建物の影から飛び出した俺たちは、いっせいに走り出した。
思考をぶん投げ、必死に足を動かす。
先頭に春日先輩。その横を夏川先輩が並走。
その後ろに雪生さんと俺が続く。
固まって走る四人の周囲に、周辺のゾンビが続々と集まってくる。
「あの白い車があたしのー!」
春日先輩が一台の車を指さした。
距離にして約三十メートル。あと少し。
春日先輩がキーホルダーのボタンを押して、車のロックを外した。
「邪魔だ、どけぇえっ!!」
前方から襲ってきたゾンビに、夏川先輩がフルスイングでパイプ椅子を叩きつけた。
渾身の一撃を食らったゾンビが、真横に吹っ飛んでいく。
走りながら、俺は背後をチラッと見た。
追ってくるゾンビの集団。
その先頭にいる男子学生ゾンビは、他のゾンビとは明らかに一線を画していた。
綺麗なフォームで走っている。
他のゾンビはノタノタ動くのに対し、そいつだけはやけに足が速い。
その顔を見て、俺はぞっとした。
あいつ、知ってる。
陸上部の短距離走の選手だ。
ほとんどのゾンビが緩慢に動くなか、奴だけは相当な速さで疾走してくる。
つまり、個体によってはある程度、感染前の能力が維持されるってことか……?
ゾンビの存在はそれだけでも厄介なのに、まったく嬉しくない事実だ。
どうせなら蜘蛛が苦手とか、そういう弱点があればいいのに。
さらに言うと、今の俺は全力疾走ではない。
横にいる雪生さんのペースに合わせて走っていた。
身長差がありすぎて、俺が全力で走れば、彼女を置き去りにしてしまう。
そうすると、雪生さんは、あの陸上部員に追いつかれてしまうだろう。
俺だけならあいつを振りきれるかもしれない。
だがそれは、雪生さんを見捨てるってことだ。
……そんな真似、絶対に出来ない。
その陸上部員は、綺麗なフォームを崩さず、すぐ後ろにピタリと寄せてきた。
まずい……!
「雪生さんに、さわんなやぁああっ!!!」
彼女に伸ばされた血色の悪い手。
俺は一瞬早く、消火器でそれを叩き落とした。
そのまま雪生さんとゾンビの間に割って入り、ゾンビの腹を蹴る。
短距離選手のゾンビは数歩後ずさった。
だが、倒れない。
背後に庇った雪生さんに、振り返らずに叫ぶ。
「俺の方が足が速い!足止めして追いつくから、先に車に行って、早く!」
「……わかりました」
雪生さんは強張った声で頷くと、弾かれたように走り出した。
ゾンビは虚ろな目で俺を見た。
雪生さんから、自分に標的を変えたのだ。
ぞれを本能で悟る。
正直に言おう。めちゃくちゃ怖い。
けどそんなもん、何の言い訳にもならない。
これまで何度も、自分よりずっと小柄な雪生さんに助けてもらったんだ。
俺も守られてばっかじゃダメだって、決めたじゃないか────
「…………今度は俺の番だろうがぁ!!!」
再び突っ込んできたゾンビを、俺はフェイントで避けた。
──右に行くと見せかけて、左。
中学でバスケを始め、何度も反復練習した動作。
体に染みついたそれは、土壇場でも鮮やかに決まった。
ゾンビにしては運動神経が良すぎたせいか、相手はそのフェイントに完全に引っ掛かった。
俺はその背後にくるっと回り込む。
同時に消火器を振り上げ、思いきり頭に打ち下ろした。
ドガッという打撃音。
骨を砕く嫌な手応え。
けれど気にしてる暇はない。
相手が死んだとは限らないのだから。
地面に倒れこんだ相手の頭めがけて、もう一度消火器を叩き込む。
──そして相手は完全に動かなくなった。
何とか倒せた。
しかし余韻に浸ってる暇はない。後続のゾンビの群れが迫っていた。
「くそっ!」
消火器の栓を抜き、そいつら目がけて消火剤を噴射する。
白い泡まみれになって、視界を奪われたゾンビ達が一瞬足を止めた。
その時、後ろで車が急発進し、次いで、キキーッと急停止する音、ドガッと何かにぶつかる音がした。
「秋庭君、乗ってください!」
すぐ後ろで、後部座席のドアを全開にした雪生さんが叫んだ。
車の前方にはゾンビが転がっていた。
背後から俺を襲おうとしたゾンビを、春日先輩が車で撥ね飛ばしてくれたようだ。
助かったけど、春日先輩、思いきったことするなぁ……
真っ白になったゾンビたちに消火器を投げつけ、くるりと踵を返す。
地面を強く蹴って、頭から後部座席に転がりこんだ。
「穂浪君、どっかに捕まっててねーーーー!!」
「のわぁッ!」
同時に、春日先輩が車を急発進させた。
開いたままのドアから危うく落ちそうになって、慌ててシートにしがみつく。
「このまま脱出するよーーー!」
強烈なハンドルさばきで、白い車は駐車場を疾走する。
駐車場の入口を塞ぐように立っていたゾンビが何人か撥ね飛ばされたが、俺は見なかったことにした。
シートベルトをして、後部座席のドアをしっかり閉める。
そして深々と息を吐き出した。
「はぁーーー、助かったぁ……」
「良かったです……」
雪生さんも安堵したように呟く。
俺は何気なく隣を見て、思わずのけぞった。
彼女の瞳が、透明な膜を張ったように潤んでいたからだ。
常に無表情で、何があろうと沈着冷静だった彼女の瞳から、ポロっと透明な雫が零れ落ちた。
「……秋庭君が助かって安心しました…………庇ってくれてありがとう」
「いや、俺の方こそ、何度も雪生さんに助けられたし、こうして無事だから、全然気にしなくていいから……」
あたふたしながら言い募る。
怖かったけど──俺はちゃんと仲間を助けることができたようだ。
ようやくその実感が湧いた。
「ははは、相変わらず、秋庭はカッコつかねえなァ」
「アンタはちょっと黙んなさい!」
「いって!」
助手席でニヤッと笑った夏川先輩を、運転席の春日先輩がポカリと殴った。
