかった。
「いえいえ、気にしないでください。」
彼女は透き通るような優しい声でそう言って、ほのかに良い香りを残して立ち去っていった。
彼女の可憐さに呆然としていると、どこからか花びらが飛んできた。
その花びらがゆっくり落ちていくのを眺めていると、花びらはある小さなノートの上に落ちた。
「てんさいからのSOS」
と幼げな字で書かれたそのノートはかなり古いものなのか、表紙はボロボロで、はみ出した紙は黄ばんでいた。
これは…?
ノートを拾い上げ、開こうとしたその瞬間。
そのノートが何者かによって奪い取られた。
「すいません!!私の落としたものです!!」
さっきの可愛らしい少女は焦り、恥ずかしがるように頬を朱に染め、深く一礼して再び去っていった。
その時、俺は彼女にどうしようもなく興味をそそられた。

***

わずか10分後に、入学式が始まった。
あたりを見渡せば、この狭い体育館には総勢150名程度の新入生がずらりと並んでいた。
俺はさっきの可憐な少女を探していた。
「新入生呼名。」
司会の先生の声が、狭い体育館に響く。
ハッと本当に小さい声で、息をのむ音がした。
今まで右側を向いていた俺は、その声が聞こえた付近に目を向けた。
俺の左斜め前。
深い海のような、暗くて、絶望の色を抱えた瞳を持つ女子に、目が釘付けとなった。
その瞳は深い闇を抱えているように思えるのに、どこか儚げで、燃えるような情熱さえ感じさせた。
でもその瞳は、瞬きとともに消えてしまった。
少し緑ががった瞳に戻った彼女を眺めてみる。
高い位置で結ばれたポニーテール。
彼女が壇上に目を向けた瞬間、その横顔がはっきり見えた。
心臓が大きく跳ねる。
このきれいに整った顔は、さっきぶつかった少女だ。
先ほどまでおろしていた長い髪を、ポニーテールにくくっているから気づかなかった。
初対面でも、彼女の瞳からは無邪気さと明るさを感じた。
だが、さっきの瞳は違った。
とんでもなく重くて、暗い感情を抱え込んだ瞳だった。
なんでなんだろう。
そう考える間もなく、彼女が立ち上がった。
「小日向…てんさいさん。」
彼女の名前が呼ばれた瞬間、周りがザワついた。けれど、そのザワつきは、彼女の元気な返事と世界中の誰もを魅了してしまうような笑顔で、かき消された。
てんさい…?
なんだ、その名前は。聞き間違えではないだろうか?
でも、確かに、俺の耳には「てんさい」と聞こえた。
彼女の自信たっぷりの返事からも、疑いはだんだんと薄れていった。
小日向甜菜(こひなたてんさい)』。
彼女はいったい、どんな人間なのだろうか。
俺は自分の名前を呼ばれても気づかないほどに、彼女のことが気になって仕方がなかった。

***

「私、小日向甜菜(こひなたてんさい)と言います。」
気づけば、ホームルームのようなものが始まり、自己紹介の時間になっていた。
彼女の透き通るような声に、みんなが耳を澄ませている。
「祖父母が甜菜という野菜を育てていることから、私の名前が甜菜になったそうです。」
甜菜…。昔、社会の授業でこの野菜について触れたことがある気がする。確か、甜菜糖(てんさいとう)というものになる野菜ではなかっただろうか。
「気軽にてんさいって呼んでください。みなさんと仲良くできたら嬉しいです。よろしくお願いします。」
彼女は大きめの上履きをパタパタと鳴らし、自分の席に戻った。
彼女は丁寧に椅子を引き、ゆっくりと座ると、緊張を解くように、高い位置で結ばれていたポニーテールをほどいた。
彼女の、腰につくくらい長いストレートの茶髪がふわりと揺れる。
その髪が、窓から入り込む春風で先ほどより、大きく揺れた。
そして、その風は桜の花びらを運んできて、クラスに舞いこませた。
その美しさに、クラス中の視線が窓へ向けられる。
その流れに乗るように、彼女も振り返った。
彼女の視線が俺の視線と絡む。
彼女の瞳が一瞬濁り、そのまま目をつぶって前を向いてしまった。
もしかして俺は、彼女に認識されたのだろうか。
なぜ彼女の瞳は、濁ってしまったのだろうか。
しばらく考えていたが、全然わからなかった。
「次、出席番号20番の人ー?」
担任の先生の声が聞こえた。
あれ、20番って俺じゃないか。
慌てて立ち上がり、教卓の前に立つ。
「あー。隣町のすみれ中学校から来ました不二井勝男(ふじいかつお)です。
趣味…は、ピアノと手芸です。
えっと、アニメとか結構好きなんでオススメあったら教えてください。
1年間、よろしくお願いします。」
あーなんだかよくわからない自己紹介になってしまった。
これから先、俺の学校生活ってどうなってしまうんだろう。
席に戻る時、彼女のことをちらっと見てみた。
彼女は俺のことを、じっと見つめていた。
え、なんでなんだろう。まぁ、いつまで経っても心当たりはなくて、思い出せなかった。

***

時は過ぎ、もう帰る時間となった。
「さようならー」
とみんなの声が聞こえ、それぞれに動き出す。
ふと彼女のほうに視線をやると、彼女の周りには女子が群がっていた。
「あいつ、この学校に特待Sで入ったらしいぜ?」
「いやいや、あんなかわいい顔してそれはないだろ。」
「まぁそう見えるけど、偏差値は76越えらしい。」
「え、私おんなじ中学校だったけどほんとにずっと学年一位ですごい子だったよー?」
クラスメイトの会話が聞こえた。
彼女はてんさいという名前に恥じないくらい天才なのか。
羨ましいな。
でも、彼女からはそんな天才的な雰囲気は感じない。
が、まぁまだ一日目だ。きっとこれからどんどん天才的な能力を発揮していくんだろう。
そんなことを考えながら、俺は通学カバンを手に取って早々に帰ることにした。

***

帰り道。
俺の家は高校からはとても遠い。片道1時間以上かかる。
まぁ、俺の家はかなり田舎の方にあるからきっと同じ高校に通う生徒は誰も近くにはいないだろう。
そもそも中学校までも自転車で片道30分くらいかかるような田舎だから、相当なもんだ。
イヤホンを付けてピアノの曲を聴きながら、俺はいつもの河川敷を通っていた。
すると、イヤホンを突き抜けるくらいの大きな声が聞こえた。
その声は苦しげで、胸が張り裂けるような声だ。

「私はーーーー!!!
お前らの操り人形でも、都合のいい奴隷でもなーーい!!」

叫んでいる人をよく見ると、甜菜さんだった。
彼女は川に向かって叫んでいた。
皮肉にも、美しすぎる夕日が彼女の頬を照らす。
一筋の涙が、彼女の頬を滑り落ちる。
その涙も、夕日に照らされて思わず、もっと見ていたいと感じてしまう。
涙を振り払った彼女は不意にこちらを振り返った。
彼女の丸い瞳が見開かれ、さらにまんまるになる。
そして、彼女は(きびす)を返して駆け出した。
焦った俺も走り出し、彼女の手を掴む。
「待って!!」
キラキラ光る夕日が眩しい。
思わず目をつぶってしまいたくなる輝きは、彼女の後ろ姿を神々しく照らす。
彼女が俺の手を握り返してきた。
驚く間もなく、彼女は振り返った。

不二井(ふじい)のかっちゃん…?」

彼女の震える声には、懐かしさが(にじ)んでいた。