「……君は、人間を自覚しているのか」
「さっきも言ったすよ。一応人間のつもりだって」
「ならば、話し合いも可能ということだな」
老人はわざとらしく頷いて、背後の黒スーツの男に目配せした。
そして俺たちに顎をしゃくった。
「場所を移して話をしよう。ついて来なさい」
そう言われても今会ったばかりの人間だ。信用していいものか……
逡巡した俺は、小声で先輩に尋ねた。
「……夏川先輩、どうします?」
「話し合うだけならいいと思うぜ。内容に従うかどうかは、別だけどな」
「…………」
答える夏川先輩や、無言の雪生さんの表情はかなり苦々しい。
視界の端で、雪生さんがナインの手をきゅっと握った。
俺が来た時、三人は避難者たちに囲まれていたし、なにか一悶着あったんだろう。
気になったが、今はそのことを聞ける雰囲気ではない。
俺たちは無言で老人に続き、黒スーツの男も後ろからついてきた。
ぞろぞろと五階に移動し、つきあたりの重厚な扉の前で老人は立ち止まった。
入口の札には「院長室」とある。
「ここで話し合おう。入ってくれ」
促されて入室した俺たちは、そこの豪華なソファに着席した。
老人も座ったが、黒スーツは立ったまま老人の側に控えている。
まず口火を切ったのは、俺たちをここに案内した老人だった。
「私はこの病院の院長で、鷲尾という。彼は秘書の杉沢。病院の責任者として、君たちの事情を把握しておきたいのだ」
「はぁ……」
俺たちも口々に名乗る。
鷲尾院長は鷹揚に頷いて、新顔の俺に質問した。
「秋庭君、単刀直入に聞くが、君はウイルスに感染しているのかね?」
「……そうすね、感染してると思います」
隠しても仕方ないので正直に答える。
老人はふむ、と顎に手を当てた。
「夏川君らは、ナイン君がウイルスの《抗体》を体内に保持していると言っていた。君が完全なゾンビにならなかったのは、それと関係あるのかね?」
「おそらくは。ゾンビにつけられた傷に、ナインの血を入れてもらいました。ナインが言うには、普通はゾンビ化を遅らせるだけ、らしいっす。ただ……」
言い淀んで、ちらっとナインを見た。
少年の横顔は人形のように無機質で、何の感情も読み取れない。
「……運よくウイルスに《適合》したら、ゾンビにはならない、と。俺はたぶんそれっすね」
「では、この病院にいる何人か──私や杉沢に、ナイン君の《抗体》を分けて貰うことは可能だろうか?」
──なるほど。
院長が俺たちをここに連れてきて、話をしようと言った理由はそれか、と腑に落ちた。
彼らは、《抗体》を手に入れるための交渉がしたかったんだ。
さっきの騒ぎも、おそらくこれが原因だったんじゃないか?
誰だってゾンビになりたくはない。
避けられるものなら避けたい、と思うのが人情だろう。とはいえ。
自分が《抗体》を貰っておいて何だが、このパンデミックを終わらせるのに、ナインは何をおいても重要な存在だ。
ナインの安全確保より、自分たちが《抗体》を入手すること──その話が先に来るのは、やっぱりもやっとする。
病院の院長らしいが、どこか身勝手にも感じる要求だった。
そんな相手にナインを預けていいものだろうか……
「…………それ、あんまり、いみはないよ」
全員が沈黙する中、少年が発言した。
視線が彼に集中する。
「ぼくの《抗体》は、三時間くらいしかもたない。それにほとんどは、ゾンビになるのをおそくするだけ」
「効果が切れたら?」
「もちろん、ゾンビになる」
院長の質問に、ナインは肩を竦めて答えた。
「《適合者》になるカクリツは、ぼくの《抗体》ですこーしあがるけど、もともととってもめずらしいものなんだ。キタイするだけ、ムダ。《抗体》がなくても、なることはあるしね」
そう言って、ナインは俺をチラッと見た。
「おにいさんは、とっても運がよかった。みんな、こうなれるわけじゃない」
「……結局のところ、お前の《抗体》から作ったワクチンでないと、予防や治癒の役には立たないってことだよな?」
「カンタンにいえば、そういうこと」
夏川先輩がまとめた結論に、ナインが頷く。
「しかし、やってみないことには……」
「落ち着け、杉沢」
鷲尾院長が、秘書の反論を遮る。
そして猫なで声でナインに話しかけた。
「……この病院の食料を君たちに優先して回そう。ジュースやお菓子もあるし、救助が来るまで、我々が責任を持って面倒を見ると約束する。その代わり、ナイン君から《抗体》を貰い受けたい。我々はそのように考えている」
「……だから、ムダだってば」
──あの手この手で要求を通そうとする院長に、ナインは苛立ちをあらわにした。
その瞳が、紅く変化していく。
「…………ぼくをムリにキズつけるなら、ここにゾンビを呼びよせるけど。そしたら、"アルファ"もここにくるだろうね。あの子は、ぼくをさがしまわってる。力をつかったら、ぼくのいるばしょが、あの子につたわってしまうんだ」
「…………っ」
「……それでもいいなら、やってみたら?」
少年は挑戦的に老人を見返した。
淡々とした口調がいっそ恐ろしい。
紅くなりかけた瞳が、少しずつ元の色に戻っていく。
だが鷲尾院長と秘書は、息さえ忘れたかのように固まって、少年を見つめていた。
ナイン自身も呼吸を整えるように、ゆっくり目を閉じた。
