青春とデッドエンド・サバイバル ~普通の大学生が、ゾンビパンデミックを生きのびる方法


 くそ、朝メシを食いそこねちまった。
 腹が減って仕方ない。だが、それ意識したら余計腹が減る。ひたすら無心でペダルを漕ぐ。

 うちの大学はこの丘の上だ。
 つまり行きは延々上り坂。大学に行くには、この坂を地道に上ってくしかない。

 あくせく自転車を漕いでいると──ふと、向かいの歩道におばさんが立ってるのに気づいた。
 ずっと空を見上げ、ブツブツ何か呟いている。
 横断歩道が青になっても、また赤になってすぐ横を車が通り過ぎても、瞬きひとつせず、そこから動かない。

 なんか……理由はわからないけど、何となくゾッとした。
 だが深くは考えず、奇妙さを振り払うように、俺はペダルを踏んだ。



 うちの大学──藤実大学は、市の郊外にある、ごく普通の四年制大学だ。
 俺は実家が遠かったんで、入学以来、こっちで一人暮らししていた。
 そんで最初は色々やらかした。
 白米を炊いたはずがお粥になったり、財布をうっかり洗濯したり、レンジの謎ボタンを試したら鶏肉が爆発したり。
 ボン!と音がしたから、盛大に「うわぁ!!?」って叫んだのも今では良き思い出……でもねえな。掃除が大変だったしな。

 まあこんな俺でも、二年もすれば家事をある程度はこなせるようになった。
 料理もいつのまにかハマってた。
 ハヤシライスやカレーは友達に絶賛されるまでになったし、レンジで作るふわふわカステラにも挑戦した。
 ふるまう相手が野郎のみってのが若干空しいが。

 ……つうか、そもそもこの町自体、娯楽が少ないのがアレなんだよな。
 やることねえから、しゃーない料理でもするかーってなるわけで。

 ここは、良くいえば「のどかな地方都市」。
 悪くいえば、退屈で眠たい町。
 学生にとっては、いかにもパッとしない……藤実大生のあいだでは、そんな評価が一般的だろう。

 一方、藤実市には、「研究学園都市」という側面があった。
 大学が四つ、国立の研究機関が三つ。
 民間の研究施設も多数ある、要は、学術に特化した町。
 なかには、国家機密のヤバい研究やってる施設もあるとか、ないとか。
 ……まぁ、さすがにそれは都市伝説だろうけど。


 ──そう思ってた時期が俺にもありました。


 過去の自分に会ったら言いたい。
 お前は絶対にここに住むな、と。
 その「ヤバい研究」のせいで、生きるか死ぬかのパンデミックに巻き込まれ、凶悪なクリーチャーどもと戦う羽目になるぞ、と。

 確かに俺は、そろそろ自分を変えてかないとダメかもなぁ、とぼんやり思ってた。
 だが、生きるか死ぬかのギリギリの経験がしたかったわけじゃない。
 まあ、誰だってそうだろうが。


 ◇◇◇


 「やべ、二限にも遅れそうだな……」

 結構ギリギリだ。
 必死で自転車を漕いでると、けたたましいサイレンが近づいてきた。
 坂の上から猛スピードで救急車が走ってくる。
 ……急患かな、と頭の片隅で考えつつ、すれ違った直後、

 ガガガガッ!!!!

 「わあぁっ!!?」

 思わず振り返って──絶句した。

 ゆるいカーブを曲がり損ねた救急車が、民家の壁に派手に突っ込んでいた。
 フロントガラスは粉々。助手席側はぐしゃりと潰れている。

 「……こういう時って、救急車を呼べばいいのか……!?」

 救急車のために救急車を呼ぶとか、常識では考えられないが、たぶん一刻を争う。中の人が無事だとは思えなかった。
 震える手で、スマホを操作しようとして──俺の動きが止まった。

 「…………え?」

 視界の端の、鮮やかな赤。

 ……事故の衝撃で、後部ハッチは全開になっていた。そこから車内の様子が見えた。
 医療器具が散乱する、救急車の床。
 そこに、二人の男が倒れていた。
 ……片方が、片方に覆いかぶさっている。
 その周囲は、血だまりだった。

 全身総毛立つ。
 大量の血は、事故のせいではなかったからだ。
 ……スーツ姿の男が、救急隊員の首に噛みつき、獣のように貪り食ってる。

 血だまりは、そのせい。

 ホラー映画か、悪夢のようだった。
 思考がフリーズし、俺の奥歯がカチカチと鳴る。

 「……待て、なんで、人を食って……」

 掠れた俺の声が聞こえたのか、救急隊員を貪ってた男が顔を上げた。

 「は……?嘘だろ……」

 薄紫に変色した、血まみれの顔。
 男の顔に、俺は見覚えがあった。

 ……これから出席する予定の、二限の講師だ。

 講師は濁った目で俺を凝視し、ずり、ずり、と向かってくる。

 なんで講師が救急隊員を襲ってんだ?
 ワケがわからない。

 混乱している間にも、まるで動物園のワニのように、講師は地面を這って近づいてくる。
 やがて、ズズッ──と音を立てて、救急車から落下し──俺は再び絶句した。

 「……っ」

 講師の両足は、あらぬ方向に折れ曲がっていた。
確かに、あれでは歩けない。だから匍匐前進なのだと理解した。
 理解はしたが──痛がる素振りがまるでないのは、いったい何なんだ。

 「……ォオォォ………」

 唸り声を上げる講師が、血塗れの腕を交互に動かし、這い寄ってくる。
 血が地面に擦れて線を描く。
 俺と相手の距離が、三メートルを切った。
 そこで──ようやく金縛りが解けた。

 「っ、うわぁぁぁああぁっっっ!!!」

 自転車に飛び乗り、夢中で足を動かす。

 「はぁっ、はぁっ」

 正門が見えた。
 自転車で一気に大学構内に駆けこむ。
 そして──驚愕した。

 「…………きゃぁああっ!」

 悲鳴を上げて逃げ惑う女生徒。
 彼女を追い回す、数人の男女の群れ。
 倒れた大学教授を貪る、人間の姿をした何か。
 あちこちから悲鳴が上がっている。

 …………そこは、地獄絵図だった。