少年は暫くの間、珍しそうに外を眺めたり、おやつを食べたりしていた。
しかし疲れていたのか、いつの間にか、すうすうと穏やかな寝息を立てて眠ってしまった。
「どうしよっかー。かなり日が暮れて来ちゃったねー」
彼を起こさないように、運転席の春日先輩が小声でみんなに尋ねる。
現在、俺たちを乗せた車は、市の南に抜けるルートへ向かっていた。
今はまだ市街地だが、そろそろ民家が減って、田んぼの多い田園地帯にさしかかる。
俺は窓の外に目をやった。
頭上には綺麗な夕暮れの空が広がっている。
今の時刻は午後五時。
夜はすぐそこまで迫っていた。
「咲はどう思う?夜間の山道だと、運転はやっぱ厳しいか?」
「んー、運転できなくはないけど、見通しが悪いだろうし、街灯がついてるか分かんないよねー。さっき柊香ちゃんが、市内のあちこちで停電してるって言ってたし」
「そうですね……停電しているエリアもかなりあるようです」
「そしたら、明るい時間の方がありがたいかなぁー」
春日先輩の意見に俺は腕組みして唸る。
「どこかで一夜明かして、早朝に出発した方が良いかもしんないすね……」
すると雪生さんも「私もそうすべきだと思います」と賛成した。
「なら、安全に一晩過ごせる場所を確保しねえとなァ」
「そだねー、住人が逃げちゃった空き家とか?」
「……あの家とかどうすか?」
俺は、青い屋根の一戸建てを指さした。
夏川先輩が体を乗り出して、そっちを見る。
「駐車場に車がねえから、留守かもな」
「いいね、行ってみよっかー!」
「周囲にゾンビはいないようですね……」
「オッケー近くに停めるね!」
冷静に考えれば不法侵入だが、良心の呵責はいったん無視だ。
俺たちは目についたその民家に入ってみることにした。
その家には車一台分の駐車スペースがあった。
春日先輩が「車庫入れするねー」と声をかけ、バックでそこに停める。
俺は車の窓ごしに家を見上げた。
二階建てのよくある一軒家。
見た感じ小綺麗で、裏手の庭もよく手入れされている。
誰かが丁寧に住んでた家に不法侵入するのは申し訳ないが、この非常事態では仕方ないだろう。
俺たちは先に偵察に行って、安全を確かめることにした。
眠ってるナインを車に残し、四人でそっと庭に回る。
「この窓、開いてるっす」
すぐ後ろの夏川先輩にそう伝える。
庭に面した大きな窓は、半分ほど開いていた。
静かに中を覗く。人の気配はない。
「ごめんください、誰かいませんかー……」
雪生さんが小声で呼び掛けたが、やはり返事はない。
「留守みたいですね……」
「じゃあそこから入っちゃおー!」
「オレが先入って確認するから、咲のバットを貸せ。室内なら、パイプ椅子より振り回しやすいからな」
「わーお、陽介が珍しく男らしー!」
「あん?オレは常に男らしくてカッコいーんだ」
「……自分で言うとダサさ倍増だねー」
先輩たちは相変わらずマイペースだ。
緊張感のない会話に、俺も若干脱力する。
「俺も夏川先輩と一緒に行くっす。ひと通り部屋を覗いて、安全を確認しましょう。雪生さん、鉄パイプ貸りていい?」
「うん」
雪生さんがコクリと頷いて、俺に鉄パイプを手渡す。
家に忍び込む前に、夏川先輩が春日先輩を振り返った。
「咲と柊香ちゃんは、ナインと車で待機してろ。なんかあったら、即車出して逃げろよ」
「やーだよ。二人置いて逃げるなんてしませんからー」
「あのな、二人ともろくな武器がねえんだからまずは逃げろ。わかったな」
「…………わーかったよー」
渋々頷いた春日先輩から視線を外し、夏川先輩は俺に向かって顎をしゃくった。
「行くぞ、秋庭」
「うす」
まず、夏川先輩がそっと室内に入った。続いて俺が中に入る。
そこはリビングだった。
テレビが倒され、物が散乱している。
まるで誰かが侵入者に手当たり次第物を投げつけたかのような惨状。
ここでゾンビと住人が争ったのかもしれない。
ただ血痕や死体はなかったので、襲われた方は無事逃げたのだろう……と思いたい。
次にキッチン、トイレ、風呂を順番に覗く。どこも問題なし。
これで一階はすべて回った。
続いて二階。
