◇◇◇
────まっくらで、なにもみえない。
ゆめうつつのとき。
ぼくはいつも、ひどくさびしい、ヤミのなかにいた。
ここは、こごえるほどさむい。
手をこすりあわせても、ちっともあたたかくならないんだ。
ここから、すくってほしいとねがうことも、ぼくはとっくにあきらめてた。
だって、兄弟のだれの声も、もうきこえない。
……たった一人をのぞいては。
とおくから、あの子の声がきこえる。
耳をふさいでも、声はやんでくれない。
ぼくは、じぶんをまもるように、しゃがみこんでひざをかかえた。
──痛い、痛い、痛い!
──苦しい、苦しい、苦しい!
──憎い、憎い憎イ憎イ憎イ憎……
──殺ス、殺ス、殺ス殺ス殺ス、アイツヲ、殺ス………!!!!!
くるしそうな、いかりにみちた声。
それまでは、たのしそうにわらってくれたのに。
その声はもうきこえない。
ぼくはいま、ほかのだれより、にくまれていた。
あの子のゼツボウは、このヤミよりふかい。
あのくるしみを、とめてあげたい。
いつしかぼくは、そうねがうようになった。
あれは──だれよりもタイセツだった、妹。
◇◇◇
──夏川先輩と雪生さんの目が急にとろんとして、ふらりと体が揺れたかと思うと、パタリと床に倒れた。
「えっどうしたんすか先輩!?雪生さんまで……」
二人を助け起こそうとした俺までが、軽い眩暈を覚える。たまらず蹲った。
「くそっ……」
「……《適合者》って、ぼくでもあやつれないんだね。きのうは、すぐねむったのに」
「ナイン、何を言って……」
「ぼく、ふつうの人があいてなら、ねむらせるくらい、カンタンにできるんだ」
少年の冷やかな声に顔を上げる。
双眸をうっすら紅くしたナインが、じっと俺を見ていた。
「……ここでおわかれだよ、おにいさん。ぼくは、この町にのこる」
……背筋が、ひやりとした。
「……お前、二人に何をした」
「ねむらせただけだよ」
「力を使ったのか?」
「うん、すこしだけね。これっぽっちなら、ぼくのいばしょは、"アルファ"につたわらない。あんしんしていいよ」
「……ナイン、町に残るってどういう意味だ。俺たちを眠らせてどうする気だった」
ナインの真意が掴めず問いかける。
夏川先輩や雪生さんの気配を探ると、二人の寝息は穏やかなものだった。本当にただ眠ってるだけなんだろう。
だが、声が剣呑になってしまうのは抑えきれない。
そんな俺に、少年は冷静に肩を竦めた。
「おこらないで、きいてほしいんだけど」
「……」
「ぼくは、おにいさんたちのこと、とってもいい人たちだとおもってる。それはほんとだよ。
だけど、ぼくの血でたくさんの人がたすかる、とか、そういうのキョーミないんだ。研究所の人たちが、かってにぼくをこんなふうにしただけだしね」
薄暗い部屋に、少年の声が静かに響く。
どこか遠くで、ゾンビの呻き声が聞こえた。
「ぼくに、ねがいがあるとしたら。兄のぼくが、妹のくるしみを、おわらせること…………それだけ」
ナインの妹、といえば一人しか思い浮かばない。
俺は慎重に確認の言葉を口にした。
「……お前自身の手で、"アルファ"を倒したいってことか」
「そう。じゃましたら、ゾンビと"アルファ"をここによんで、ぼくも死ぬ。そしたら、《抗体》も夏川のおにいさんたちも、いっしょになくなっちゃうね」
ナインが目を細めて無邪気に笑った。だが、瞳はうっすら紅い光を帯びたままだ。
──俺はどうやら、この子に脅されているらしい。
「…………」
緊張で口が乾く。
どう答えるのが正解なのか、マジでさっぱり分からない。駆け引きめいた会話とか、俺、本当に苦手だからなぁ……
あと、ナインが見た目よりずっとしたたかなことも、うっすら察しつつあった。
《適合者》の能力を使いつつ、四人で市外に脱出したらいいと気楽に考えていたが、かなり雲行きが怪しくなってきたぞ……
ごくりと喉を鳴らして、必死に考える。
──俺の仮定が間違ってなければ、どちらを選んでも、ワクチンは手に入らない。
ナインを強引に連れて行こうとしたら、《抗体》を渡すのを拒むために、他害や自死すらいとわず抵抗するつもりだろう。
だが、一人で"アルファ"と対峙させても、無為に死なせるだけになる。
どっちにしても、ワクチン入手は不可能だよな……
俺は暗澹たる気分になった。
ヘタレ大学生の俺に、こんな選択、いくら何でも荷が重すぎんじゃないのか……
────そう思う一方で、俺の脳裏に、この二日間の出来事が、走馬灯のように駆けめぐった。
春日先輩の凄惨な最期。
人知れず涙を流してた夏川先輩。
"アルファ"が妹だと言って泣いたナイン。
──そして、何度も俺を助けてくれた、雪生さんのことを思い返す。
…………そうだよ。俺は願っただろう。
この地獄を終わらせたい、と。
思考を回せ。
何か、ナインをこちら側に引き留めておけるものを探せ。必ず、なにかあるはずだ。
そうして俺は、感情を表に出さないように、できるだけ穏やかに切り出した。
「……なあ、そんな投げやりにならなくても、生きてりゃきっと、良いこともあるぞ」
まずは、月並みな台詞で会話の糸口を探す。
ナインは皮肉めいた口調で応じた。
「……そうかなあ。ぼくは、《《じゅうぶんマンゾク》》したけどね」
薄く笑うナインにやや怯んだが、俺はこいつの好物を思い出しつつ言葉を選んだ。
「……たとえば、お前がさっき食ってたチョコレートなんて、世の中にあるチョコのほんの一部だ。イチゴチョコとか、ナッツが入ったチョコとか、大人のダークチョコとか、種類がめっちゃくちゃたくさんある。しかも毎年新しい味が出るんだぞ?」
「…………ふうん」
「だから、生き急ぐのは……それらを試してみてからでいいんじゃないか?」
「…………ちょっとためしてみたいけど、やっぱりいいや」
ナインは悩む素振りを見せたが、最終的に肩をすくめて拒んだ。ただ、目の色は赤から黒に戻っている。
それに少しホッとした。
交渉の余地がある、ってことだ。おそらくは。
その後は、遊園地や海や水族館なんかで釣ってみようとしたが、ことごとく失敗した。
チョコレートでもジェットコースターでもダメとなると、ナインの心を動かせるものは何なんだ。全く思いつかない。
他に、差し出せるものがあるだろうか。
必死に考えてみたが、可能性のありそうなものは、一つしか浮かばなかった。
もうこれしかない。
────俺は半分やけっぱちで、自分の命を、賭けの台に乗せることにした。
