──俺と雪生さんが屋上に到達するまで、二回ゾンビに遭遇した。
一体は雪生さんが瞬殺、もう一体は俺が消火器でぶん殴り、倒れた隙に全力逃走。
殴る時、腰が引けてたのは自覚してる。
でも、ヘタレな俺にしては、頑張った方だと思うんだよな。
結果オーライってことで勘弁してほしい。
屋上に向かう途中、ゾンビについても雪生さんから教えてもらった。
「……いったん感染してゾンビになると、知性や痛覚のほとんどを失います。その代わり、常人よりはるかに強い力を発揮するようになります。
ソンビたちは非感染者を襲いますが、頭を破壊すれば活動停止します。狙うなら頭ですね」
他にも、姿が見えなくなると追いかけて来なくなる、とか、僅かでも姿が見えたり、物音がすると執拗に追いかけてくる、という習性があるそうだ。
なんか、ヤバいストーカーみたいだよな……
「それと、感染には最大限気をつけて。ゾンビに噛まれたり、爪などで傷つけられると、そこからウイルス感染します」
「了解。……にしても本当、ゾンビ映画やホラーゲームのド定番、て感じだなぁ」
何だか寒気がして、腕を擦る。
「俺、遊園地のお化け屋敷も遠回りして避けるくらい、ホラー苦手なんだ……あ、見かけ倒しってよく言われるんだけどね。ははは……」
力なく笑う。いや笑うしかない。
ホラーなゾンビが町中に溢れてるなんて、悪夢としか言いようがないだろ。
すると、雪生さんは切れ長の目を瞬かせて、小さく笑った。
「少しくらい苦手なものがあっても、別にいいんじゃないですか」
「そ、そうかな……」
「はい。それに、秋庭君はさっきちゃんとゾンビに立ち向かってました。心強かったです」
初めて見る雪生さんの微笑だ。
きれいだ……心が浄化される……
だが役得だと思ったのは一瞬で、彼女はすぐさま表情を引き締めた。
「繰り返しになりますが、ゾンビは普通の人間より力が強く、痛覚がありません。腕がもげようと、足が折れようと、非感染者を標的にします。
完全に動けなくするには、頭の破壊が一番手っ取り早いんです」
「……うん。俺、頑張って倒すよ」
俺みたいなヘタレには、ゾンビの頭を破壊するとかハードルが高いどころじゃない。
だが、やらなきゃやられるだけだ。
さっきは殴り倒して、走って逃げて何とかなった。
でも、相手を行動不能にするまで戦わねばならない場面も、いずれ出てくるだろう。
守られてばっかじゃダメだよな……と何となく自分に言い聞かせてみたものの。
……今朝まで一般人だった人の頭を、スイカよろしく一発でカチ割るなんて、俺に出来るんだろうか。
いや、そういう迷いが命取りに……と無駄に頭を悩ませていると、雪生さんはさらに気が重くなる情報を教えてくれた。
「……もう一つ、問題の研究所から、"アルファ"と呼ばれる実験体が逃げ出したそうです」
「"アルファ"……?」
「疫学研究所に突入した機動隊が全滅したのも、"アルファ"のせいだと言われています……動画を見た方が早いかもしれません」
──雪生さんがスマホを取り出す。
そして見せてくれた投稿動画は、おぞましいの一言に尽きた。
動画が撮影された場所は、疫学研究所にほど近い住宅街。時間は今朝の八時頃。
アパートの三階にいた撮影者は、ただならぬ悲鳴を聞きつけ、ベランダに面した窓から顔を出した。
そこで人を襲う化物を目の当たりにして、慌てて身を隠し、震えながらそっとスマホのカメラを向けた。
──動画には、目を覆いたくなる凄惨な光景が映っていた。
見たこともない四つ足の生き物が、通勤途中の人々を次々と襲っていた。
表皮はゾンビと同じ紫がかった白。
だが見るからに固そうで、まるで鱗に覆われた爬虫類みたいだった。
何よりそいつは、どんな獣にも似てなかった。
強いて言えば、「尻尾の生えた四つ足のカマキリ」が一番近い。
胴は細く、短い。一方、手足は長く、肘の関節から先がやや太くなっている。
さらに、蜥蜴のような長い尾が生えていた。
尾を入れると全長四メートル弱、体高二メートルってところか。
手足の先は尖った杭のようになっており、通行人を次々と串刺しにしていた。
頭部は若干人に似ている……が、耳元まで裂けた口腔に、ノコギリのような鋭い牙が並んでいた。
そいつは驚くほど素早く、跳躍力も並外れていた。
二階のベランダに軽々と飛び上がり、窓を割って侵入する。
何か物が壊れる音と一緒に、悲鳴が上がり……直後、映像は途切れた。
……マンションの中で何が起こったかなんて、考えたくもなかった。
たった一分程の動画だが、「実験体」とやらの凄まじさを理解するには十分だった。
動画の閲覧数は、既に百万回を越えている。
撮影者は途中まで律儀にコメントに返信していたが、今は音信不通になっている。
コメント欄に、撮影者の無事を祈る声が幾つも上がっていた。
ひたすら絶句する俺に、雪生さんが付け加えた。
「これが、"アルファ"。生き残った疫学研究所の職員が、生体実験の末に生まれた生物だと証言しています。国は否定していますが」
「そ、そうなんだ……疫学研究所ってここから近いんだっけ……?」
俺はすぐさま地図アプリで調べてみた。
ここから直線距離で五キロか。近い……といえば近いんだろうか。
あんなのがこの辺をうろついてるかと思うと、生きた心地がしなかった。
「あ、ついでに、親に無事を知らせておこう」
遠方の両親に、無事だというメッセージを送る。
そして返信は確認せず、画面を切った。
スマホの充電は十分残っているが、温存しておくに越したことはないだろう。
◇◇◇
──屋上に繋がる階段の最上部。
俺たちはようやく目的地にたどり着いた。
「行きましょう」
「うん」
閉じたスチール製の扉を前に、俺と雪生さんは顔を見合わせて頷く。
ガチャ、とドアノブを回す。
鍵はかかってない。
だが、押しても引いてもドアは動かなかった。
「何か引っ掛かってるのかも……体当たりしてみるよ、雪生さんは下がってて」
「お願いします。後ろは私に任せてください」
雪生さんは鉄パイプを構えて、階段の下を警戒する。
頼もしすぎる彼女にそっちを一任して、俺はドアに、ドン、ドン、と体当たりした。
あまり大きな音を立てたら、近くのゾンビが寄ってくるかもしれない。
なるべく静かに、だが力任せに体をぶつける。
その時──下の階から物音がした。
ズ……ズズ……と何かを引きずるような、かすかな音。
急がないと……!
焦って何度か体当たりすると、ドアと壁の間に小さな隙間が出来た。
──あと少し。
なるべくドアから離れて助走距離を取る。
一呼吸おいて、勢いよくドアにぶつかった。
「うわっ!」
ガラガラ、ガシャン……!
ドアの反対側で、積み上げた物が崩れる音がした。
体が勢いよく屋上に飛び出す。
眩しい光が目を灼く。
開いた扉の向こうには、ガランとした屋上と晴れた空が広がっていた。