夏川先輩を先頭に、俺たちは階段をゆっくり上がっていった。
階段を上がりきった先は短い廊下。
手前右側と奥に扉が見える。
二階は二部屋あるようだ。
右側の扉は開けっぱなし、奥の扉は閉じている。
俺たちは目配せして、右側の開いた方から中に入った。
先に夏川先輩。続いて俺。
部屋に入った途端──微かな異臭がした。
カタン、という小さな音と、何かが動く気配。
ハッと顔を見合わせた瞬間。
「………アァァアアァッッ!!」
突如、扉の影から一体のゾンビが襲ってきた。
「のわぁっ!!?」
「先輩ッ!!」
若い男のゾンビだ。
夏川先輩に掴みかかったそいつを、俺は背後から鉄パイプで殴ろうとした。
頭を狙ったつもりだったが、ゾンビと先輩が倒れこんでしまい、狙いが外れ空振りに終わる。
仰向けに倒れた夏川先輩は、上から覆い被さるように襲ってくるゾンビに対して、バットをつっかえ棒のようにして必死に抵抗していた。
ゾンビが暴れ、闇雲に手を振り回している。
その爪で傷でも付けられたら感染してしまう。
「ガァァッ!!!」
「秋庭、こいつをどかしてくれ!!」
「了解っす!」
俺は鉄パイプを槍のように構え、ゾンビの横腹を体重をかけて勢いよく突いた。
さらに足裏でガッと押しのけるように蹴って追撃する。
夏川先輩に覆い被さっていたゾンビは、堪らず床をゴロゴロ転がった。
ゾンビを引き剥がした隙に、夏川先輩は素早く立ち上がって金属バットを振りかぶった。
俺も無我夢中で、鉄パイプをゾンビの頭めがけて振り下ろす。
「うわぁぁっ!!」
「死ねぇっ!!」
ボグッ、ボガッ、と続けざまに鈍い音が響いた。
頭蓋骨が砕け、脳漿が飛び散る。
頭を破壊されたゾンビは、ピクッ、ピクッと痙攣した後、完全に沈黙した。
俺たちは肩で息をしながら、ゾンビが動かなくなるのを見守っていた。
「やったか……?」
「やったっすね…………」
「はぁ~、マジでビビったわ………いきなり出てくるんだもんなァ……」
俺もまだ心臓がドクドク鳴っていた。
さっきまで普通に喋ってたのに、こうして突然襲われて死ぬかもしれない。
そんな現実が、じわじわ追いついてくる。
俺は恐怖を沈めるように、深く息を吐いた。
額の冷や汗を拭っていた夏川先輩は、ふと、窓の方を向いた。部屋の窓は全開になっている。
その窓に近づき、顔を出した夏川先輩は、キョロキョロと何かを確認した。
「ここの住人はこいつに襲われて、二階の窓から逃げたんだろうな。秋庭、見ろ」
言われるまま夏川先輩の隣に立って、窓から顔を出し外を覗く。
窓の下は、玄関の庇になっていた。
その庇に並べてあった瓦が一部ずれている。
窓から脱出した人間は、庇から地上に飛び降りたのだろう。
庇はさほど高くはなく、大した怪我もなく地上に降りられそうだった。
「ゾンビには知能がねえから、窓を乗り越えて追いかけるっつー発想がなかったんだろうなァ。コイツがこの部屋に足止めされてた理由だろ」
「なるほど……」
「よし、最後の部屋を見てこようぜ」
「あの、ゾンビはこのまんまでいーんすか。別の家、探した方がよくないすか?」
ゾンビの死体が転がってる家で寝泊まりとか、正直遠慮したい。
若干顔を青くした俺に、肩にバットを担いだ夏川先輩は、「なんでだ?」とキョトンとする。
「この家にいるゾンビはこいつだけっぽいし、今から別の家探して移動すんのもリスクじゃね?ここでいいだろ」
「まあ、確かにそうっすけど……」
「一階は散らかってるが、一晩寝るだけだしな」
「確かに、二階に上がんなきゃいいだけですもんね……」
「そーいうこと」
生理的な嫌悪感はあるが、先輩の意見も一理ある。まずは安全確保だ。
「よーっし最後の部屋行くぞー!」と夏川先輩がバットを構え、俺もそれに続く。
静かに廊下の突き当たりまで行くと、頷きあってドアを開けた。
──何もなし。
そこは何てことのない書斎で、ゾンビも住人もいなかった。
二人で顔を見合わせてから、ほっと息を吐く。
「俺、春日先輩たちを呼んできますね」
「頼む。オレは電気とか水が来てるか確かめとくわ」
俺たちは頷きあって一階に降りた。
