青春とデッドエンド・サバイバル ~普通の大学生が、ゾンビパンデミックを生きのびる方法

 そこから遡ること、十時間前。
 ……藤実市、国立疫学研究所。そこでは悲鳴と怒号が飛び交っていた。

 ウイルス感染した職員が暴れている──
 その通報を受け、最初に現場に急行したのは、警察官三名。
 だが現場に足を踏み入れた途端、彼らの連絡は途絶えた。

 事態を重く見た警察は、二時間後、機動隊の派遣を決定。
 情報が錯綜するなか、出動する部隊には、ある重要な任務が与えられた。

 研究所から逃げてきた生存者の証言によれば、この凶悪なウイルスには《抗体》が存在し、それがワクチン生成の鍵となるらしい。
 その《抗体》は、研究所の地下で厳重に管理されているという。
 警察の上層部からも、すべてに優先するように、と念を押されていた。

 ──絶対に《抗体》を確保すること。
 それが彼らの最重要任務だった。



「突入しろ!」

 隊長の合図で、盾を構えた機動隊がいっせいに突入した。
 襲いくる感染者を警棒でいなしながら、彼らはじわじわと奥へと進んでいく。

 地獄のような道のりだった。
 何人かの犠牲を出しながら、機動隊は最下層に至る階段を降りきった。

 ようやくたどり着いた地下研究室。
 そこも目を覆うような惨状だった。食いちぎられ、息絶えた職員。そして亡霊のようにうろつく感染者。

 隊員たちは吐き気を堪え、感染者を排除しながら、《抗体》を探し回った。

「隊長、来てください!」

 隊員の一人が声を上げた。
 隊長が駆け寄って「それ」を確認する。
 ガラスと鉄柵で囲った、檻のような部屋──そこに、兎のように真っ白な髪の子供が倒れていた。

「間違いない、この子だ」

 予め用意していたカードキーで檻を開ける。
 そして隊員の一人──坂上が中に入って、子どもを抱え上げた。

 息はある。生きているのは間違いない。
 ふと、坂上は少年の細い手首に目を留めた。
 黒い文字で「no.9」と刻印されている。
 まるで囚人のような扱いだな……と、彼は強い嫌悪を覚えた。
 だが今は、感情に拘泥している場合ではない。

 少年は深く眠っている。大人しくしてもらえるなら、かえって都合がいい。
 坂上は、任務遂行に神経を集中した。

「よし、撤収だ!」

 隊長が号令をかけた──その時だった。
 照明や機器がバチバチと点滅し、一斉に切れた。暗闇に視界が閉ざされる。

「停電か……」

 隊員の誰かが呟く。
 この混乱で、建物の電気系統に何らかの異常が生じたらしい。
 だが、日頃から厳しい訓練を受けている彼らは、突然の暗闇にも落ち着いていた。
 携帯していた懐中電灯を探り当て、次々点灯させていく。

「階段はこちらです……っ、わぁぁあっ!」
「オォォオォ……」
「クソッタレが!」

 扉の奥に潜んでいた感染者が、先導する隊員を襲う。
 首が食いちぎられ、鮮血が飛び散った。

「早く倒せ!!」

 数人がかりでそいつを殴り倒すと、感染者は動かなくなった。
 よりいっそう周囲を警戒しながら、慎重に階段を上る。
 やがて一階に到着した彼らは、手近な窓を割って、研究所からの脱出を果たした。
 周辺の感染者が集まってきたが、たかが二、三人だ。
 残ったメンバーで着実に倒していく。

「護送車をこっちに回してくれ」

 部下が感染者に対応している間、隊長が無線で本部に連絡を入れた。

 その時、明るく輝いていた月が翳った。

 彼はふと建物の屋上を見上げ──息を飲んだ。
 月明かりの逆光を浴びて、見たこともない化物が、涎を垂らしてこちらを見下ろしていた。



 ──モンスター映画さながらの怪物。
 限りなく現実味のない光景に、全員が息を呑む。

「あいつが……"アルファ"がいるぞ!!」
「檻に入れられてたんじゃなかったのかよ!?」
「クソッ、さっきの停電で開いたんだ!」
「いいから撃て、撃つんだ!!」

 一斉射撃。
 "アルファ"に対しては、予め発砲許可が出ていた。
 猛獣以上に危険な存在として、研究所の職員から注意喚起された、災厄のような化物。
 それがこいつだ。

 隊長の命令に従い、隊員たちは躊躇なく引き金を引く。
 だが、そいつは信じられない反射速度で弾丸を避けた。
 建物の屋根を跳ねるように移動し、庇からこちらを窺うように姿を見せる。

 ……坂上には、この化物が、ニタリと笑ったように見えた。

 銃を構えた隊長が、肩越しに坂上を振り返った。

「坂上、ここは俺たちが食い止める!その子を頼む!」
「しかし隊長……」
「ワクチン無しに感染は止められない。お前は足が早い、いいから行け!」
「……どうか、隊長もご無事で」

 坂上は子供を抱え直し、振り返らずに走り出した。

 坂上の耳に、仲間の断末魔が届く。
 耳にこびりつきそうな絶望を振り切るように、暗闇の中をひた走った。

 離脱する途中、ドド……と激しい地響きと共に爆炎が上がった。

「嘘だろう……」

 坂上は立ち尽くしていた。
 隊長が呼び寄せた護送車が、建物に激突して真っ赤な炎を噴き上げている。
 その音に引き寄せられて、感染者が続々と集まっていた。

 ここにいては危ない。
 咄嗟の判断で、彼は植え込みに隠れた。
 闇に紛れるように、体を低くしてその場をそっと離れる。
 抱えた体が急に重く感じられて、坂上は深く息を吐いた。

 この任務が責任重大であることは、元よりわかっている。
 やるべきことをやるしかない。
 どうにか自力でここを脱出し、《抗体》をしかるべき機関に届けなければ──

 多分、この国は終わる。