「おおーーい!止まってくれ!」
"アルファ"と遭遇後。
俺たち四人は命からがらスタンドから逃げ出し、車を町中を走らせていた時だった。
車の前に突然男が飛び出してきた。
大きく手を振って、何かを訴えかけている。
「生存者だ!止まれ、咲!」
「ひゃあああっ!?」
夏川先輩の制止で、春日先輩が慌ててブレーキを踏み、ハンドルを切る。
車は男のすぐ手前で急停止した。
危うく轢いてしまうところだったが、男がそれを気にした様子はなく、運転席に回りこみ「話がしたい」と窓ガラスをコツコツ叩いた。
彼の表情は、見るからに必死だ。
春日先輩は警戒を滲ませながら、窓ガラスを少しだけ下げた。
「ども、こんにちはー……」
「おれは県警所属の機動隊員、坂上だ」
「機動隊……ですか?」
言われて気がつく。
男の装備は汚れてボロボロだが、厳つい防弾ベストやヘルメットはいかにも機動隊のそれだ。
よく見ると「県警」と書かれた腕章もつけていた。
このパンデミックのさなかに、一般人が警察コスプレする理由なんかないし、機動隊という言葉に嘘はないだろう。
顔つきも真面目そうで、人を騙しているようには見えない。
みんなも同じ考えに至ったらしい。
そっと目配せして、春日先輩が代表で尋ねた。
「あの、どうされましたか……?」
「君たちに頼みたいことがある。……連れの少年を、市外のしかるべき機関に届けてほしい。警察か自衛隊、もしくは役所でも構わない」
「少年、ですか……?」
春日先輩が聞き返すと、男の後ろの生垣から、一人の少年がそうっと出てきた。
年齢は七、八歳。
髪は真っ白。白いシャツとズボンを着て、固いアスファルトの上に裸足で立っていた。
「おれはゾンビに腕をやられた。発症したら、人を襲ってしまう。だから一緒には行けない。──だが、今感染爆発してるゾンビウイルスのワクチンを作るには、この子の《抗体》が必要なんだ」
「ワクチン……」
「そうだ。このパンデミックを食い止めるには、それしか方法がない。頼む……!」
男は歯を食いしばって頭を下げた。
その手が震えている。
──思ったより大ごとだ。
見ると、坂上という警察官の二の腕には、噛み跡のような抉れた傷があった。
ゾンビにやられたという怪我だろう。
周辺には、同僚らしき警察官も見当たらない。
この人がゾンビ化したら、自身が《抗体》を持つ少年を襲うことになってしまう。だから、通りすがりの俺たちを頼るしかない、という状況らしい。
──ただの大学生に、とんでもなく重い役が回ってきた。
場合によっては、国の存亡に関わりかねない話だ。
俺たちにそれが果たせるのか、と迷ったのは一瞬で。
「……どうする?」
夏川先輩の問いに、俺は少しだけ間をおいて、「連れていきましょう」と答えた。
しかるべき場所に、連れていける保証はない。
だが少年がどんな存在でも、ゾンビがあふれる町中に置きざりなんて出来るわけがない。
「うん、ガソリンも入れたし、何とかなるよー!」
「私も同意見です」
幸い、春日先輩や雪生さんも賛成してくれた。
夏川先輩も「だよなァ」と頷いている。
それを聞いて、坂上と名乗った機動隊員も安堵の表情を見せた。
「君たちに感謝する……さあ、おいで。君は彼らと一緒に行くんだ」
坂上さんが少年に手招きした。
俺が後部ドアを開けると、大人しく乗ってくる。
俺と雪生さんの間にちんまり座って、車の中を珍しそうに眺めていた少年は、ふと坂上さんの方を見た。
「……ありがとう、おじさん」
「ああ、元気でな」
坂上さんは「じゃあ行ってくれ」と短く言って、車から離れる。
周囲には少しずつゾンビが集まり始めていた。
春日先輩が辛そうな顔でアクセルを踏む。
車が発進し、何人かのゾンビを跳ね飛ばしながら前に進む。
ルームミラーの中で、坂上さんが小さくなっていく。
俺たちは、彼のいる方を振り返ることが出来なかった。
◇◇◇
車内には、重苦しい沈黙が流れていた。
坂上さんがどうなったか、あまり想像したくない。考えるだけで気が重かった。
そんな空気を断ち切るように、夏川先輩が「なあ、お前の名前聞いてもいいか?」と明るい声で少年に話しかけた。
「……"ナイン"」
「へー、変わった名前だなァ」
「そうなのかな……ぼくは、九番目のこどもだから、ナインだっていわれた」
少年は「ほら」と手首を見せた。
そこには黒々とした文字で、「No.9」と刻印されている。
車内に一瞬、微妙な空気が流れた。
「……ナイン君は、もしかして、疫学研究所にいたんですか?」
みんな同じことを思ってたんだろう。
俺たちを代表するように、雪生さんが尋ねた。
「えきがく……はわかんない。でも、ずっと研究所っていわれてるところにいたよ」
雪生さんが暫し難しい顔で考え込んだ。
俺も、冷たい何かが背中を駆け上がっていくような、そんな感覚を覚えていた。
──ゾンビウイルスや"アルファ"を開発したとされる、国立疫学研究所。
そこで育てられ、九番目と数字で呼ばれていた少年。
彼はゾンビウイルスの《抗体》の保持者だという。
ナインは見た感じ、七、八歳だ。
こんな小さな子供まで実験対象にしていたなら、ほかにも様々なおぞましい実験をやっていたのだろう。
胸がムカムカした。
「……そうですか。ではナイン君、お腹は空いてませんか?チョコとか飴もありますよ」
「もらっていいの?」
「もちろん」
雪生さんがそれとなく話題を変えた。
お菓子と聞いて、少年の黒い瞳がキラキラと輝く。
雪生さんが小さく微笑んで、鞄からチョコを出して渡すと、彼は宝物のように両手で受け取った。
嬉しそうに封を開け、それを口に入れる彼を、俺たちは何とも言えない気持ちで眺めていた。
